東洋町民主化の歩み
「地域格差に挑む」という朝日新聞全国版の連載は2月8、11日、東洋町の民主化の歩みを的確に報道していました。嬉しいことです。地元紙には、もっと詳しく報道してもらいたいものです。
昨年4月の町長選挙に、全国から連帯の声援を送ってくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました!!
住民の意志で国家権力の横暴をはね返したことで、町には住民自治の意識と行動がはぐくまれているようです。うさん臭いカネになびかず、自力で町おこしに取組んでいる東洋町は、私たち高知県民の誇りであり、希望です。
役場の玄関に立つ石碑に町民憲章が刻まれている。「恵まれた自然をまもり、心のふれあう美しい町をつくります」
高知県の東端にある東洋町は、大海原に面した自然が売りの町だ。
この町で高レベル放射性廃棄物の最終処分場を誘致すべきかどうかの議論が巻き起こったのは06年夏だった。住民の反発で推進派の前町長はいったん辞職。昨春の出直し町長選に挑んだが、反対派の候補者に大差で敗れた。
住民は、前町長が処分場の調査に応募したことを、半年近く知らされていなかった。住民の間に不信感が渦巻き、誘致反対の民意に冷淡だった国政にも向けられた。昨夏の参院選比例区で自民党の得票が初めて野党第一党を下回ったのだ。
処分場誘致の主な理由は「財政難」だった。地方交付税はピーク時から4割減り、一般会計の規模は半減していた。応募すれば、調査段階で国から数十億円の交付金がくるといわれた。
だが、新町長になった元室戸市議の沢山保太郎さん(64)は「財政難」に疑問を抱いた。夏には大勢の海水浴客やサーファーでにぎわう土地だ。確かに借金は多いが、06年度も3千万円の積立金ができた。人口3300人ほどの町としては極端に貧しいわけではない。
騒動の最中、こんな町財政の実態を指摘する職員はいなかった。沢山町長には、町職員にも安易に国の金をあてにして、自力で町を立て直す気持ちが希薄になっていたように見えた。
処分場の誘致話を断ち切った以上、町の再生は自前でやるしかあるまい。「交付税が減ったと嘆くだけでは首長失格」が持論の町長は、10年後にも通じる収益確保を模索し始めた。
まずは海水浴場に町営の農・海産物の直販所を開いた。名産のマグロの刺身やポンカンなどを並べている。民間と共同出資して、地場産品の開発や販売、耕作放棄地の再利用などに取組む株式会社も近く立ち上げる。町の挑戦は始まったばかりだ。(森川愛彦)
【2月8日付朝日新聞3面より転載】
行政運営の透明度が低い。みんなが顔見知りのような小さな町村では、ありがちなことだ。
高知県東洋町の沢山保太郎町長(64)は自治体を監視する市民オンブズマンをしながら、具体例をいくつも見てきた。東洋町も例外ではないように思えた。
たとえば、県から払い下げを受けた約千坪の町有地が、06年から隣の徳島県の社会福祉法人に無償で貸与され、老人介護施設が立っている。備忘録には「民間施設の使用は不可」という県の意向が明記されていた。なのに、なぜー。その経緯を説明できる町職員はいない。
おまけに、この施設ができたため、94年に建てたばかりの町営福祉センターを閉鎖し、約6億円の建設費がむだになった。沢山町長は施設への土地の貸与方法を再検討している。
透明度の低さが、職員のモラルの低下を招いたのだろう。町では、不祥事が相次いでいる。06年には架空の水道料を徴収。昨秋には、職務怠慢による老人保健高額医療費計1500万円の未払いが発覚。しかも町は問題を把握しながら3年も放置していた。さらに100万円の公金着服もあった。
沢山町長は職員の意識改革をめざし、毎週月曜日に課長らとの庁議を公開スペースで開き、住民が見学できるようにした。毎週土曜日には住民との対話の場も設けた。住民の視線が規律回復の第一歩になると考えたからだ。
「町長のやり方は独善的だ」という批判もある。だが、町政の変化を支持する声も強い。主婦の前田寛子さん(63)はできるだけ庁議を見学するようにしている。「住民の無関心が町政の不透明さを許し、処分場誘致問題を呼び込んでしまった」という反省からだ。(森川愛彦)
【2月11日付朝日新聞3面より転載】
《写真上・中は2007年4月17日東洋町甲浦にて沢山候補出陣式/成川順さん撮影、写真下は2007年4月22日東洋町野根の沢山候補選挙事務所にて当選確実の報道に万歳三唱/下司孝之さん撮影》
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