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2ch「心と宗教板」 キリスト教関連 良レス集
1
:
名無しのひつじさん
:2007/01/25(木) 11:11:05 ID:lRpwgqoI
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2007/01/25(木) 03:02:05 ID:wnrJuSWV
>もうひとつ 改革派は赤ん坊の救い 認めてるよ
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 03:09:28 ID:SSEkZ8fT
>赤ん坊の無条件の救いを認めるのは改革派ではなくカンバーランド長老教会だ。
>改革派のウェストミンスター信仰告白では、
>赤ん坊が遺棄される可能性もある事になるから、
>カンバーランド長老教会は訂正したのだ。
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 03:18:58 ID:SSEkZ8fT
>ウェストミンスター信仰告白では救いに選ばれた赤ちゃんは救われるが、
>選ばれていない赤ちゃんは遺棄される、
>つまり滅びる可能性があると言っている事になる。
>それでカンバーランド教会は修正する必要を感じたのだ。
>もしウエスト民スターが無条件の赤ちゃんの救いを言っているなら、
>カンバーランドはこの個所を訂正していない。
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2007/01/25(木) 03:20:44 ID:wnrJuSWV
>まぁそうですが、その聖書的根拠ってある?
>それとアナタの教会は赤ちゃんの救いを認めてないよね?
◆IbYG6dQTTc :2007/01/25(木) 03:29:14 ID:SSEkZ8fT
>聖書はそれをはっきり言っていないが、赤ちゃんについて神に信頼する事は出来る。
>赤ちゃんが地獄に落ちると言っている牧師など、みた事も聞いたことも無い。
>自分の魂について心配した方がいい。
つぎへつづく
230
:
名無しのひつじさん
:2007/10/27(土) 22:07:43 ID:/GTeHdBk
〜〜良スレッド・良レス〜〜
2ch.net「聖書を根底から学ぶスレ その2」ダニエル氏のレス
231
:
名無しのひつじさん
:2007/10/29(月) 23:10:59 ID:njGGp7Xw
132 :名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 15:02:09 ID:OWBtpOiD
レムナント出版というところが、従来の日本のキリスト教が扱わんかったネタの出版物を
打ち出しています。
このレムナント出版の本とかは売れて黒字なんでしょうか?
そもそもプロテスタントのキリスト教なんでしょうか??
ーーーーーーーという質問に対してーーーーーーーーーーーーーーーー
133 :ОРАСЙОН:2007/03/04(日) 09:53:47 ID:bzuQDXCO
>>132
レムナント出版は、実質、久保有政・池袋キリスト教会(単立)牧師による、
個人営業(伝道)みたいなものですね。
毎月『レムナント』を出したり、ハードカバーの本を出版したりしてますが、
経営的にはどうかは分かりませんね。(実質、伝道的にもなかなか浸透している様子は無いかと)
ちなみにレムナント出版は『福音的なキリスト教』と称していますが、
『プロテスタント』と位置づけているということは訊いたことがありません。
実際彼によって展開していることは、プロテスタントどころか、
西方教会の枠を大きく超えていますから、そう言えないのは事実でしょう。
232
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:18:58 ID:l6VTH9BU
☆良コテハンのレス
↓
372 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/25(日) 16:19:41 ID:6dHm1Pjf
イエスの十字架により罪を赦された人たちはなんと幸いなことか。
時は刻々と近ずいています。あなたもイエスのファミリーになりませんか?
もう少しで神の大宴会の招待席は満席になります。
いまならまだ間に合います。(^^)
神の大宴会で喜び楽しむには?
はい、とてもカンタンです。その方法とは?
いますぐ心のなかでイエスキリストがあなた(読者)のために十字架にかかり
あなたの身代わりになり死なれ、そして3日目に復活された!それによりあなたの罪汚れを
完全に取り除いてくださったと信じるだけです。たったこれだけです。
これで神の大宴会で罪のない者として堂々と楽しむことができます。
どうですか?カンタンでしょう。(^^)
☆トンデモバカのトンデモレス
↓
381 :神も仏も名無しさん:2007/11/26(月) 10:52:41 ID:lY8eTIKO
あのね、イエスを信じたからとかそんなもんで救われないの。
そんなの常識。古いキリスト教をまだ語っててはずかしくないの?
☆良コテハンのレス
↓
382 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/26(月) 15:54:13 ID:juQb0SPf
イエスキリストの言葉
わたしは門です。わたしを通してでなければ
だれひとり父(天の神である創造神)の元に行くことはできません。
(^^)(^^)(^^)
233
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:21:55 ID:taPIsFPg
389 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/26(月) 22:15:43 ID:juQb0SPf
なぜ?極悪死刑囚がパラダイス(天国)に行けたのか?その秘密を知りたい方は他にいませんか?
その秘密とは。。。
イエスさまが十字架にかかられたとき、いっしょに極悪人が2人十字架にはりつけられました。
1人はイエスをあざけりました。しかしもう1人(天国に行けたラッキーな男)は涙を流しながら
くるしまぎれにイエスにこう言いました。イエス様!!!(涙)あなたが御国で王の位におつきになる時はわたしを思い出してください。
するとイエスはその男にいわれた。まことにあなたに告げます!今日あなたはわたしと共にパラダイスにいます!!!
この手紙を読んでいるあなた(読者)!もうおわかりですね(^^)パラダイスに行くのはカンタンなことだったのです。
もういちど言いましょう。パラダイス(天国)に行くのはとてもカンタンなことだったのです。
死ぬまぎわにこの極悪死刑囚はイエスさまに(わたしのことを思い出してください)と言っただけで天国に行けました。
(みずからの罪深さを認め、悔い改め、わたしのことを思い出してください)といっただけで。
天国に行きたいあなた!いますぐ永遠の命をただでもらいたいあなた!
いますぐ天の王位についておられるイエスさまに次のように祈られたらどうでしょうか。
イエスさま。わたしを思い出してください。十字架上で極悪人をパラダイスにつれていかれたように
わたしも天国へ連れていってください。と
つまり天国にいくには、イエスさまを信じること。イエスさまに天国に連れていって
と願うこと。あなたの罪汚れはイエスの十字架により完全にとり除かれたと信じること。
イエスは十字架で死なれたあと3日目に復活され天の王位ついておられると信じること
イエスが復活されたように信じる者も復活すると信じることです。(^^)
カンタンでしょう。もういちど言いましょう。
あなたが罪のない者としてパラダイスに連れていってもらうことは
とてもカンタンなことだったのです。
極悪死刑囚でさえ一瞬で天国へ行けたのです。あなたが天国に行けないはずがない。
あなたなら天国にいける!!!(^^)
234
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:27:09 ID:l6VTH9BU
398 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/28(水) 14:21:53 ID:vsvhruDL
〜〜イエスキリストの言葉〜〜
わたしが道であり、命であり、真理なのです。
わたしを通してでなければだれ一人として父(全知全能の神)のもとにいくことはできません。
〜〜ラプチャ(空中携挙)について〜〜
片栗粉の境地という言葉をご存知ですか?
かたくりこをボールのなかに入れぐるぐるかき混ぜる。何回何十回かき混ぜても(片栗粉)かたくりこ
は白いままなんです。
ところが何十何百回かかき混ぜるうちに突然、一瞬で透明になります。
いままでの白い状態がうそのように透明になる。
ラプチャー(空中携挙)も片栗粉(かたくりこ)の境地に似ています。イエスさまを信じ何年何十年と生きてると
いつ携挙が起きるのだろうと思ってしまう。
しかしある日突然イエスさまを信じる者が復活の栄光のからだになります。まるで片栗粉が一瞬で透明になるように。
そのように一瞬で私たちの体は栄光の体になり天に引き上げられます。
これがラプチャーです。次に起こる聖書の預言はラプチャーといわれています。我われが生きている時代に成就するかもしれないし
そうでないかもしれない。しかしこの地上に大きな艱難が来る前に必ずラプチャーはおきるでしょう。(^^)
主は今も昔も大きな艱難が起きるときは、まずはじめにご自分の民を守られました。ですからイエスさまを信じている者はいつも喜びを
もってラプチャーを待ち望むのです。(^^)
403 :○○○ ◆oPXbhrKCUQ :2007/11/28(水) 18:23:53 ID:NC85bbRJ
(わたしは)アブラハムが生まれる前から‘わたしはある、と仰せられる方を礼拝し賛美している者です。
わたしは主にあるファミリーの1人ですよ。
しかもイエスといっしょに十字架につけられパラダイスに行った極悪死刑囚と同じ罪びとです。
誇れるものは何もありません。ただ主イエスを誇り、
イエスさまによって罪赦されたことを心から父である神に感謝しているのです。
235
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:29:18 ID:taPIsFPg
414 :○○○◆oPXbhrKCUQ :2007/11/29(木) 16:20:31 ID:Qzf0kQt9
>ラプチャーの件ですが少しだけ追伸です。聖書の第一テサロニケの手紙に[今引き止めているものがある]と
>ありますが、これはなんなのでしょうか?
はい、[今引き止めているもの]とは神の聖霊です。このことは教会であまり話されないのですがラプチャーを望むなら
ポイントになる聖句とおもいますがどうでしょう。
再臨の聖書見解はいろいろありますが次のようになるかと思います。
まずラプチャーという聖書預言が成就する。その後、地上は艱難時代に入り、
大艱難時代の終わるハルマゲドンの戦いの途中で、栄光の復活体でイエスが
ラプチャーされた者たちと共に再臨する。という流れ。。。
それと「アブラハムが生まれる前からわたしはある」についてですが、
この方はイエスキリストのことです。とくに注目していただきたいのは
「わたしはある」という言葉です。この意味はヤハウェを意味します。
さらにヤハウェとは全知全能である天地万物の創造神という意味があります。
つまりイエスさまは「わたしはある」と言われたことによってわたしは
全知全能の神であるヤハウェであると認められたのです。
236
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:42:49 ID:l6VTH9BU
〜〜良スレッド・良レスの紹介〜〜
↓
☆「聖書を根底から学ぶスレ その3」のダニエル氏のレスポンス
★「ココモスキー ◆」の駄レスは読む必要ありません。
ここは聖書に興味のある人が、聖句を根底から一歩一歩
亀のようにゆっくりと共に学んでいくためのスレッドです。
何もわかっていない人は、はじめから「東大進学コース」に行くのではなく、
「基礎クラス」で学ぶべきです。 「基礎クラス」でも追いつかない、理解できない、
という人が行くのは 「根底クラス」であるべきです。
ここは、そんな人たちが集まる「聖書を根底から学ぶスレ」です。
基本的には創世記から黙示録まで順々に細かくやっていこうと思います。
聖書を信じている人のみ参加可能です。
聖書を信じていない人の投稿はご遠慮願います。
ホスト役&まとめ役は、スレ主ダニエルが行うつもりです。
では、ゆっくり楽しくいきましょう。
前スレ:聖書を根底から学ぶスレ その2( WEB魚拓 )
http://s02.megalodon.jp/2007-1031-1320-29/life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191420026/
237
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:54:23 ID:taPIsFPg
179 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/11/08(木) 11:27:40 ID:JNiArHuu
>皆さんはなぜ異論を唱える人を攻撃するんですか?
意義を唱える人を攻撃するのが悪いという、あなたの価値観は
どこで学んだものであるか、考えたことがありますか?
それは、もしかすると親であったり、学校で教わったりしたのです。
つまり、民主主義の考えというものは、次のようなものです。
※【たとえ間違った意見であったとしても、それを主張することは
悪いことではないし、主張する権利は守られなければならない。】
つまり、民主主義というものは、
すべての人に「発言する自由と権利」を与えているのです。
この思想を私たちは小さな頃から頭にたたき込まれていますし、
その思想は正しい、と思い込んでいます。
ですから、この民主主義という思想に疑いを持つ人というのは
ほとんどいないし、ある種の偶像にさえなっているのかもしれません。
しかしながら、世の中には「間違った意見や見解」というものも
存在しているわけです。
従いまして『何を言ってもよいし、何を言っても許される』
というのは、少々無責任な考え方だ、ということになると思います。
どんな事柄にも、様々な見解というものを持ち込めますから
それれを、いちいち一つづつ相手にしていたなら、わけがわからなくなってしまうのです。
このために、「民主主義」は多数決という解決策を提示しているわけです。
しかし、「多数決」をとり、
多くの人が認めた意見=正しい意見 というわけには
なかなかいかない、ということがあります。
そのために、裁判制度というものがあり、
裁判官とよばれる人が、判定する仕組みになっています。
238
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:55:32 ID:taPIsFPg
>>237
よりつづく
つまり、それが「法」というものなのです。
「ルール」と言い換えてもよいと思います。
この「法」というものは、絶対ではありませんが、『基準』となるものではあります。
多くの人のセンスが、「それでいいだろうな」と思えることが
コモンセンスであり「法」の土台となっているのです。
「法」というものの土台は、その地域の人たちの
コモンセンスですから、「法」は民族や国によって
異なるものとなるのが必然なのです。
このように「法」とは絶対的なものではありません。
このスレッドも、ある特定の地域とかにたとえるとすれば、
ここのスレッドにおける「コモンセンス」があるはずです。
それに反することを堂々と行うことは、「法」を破ることと同じであり、
「ルール」を無視したり軽視したりすることと同じなのです。
つまり、そのコミュニティ内に混乱をもたらす結果となるのです。
そういうわけですから、ココモスキーさんの意見が悪いとかどうとかいう以前の問題として、
ここのスレッド内で、アンチ聖書、アンチ・キリスト的な意見を書き込もうとする
ことが、ルール違反なのであって、そうしたことは慎むべきなのです。
ココモスキーさんに対して、お前はどこでも一切発言するな、と言いたいわけではなく、
しかるべき場所で、そのようなことを行うべきであるということです。
そうでなければ、混乱やわけのわからないスレッドになってしまうことは避けられません。
239
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 11:56:39 ID:taPIsFPg
>>237-238
よりつづく
187 :ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/11/08(木) 12:01:03 ID:JNiArHuu
>わけ隔てなく接するのが教えのような気がします。
聖書の教えが、あなたの言うように
「わけ隔てなく接するのが教え」、とは到底思えないのですが、
もしそうだとしても、わけ隔てなく接するとは、相手のことを
リスペクトして尊重することが大切なのであって、「何をやろうが、
何を発言しようが、おかまいなし」というのが、「わけ隔てなく接する」という
ことではないように思います。
以上、これであなたへのレスは終わりといたします。
240
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 12:22:21 ID:l6VTH9BU
○○○◆oPXbhrKCUQへ
>>233
のレスのなかに「くるしまぎれに」イエスへ言った、とあるが、
その言葉はいったいどういう意味で使ったのだろうか?
もしその犯罪人が、心証を良くしようとして主に、
心にもないことを「くるしまぎれ」に言ったのだとしたら、
彼が救われることはなかったであろう。
彼が「思い出してください」と刑死のきわに言えたのは、
イエスという男を、神の子キリスト、救い主であることを、
信じて受け入れたからこそではないか。
彼が自らの罪深さをを認め、悔い改める心をもっていたから、
しいては神を慕い求める心を持つ「散らされている神の子」であったからこそ、
信仰告白をして救われることができたのだ。
苦し紛れに、口先で、心にもないことを告白して生きるようなことをさして、
「信仰に歩む」というのではもちろんない。
聖書の御言葉にもあるように、主は、
「散らされている神の子を再び集めるために」世にこられた。
なぜなら「散らされている神の子」は、
主イエス・キリスト−神の御声(御言葉)を聞き分け、信じることができるからだ。
主はまごうことなき良き羊飼い−神の子キリスト、なのだから。
241
:
名無しのひつじさん
:2007/11/30(金) 12:46:25 ID:l6VTH9BU
今日のレスは、
>>232-241
です。
>ここのスレッド内で、アンチ聖書、アンチ・キリスト的な意見を書き込もうとする
>ことが、ルール違反なのであって、そうしたことは慎むべきなのです。
>しかるべき場所(違うスレッドで)そのようなことを行うべきであるということです。
まったくそのとおり。
相手にしない、スルーする、のがよいでしょう。
というよりココ○○○のレスはあんまり読まれていないようですが。。。
当然ですね、そこは信仰者の視点で「聖書を学ぶ」スレッドなのですから。
信仰をもつことに関心のない人間が立ち寄るような場所ではない。
242
:
名無しのひつじさん
:2007/12/07(金) 20:30:24 ID:/GTeHdBk
423 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/11/30(金) 16:30:56 ID:ANsLJ/Ir
イエスが十字架の死刑判決を受けたとき、多くのものは嘲笑い、弟子たちはみな逃げた。しかし...
3日目に死人の中から復活され、たくさんの人々の前に姿を現された時彼らは...
復活を最も疑っていた弟子の1人が言った。わが主、我が神!
イエスはその弟子にいわれた。
あなたはわたしを見たから信じたのですか?見ずに信じるものは幸いです。
243
:
名無しのひつじさん
:2007/12/07(金) 20:33:46 ID:/GTeHdBk
461 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/02(日) 18:36:54 ID:NEnrddbs
ヘブライ人への手紙より
だから、自分の確信(イエスへの信仰)を捨ててはなりません。
この確信は大きな報いがあります。
神の御心を行って約束されたものを受けるためには忍耐が必要なのです。
「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。
遅くなることはない。わたしの正しい者は信仰によって生きる。
もしひるむようなことがあれば、そのものはわたしの心にかなわない。」
しかし、わたしたちは、ひるんで滅びるものではなく、
信仰によって命を確保するものです。
ヘブライ人への手紙10章35〜39節
バイブル エフェソの信徒への手紙より(^^)
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、
救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された
聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保障であり、
こうして、わたしたちは贖われて神の者となり、神の栄光を
たたえることになるのです。
エフェソ 1章13〜14(^^)
244
:
名無しのひつじさん
:2007/12/07(金) 20:37:29 ID:/GTeHdBk
473 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/03(月) 21:05:56 ID:m0o4K1QI
バイブル ヨハネの手紙より
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、
真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公けに言い表すなら、神は真実で正しい方ですから
罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
ヨハネの手紙1章8〜9節
474 :神も仏も名無しさん:2007/12/03(月) 21:08:27 ID:sQhFHhkJ
俺の罪なら2chでさえも、収まりきれないだろ。
477 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/03(月) 21:38:49 ID:m0o4K1QI
>474 そんなことはありません(^^)
聖書にはこう書いてあります。
「たとえあなたの罪が血のように赤くても、雪のように白くなる。」
バイブル ヨハネの手紙より (^o^)
イエスがメシアと信じる者は皆、神から生まれたものです。そして、生んでくださった方を
愛する人は皆、その方から生まれた者を愛します。
このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟(おきて)を守る時はいつも、
神の子供たちを愛します。
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
だれが世に勝つか。イエスが神の子と信じる者ではありませんか。
ヨハネの手紙5ー1〜5 (^o^)
245
:
名無しのひつじさん
:2007/12/07(金) 20:39:31 ID:/GTeHdBk
490 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/05(水) 15:44:06 ID:v9W3WgSy
バイブル ペテロ第一の手紙より (^^)
あなたがたの信仰は試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて
イエスキリストが現れる時には、賞賛と栄光と誉れとをもたらすのです。
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、いま見なくても信じており、言葉で言い尽くせない
すばらしい喜びに満ち溢れています。
それは、あなたがた信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。
ペテロ第一の手紙 1章7〜9節 (^^)
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、
汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
イエスキリストによって神の子にしようと、御心(みこころ)のままに前もって
お定めになったのです。
神がその愛する御子(みこ)によって与えてくださった輝かしい恵みを、
私たちがたたえるためです。
わたしたちは、この御子において、その血によって贖(あがな)われ、
罪を赦されました。これは神の豊かな恵みによるのです。
エフェソの信徒への手紙1章4〜7節 (^^)
246
:
名無しのひつじさん
:2007/12/07(金) 20:42:12 ID:/GTeHdBk
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
わたしにつながっていながら実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶ者は、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことが
できないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、
実を結ぶことはできない。
わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かな実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
ヨハネの福音書15章1〜5節 (^^)
バイブル ローマの信徒への手紙より (^^)
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、
不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために
命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。
247
:
名無しのひつじさん
:2007/12/07(金) 20:43:36 ID:/GTeHdBk
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であった時でさえ、御子(みこ)の死によって神と和解させていただいた
のであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは
神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
ローマの信徒への手紙 5ー6〜11 (^^)
イエスの言葉より
わたしの父(天の神)の御心は子(イエスキリスト)をみて信じる者が皆
永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。
ヨハネの福音書 6ー40(^^)
248
:
名無しのひつじさん
:2007/12/07(金) 21:29:57 ID:/GTeHdBk
とりあえず
>>187-230
と
>>232-247
までを追加しておきます。
今後、表題をつけて整理していきます。
249
:
名無しのひつじさん
:2007/12/09(日) 16:31:29 ID:wVd7BCCc
http://menu.2ch.net/bbstable.html
http://thebbs.jp/null/monozygotic.html
http://ame.x0.com/
250
:
名無しのひつじさん
:2007/12/21(金) 21:30:07 ID:/GTeHdBk
リ○ゴ氏とダ○○ル氏という立派な働き主を、
主は2ch掲示板に与えてくださいました。感謝いたします。
多くのまっとうな信仰者が喜んで祈ってくださっていることを思います。
一人でも多くの方々がイエス・キリストの救いを受け入れ、
救われることができますように。アーメン
ニューエイジ運動の流れを汲む、
今はやりの「アセンション」うんぬんにはほんとうに辟易するばかりですね。
もちろん2012年にはなんにもおこらないでしょうが。
輪廻があってもなくてもクリスチャンにとってはさして大きな意味はない。
なぜなら、輪廻によっては「罪」は解決されないからだ。
人間はほんとうに神のまえに罪深い。聖書の御言葉にもあるように、
信仰によって清いものと扱われるのであって、
自らの行いによって清いものとなることができるわけではない。
御心を「おこなう者が神の国にはいる」のは主のお言葉どおり間違いない。
しかし、御心は、ひとりひとりに「はたしておこなっているだろうか?」と、
問いかけておられるところにあるのであって、
間違っても「おこなっていればいい」「おこなっているのだから」と、
慢心させるようなところにあるのではない。
ゆえに、御心を理解する人々は、信仰によって救われることができるのだ。
なぜなら、みずからの「おこない」によっては、
けっしてみずからを救いだせないことを悟るからだ。アーメン
251
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 12:12:48 ID:X3j5/7jE
「アセンションだ、次元上昇だ」と意味不明な言葉を弄んでいる、
ニューエイジムーブメントからながれてきた新宗教が今おおはやりだが、
それらとキリスト教をごっちゃにしないでほしいと思う。
神は「未来からやってきた地球人」でもなければ「火星や金星からやってきた宇宙人」でもない。
「UFO」に乗った「神」が地球人をさらいに来るとでもいうのか。
「銀河連邦宇宙人」とはいったいなんなのか?
神はこの宇宙を創造されたお方だ。被造物ではない。
「携挙」されるのは、みずからの罪深さを認め、悔い改めの信仰によって、
イエス・キリストにつながった方々である。
イエス・キリストが神の子・救い主であることを信仰告白しない人たちが、
あずかるわけではない。
輪廻転生によって自らを救いだせるというなら、
イエス・キリストによる贖いはいったいなんだ、というのだろう。
滑稽、酷悪な嘘偽りのない「神のまえにある哀れな自分の姿」をごまかさず直視できた者だけが、
イエス・キリストの救いを感謝して受け入れることができるのだ。
神を慕い求める心を持たない者は、神のまえにある自らの罪深さを認めることができないであろうし、
罪深さがわからなければ当然、イエス・キリストの救いにあずかることの意味も理解できまい。
すなわち、神を慕い求める心を持たない者は、イエス・キリストの救いを信じることができない、
救いを受け入れて信仰に歩むことなど、罪深さがわからなければ、
なんの価値も意味もないものだからだ。
ゆえに神は「行い」によって救うのではなく、信仰によって救うことにされたのだろう。
なぜなら神は、人間と、愛によって結ばれた関係をもちたいと願っておられるからだ。アーメン
252
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:20:28 ID:X3j5/7jE
2ch.netの良スレ集です。「イエスキリスト」スレッドのり〇ご氏のレスと、
「聖書を根底から学ぶスレッド」シリーズのダ〇エル氏のレスは、
求道者の方々にとってはもちろん、信仰者の方々で、聖書の御言葉を学び、
信仰を深めていきたい、神さまとの交わりを大切にしてきたい、と考える人たちにとっても有意義なものです。
74 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/19(水) 15:36
従って、今や、キリストイエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
キリストイエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを開放したからです。
(ローマの信徒への手紙 8ー1〜2) (^^)(^^)(^^)
主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、
あなたがたといっしょに御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。
(コリントの信徒への手紙 4ー14) (^^)
イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれたものです。
そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれたものをも愛します。
(ヨハネの手紙1 5−1 )
わたしは「ひとは1度死ぬことと、死んだら裁きに会うことが定められている」
と言ったのですよ。イエスを信じるものは裁かれない。これは聖書が言ってるじゃありませんか。
そして裁かれたくないならイエスを信じよ。と言っているのですよ。
イエスは弟子たちをとうして、ご自分を現されました。イエスの言葉同様、弟子の言葉をも信じる必要がある。
イエスと弟子のことばを第一、第二にするのは聖書では言っていません。
あなたは復活とラプチャー信仰はお持ちなのですか?
わたしはイエスの十字架と復活の信仰を告白していますよ。
それと御言葉にたいする正しい認識はこうなります。
もし1つの御言葉で理解できない時は、別の御言葉の光をあてて真意を知る必要があるということです。
イエスのことばと弟子の言葉を第一とか二とかにわけるのはまちがいです。神は調和の神ですよ
253
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:22:23 ID:X3j5/7jE
>>252
よりつづく
155 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/19(水) 22:07:05 ID:XNi7pTPE
主を愛するものは、主によって生まれた者をも愛します。と聖書に書いてありますよ。
また、兄弟を愛する者は律法を完全に守っているとも書いてます。
「わがことばを聞いてそれを行う」は各聖書の御言葉に照らしてみると、
主によって生まれた兄弟を愛するという結論になります。
愛は律法を全うするからです。何度も言いますように愛するとはその人の存在を喜ぶことです。
あなたはわたしを愛しておられますか?
主イエスの深い愛にふれて、♪ わたしにも愛が生まれ♪♪ 主イエスを信じた時から♪
喜びの歌がたえない♪♪♪ ア ソレソレ チャチャチャ ♪
ここのすれの住人がすべて救われますように アーメン (^^)
236 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/20(木) 14:40:29 ID:Wd8DfC3g
>荒らしの某レスの内容に触れて。。。
ちょっと拾い読みしただけですが、
(神・神の子エスキリストが)「罪人とともにずっとずっと限りなくいる」、と
聖書の何所の部分に書かれてあるのでしょうか?
ニューエージと福音は根本的に違います。以って非なるものです。
その言葉の響きは甘く、何か新しくて、興味をそそられるものですが言い換えると単に
あらゆる種類の占い、オカルトの類ですね、
どれも全世界で古くから伝承されてきたもので神様は厳重に禁止されました。
243 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/20(木) 16:01:26 ID:STjcHxeN
わたしたちの主イエスキリストの父である神がほめたたえられますように。
神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
254
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:23:25 ID:X3j5/7jE
>>253
よりつづく
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと
キリストにおいてお選びになりました。
イエスキリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
神がその愛する御子(みこ)によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
(エフェソの信徒への手紙) 1ー3〜6 (^^)(^^)(^^)
246 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/20(木) 16:08:37 ID:STjcHxeN
従って、今や、キリストイエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
(ローマの信徒への手紙 8ー1) (^^)(^^)(^^)
罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主(しゅ)キリスト・イエスによる永遠の命です。
(ローマの信徒への手紙 6ー23) (^^)(^^)(^^)
神の子の名(イエス・キリスト)を信じているあなた方に、
これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
(ヨハネの第一の手紙) 5ー13 (^^)(^^)(^^)
キリスト・イエスは、罪びとを救うために世に来られた。」と言う言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。わたしはその罪びとの最たるものです。
(テモテへの手紙) 1ー15 (^^)
だれでも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世の知恵者だと考えているなら、
本当に知恵者となるために愚かなものになりなさい。
この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
「神は知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる。」と書いてあり、
また、「主は知者の論議がむなしいことを知っておられる。」とも書いてある。
ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。
パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも。一切はあなたがたのものです。
そしてあなたがたは、キリストのものであり、キリストは神のものです。
(コリントの信徒への手紙 3ー18〜23) (^^)
255
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:26:25 ID:X3j5/7jE
305 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 00:53:25 ID:sCM6jT2P
パウロは一貫して、信じるものは「イエスの十字架による血によって人の罪の贖いは完成した。」と述べてますよ。
逆にこのイエスの十字架の完全性を否定するものは、イエスの成し遂げられた仕事に対する侮辱となります。
パウロが自らを「だれよりも大きな罪を犯した」と告白したのは、
どんな重罪者でもイエスを信じれば救われ、天の父のもとに行けるという意味ですよ。(^^)
事実、イエスといっしょに十字架につけられた極悪死刑囚は、死ぬ直前イエスにこういいました。
「主よ、あなたが御国の位におつきになる時はわたしを思い出してください。」と。
するとイエスは言われました。「まことに、あなたに告げます。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
これは最後まで信仰を持ち続ければ、天の父のもとに行けることをイエスの言葉が証明しています。
救われるのは死ぬ直前の信仰告白でも、イエスさまのみもとにいけます。(^^)
では、行いは重要でないかというと、そうではないとパウロや使途は言ってます。
ただし良い行いは救いの条件ではないことはたしかです。
救われるだけでいいなら聖書によれば、おわかりのとうり信仰告白だけOKです。(^O^)
行いの重要性は長くなるので述べません。よい行いをできるだけ忠実に守りたいなら、
主にある兄弟を愛せよ、というのが聖書の結論ですよ。
愛するとはその人の存在を喜ぶこと。イエスは復活後いわれました。
「わたしがあなたがたに与える新しい命令(おきて)は難しいものではない。」
ではこの命令とはなにか。これが兄弟愛なんです。
愛するとは喜ぶこと。そして、イエスキリストを信じることによる、罪からの開放による喜びとなります。(^^)
つまり、幼子のように喜んでればいい。だからイエスはこの掟(兄弟愛)は難しいものではない。と言われたのでした。
だって喜ぶだけならカンタンですものね。(^^)
それから、イエスの信仰告白をしたものは、「神の子」「罪びと」どっち?
「1つの聖書のみことばだけで理解できないときは、
別のいくつかの聖書の御言葉の光を照らしその真意を知る」と言う法則にあてはめれば、
シャロンさんの言う、「神の子」が正しいということになります。(^^)(^^)(^^)
256
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:30:32 ID:X3j5/7jE
>>254-255
よりつづく
292 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/20(木) 23:02:48 ID:Wd8DfC3g
イエスを信じた者は既にキリストと共に死んだのだから、もう死ぬ事はあり得ませんね。
【彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子
として神の子どもだからです。】 ルカ20:36
私達が通常「死」と言う言葉を使う時、「それは霊が肉体を離れる」、と言う現象を顕わ
していると思います。永遠の命を頂いた者はもう何回も生まれ変わる必要はないのだと思
います。又、天国は(信仰者であるわたしたちのうちに)既に始っていると信じています。
301 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/20(木) 23:49:26 ID:Wd8DfC3g
何年教会へ通って、洗礼を受けたとしても心から「イエスは救い主」と信じ、
口で告白しなければクリスチャンとは言えないよ。
322 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 15:05:32 ID:MRhXh9RC
神の権威と神の創造の技は、神さましかわかりません。それに復活の体については地上の栄光とは
全く別の栄光のと言われています。また、復活の体については、
天の神殿であるエルサレム(地上のエルサレムではない) についても言えます。
天のエルサレムの神殿は人手によるのでなく、神の手で作られるとあります。
復活体についても、人間の知恵では計り知れない栄光体であるわけですから、
それを納得いくように説明してと言うのはムチャです。
人間の知恵によっては、神を見出すことができないと聖書に書いてありますよ。(^^)(^^)(^^)
324 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 15:40:23 ID:MRhXh9RC
主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、
支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の緒霊を相手にするものなのです。
257
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:31:50 ID:X3j5/7jE
>>256
よりつづく
324 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 15:40:23 ID:MRhXh9RC
だから、邪悪な日によく抵抗し、全てをなし遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身につけなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができます。
また、救いを兜(かぶと)としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉をとりなさい。
(エフェソの信徒への手紙 6ー10〜17) (^^)(^^)(^^)
332 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 16:14:54 ID:MRhXh9RC
十字架の言葉は、滅んでいく人にとっては、愚かであっても、わたしたち救われる者にとっては神の力です。
それはこう書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものとする。」
知恵ある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。
神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。
そこで神は宣教という愚かな手段によって信じるものを救おうと、お考えになったのです。
(リントの信徒への手紙 1ー18〜21) (^^)(^^)(^^)
336 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 16:33:42 ID:MRhXh9RC
イエスキリストの言葉
心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。わたしの父の家には住まいがたくさんある。
もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
(ヨハネによる福音書 14ー1〜3)
258
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:36:12 ID:X3j5/7jE
>>257
よりつづく
336 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 16:33:42 ID:MRhXh9RC
わたしたちの地上の住みかである幕や(まくや)が滅びても、神によって建物が備えられていることを、
わたしたちは知っています。人の手で造られたものでない天にある永遠の住みかです。
わたしたちは、天から与えられる住みか(復活の体)を上に着たいと切に願って、この地上の幕や(肉体)にあって
苦しみもだえています。それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。
この幕やに住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。
死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。
(コリントの信徒への手紙 5ー1〜4)(^^)
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。
(ローマの信徒への手紙 10ー9〜10 )
353 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/21(金) 19:12:43 ID:MRhXh9RC
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、
不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために
命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。
それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
敵であった時でさえ、御子(みこ)の死によって神と和解させていただいた
のであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは
神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
(ローマの信徒への手紙 5ー6〜11) (^^)(^^)(^^)
259
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:43:50 ID:X3j5/7jE
>>258
よりつづく
440 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/22(土) 16:29:45 ID:cy6tkhms
イエスキリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
(ヘブライ人への手紙 13-8)
わたしたちは、最初の確信を最後まで持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。
(ヘブライ人への手紙 3-14) (^^)
そのとき、イエスはこう言われた。
「天の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、
幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
すべてのことは、父からわたしに任されています。父のほかに子を知る者はなく、
子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイによる福音書 11-25〜30) (^^)(^^)(^^)
513 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/23(日) 16:39:10 ID:JYsyNLOH
律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。(ヤコブ2-10)
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。(ローマ7-24)
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。
このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。(ローマ8-24〜25)
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれているものは、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、
罪と死との法則からあなたを開放したからです。
(ローマ8-242〜5、8-1) (^^)(^^)(^^)
260
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 13:49:35 ID:X3j5/7jE
>>259
よりつづく
517 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/23(日) 17:47:48 ID:JYsyNLOH
だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、
「あなた(イエス・キリスト)のゆえに異邦人は皆、祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。
それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。
律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。
「律法の書に書かれているすべてのことを絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
律法は、信仰をよりどころとしていません。「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖(あがな)い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、
また、わたしたちが、約束された(霊)を信仰によって受けるためでした。
(ガラテヤの信徒の手紙 3-7〜14) (^^)(^^)(^^)
526 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/23(日) 20:26:50 ID:JYsyNLOH
イエスさま時代の奇跡は、ある共通点がありますyo。そのような奇跡を行えるのは、イエス様が直にその力を与えられた場合、
あるいはパウロおよび12弟子が直にその力を与えた場合。そして、もう1つ。それはユダヤ人だということ。それ以降、
ユダヤ人が国家としてイエスを拒否したため、救いは異邦人へ移りました。異邦人への伝道はおもにパウロが遂行しましたが、
パウロは奇跡をつかっての伝道という方法はしてません。
(一部を除いて)。パウロはイエスの十字架と復活を、奇跡ではなく「宣教という愚かな方法」で広めたとあります。
イエスさまは奇跡を使ってでもユダヤ人を救いたい考えでしたが、
恵みが異邦人へ移って以降、奇跡による伝道は主の御心でないかもしれません。
わかりませんが。また、別の言い方をすれば、賜物のことが聖書にあります。
信徒にはいろいろな賜物があると。奇跡を行える賜物もその1つ。
クリスチャンにもそのような人な少なからずいます。
ほかにもいろんな賜物があるわけです。さらに重要なことですが、
パウロ以降現代クリスチャンの最大かつ共通の奇跡は、主イエスを受け入れた時の聖霊降臨です。
神様の愛つまり、喜びの霊が降り注いでくる。そのことは信じる者によって証されていると書いてあります。これが最大の奇跡です。
261
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:15:01 ID:X3j5/7jE
>>260
よりつづくまた、生まれつき障害をもった人たちについての件ですが、
イエスさまがパリサイ人から次のような質問を受けたました。
「この人が(障害者として)生まれたのは、なにが原因か。
この人、(そして親)が罪を犯したからか。」イエスはお答えになりました。
「この人のせい(罪)でもなけれ、親のせいでもない。この人に神の力が現されるためだ。」と。
あとは何もおっしゃっていません。(^^)(^^)(^^)
543 :世の光 地の塩 シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/24(月) 11:52:33 ID:olFINDHK
障害がある人も、無い人もイエス様を信じるなら、全て神の子です。
しかし敢えて言うなら、人は誰であれ、精神的にも肉体的にも何か、何所かに障害を持つ者
だと思っています。霊肉が全部健康な人はいないと思っています。だからこそイエス様が来
てくださいました。全てに完全な御方はイエス様ただ御一人。
神様の前に「障害者」という言葉は幻想? 聖書にはその言葉は存在しない?
560 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/24(月) 14:42:00 ID:yAKeomcl
キリスト・イエスは、罪びとを救うために世に来られた。」と言う言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
(テモテ1ー15)
☆イエスは言われた。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
(マタイ11-25〜30)
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。(ローマ10ー9〜10)
「賛美、栄光、知恵、感謝、誉、力、威力が世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン」
(^^)(^^)(^^)
262
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:17:45 ID:X3j5/7jE
561 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/24(月) 15:26:21 ID:yAKeomcl
神は、定められた時にキリストを現わしてくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、
だれ一人見たことがなく、見ることができない方です。(テモテ 6-15〜16) (^^)
この神に誉れと永遠の支配がありますように。
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、
義を導く訓練をするうえに有益です。(第二テモテ3ー16) (^^)
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、
イエスと一緒に導き出してくださいます。
主の言葉にもとづいて次のことを伝えます。
主が来られるまで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降(くだ)って来られます。
すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、
空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれ引き上げられます。
このようにしてわたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、
今述べた言葉によって励まし合いなさい。(テサロニケ4-13〜18) (^^)
596 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:25:18 ID:ioRWxQaM
イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれたものです。
そして、生んでくださった者を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守る時はいつも、
神のこどもたちを愛します。
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
神から生まれた人は皆、世に勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
だれが世に勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
(ヨハネ 5-1〜5) o(^-^o)(^-^o)(^-^o)/
263
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:18:58 ID:X3j5/7jE
>>261-262
よりつづく
597 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:29:43 ID:ioRWxQaM
o(^-^o)(^-^o)(^-^o)/
神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、
永遠の命を悟らせたいからです。(ヨハネ 5-13)
わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。
というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。
わたしたちの間でキリストのためになされている全ての善いことを、あなたが知り、
あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。
兄弟よ。わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。
聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。(フィレモンへの手紙 1-4〜7 )
o(^-^o)(^-^o)(^-^o)/
599 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:44:18 ID:ioRWxQaM
だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、
「あなた(イエス・キリスト)のゆえに異邦人は皆、祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。
それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。
律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。
「律法の書に書かれているすべてのことを絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。
律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。
律法は、信仰をよりどころとしていません。「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖(あがな)い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
それは、アブラハムに与えられた祝福が、
キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された(霊)を信仰によって受けるためでした。
(ガラテヤの信徒の手紙 3-7〜14) (^^)(^^)(^^)
264
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:20:56 ID:X3j5/7jE
>>263
よりつづく
600 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/25(火) 15:56:10 ID:ioRWxQaM
見よ、わたしはすぐに来る。わたしは報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして最後の者。初めであり、終りである。
命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を清める者は幸いである。
(ヨハネの黙示録 22-12〜14) (^^)(^^)(^^)
さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人に向けられています。
それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためです。
なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。
律法によっては罪の自覚しか生じないのです。
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
(ローマの信徒への手紙 3-19〜22) (^^)
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、
御子(イエス・キリスト)によってわたしたちに語られました。
神は、この御子を万物の相続者と定め、また御子によって世界を創造されました。
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現われであって、
万物をご自分の力ある言葉によって支えておられますが、
人々の罪を清められたあと、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
(ヘブライ人への手紙 1-1〜4)
641 :ひたむきに シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/12/27(木) 14:32:43 ID:PkVjB3LW
>639
原罪に気付き、救いを願う者の為にイエス様は十字架の贖いをして下さいました。
気付きなくして真の救いの喜びも無いのよ。 お医者様に行けば病気になった原因を探るでしょう?
265
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:31:31 ID:X3j5/7jE
643 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/27(木) 16:14:04 ID:W2w3YVsb
あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、
その足跡に続くようにと模範を残されたからです。「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。
そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが罪に対して死んで、
義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。
(ペテロ第一の手紙 2-21〜25) o(^o^)/
同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても
妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。(ペテロ第一の手紙 3-1) (^^)
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として
おいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、
私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
(ピリピ 3ー17〜21) o(^o^)/
最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、
あなたがたの安全のためにもなることです。
どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。
神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、
私は、それ以上です。
私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、
また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、
すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
(ピリピ 3ー1〜9) o(^o^)/
266
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:32:33 ID:X3j5/7jE
>>264-265
よりつづく
663 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 16:15:19 ID:M6cXOMEb
人々が幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが弟子たちは、彼らがうるさいので、しかり付けた。
すると、イエスはそれをご覧になり、憤って彼らに言われた。「幼子たちを追い返さないで、来るままにしておきなさい。
その子たちがわたしの所へ来るのを、邪魔しないように。神の国は、この幼子のような者たちの国です。
よく言っておきますが、確かに、あなたがたも悔い改めて、この幼子のように、素直に神の国を受け入れる者でなければ、
神の国に入ることはできません。」。
そして、イエスは幼子たちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
(マルコによる福音書 10-13〜16) o(^o^)/
664 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 16:25:16 ID:M6cXOMEb
こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、
愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。
それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
(ピリピ2ー1〜11)
665 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 16:29:51 ID:M6cXOMEb
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。
(ローマ10ー9〜10) o(^o^)/
267
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:35:41 ID:X3j5/7jE
>>250-265
よりつづく
しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネの手紙 第一 1:12)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子のよって世が救われるためである。
(ヨハネの福音書3:16−17)
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、
そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。
(エフェソの信徒への手紙 1ー13〜14)
兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。
そして、それからのがれることは決してできない。
しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、
その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、
救いの望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、
わたしたちの主イエス・キリストによって救いを得るように
定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、
さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
だから兄弟たちよ、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。
(テサロニケ第一 5-1〜11)
268
:
名無しのひつじさん
:2007/12/31(月) 14:37:26 ID:X3j5/7jE
>>250-267
よりつづく
わたしたちが神の子と呼ばれるためには、
どんな大きな愛を父から賜ったことか、よく考えてみなさい。
わたしたちは、すでに神の子なのである。
世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。
しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。
彼(イエス・キリスト)が現れる時、
わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。
そのまことの御姿を見るからである。
(ヨハネ第一の手紙 3ー1〜2) o(^o^)/
☆一連のレス →
>>250-268
269
:
Happy new year
:2008/01/01(火) 11:58:01 ID:wVd7BCCc
Happy new year
270
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 11:52:54 ID:OPqtkCj2
679 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/28(金) 21:59:27 ID:M6cXOMEb
しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネの手紙 第一 1:12)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子のよって世が救われるためである。
(ヨハネの福音書3:16−17)
688 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/29(土) 15:47:06 ID:uMkQXagw
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、
そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。 (エフェソの信徒への手紙 1ー13〜14) (^-^)
689 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/29(土) 15:51:21 ID:uMkQXagw
主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。
いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。
まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生まれ、山もまだ定められず、
丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。
すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。
彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。
彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、 海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、
また地の基を定められたとき、わたしは、そのかたわらにあって、
名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。
それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの道を守る者はさいわいである。(箴言8章)
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
271
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 11:54:07 ID:OPqtkCj2
>>270
よりつづく
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。
召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。 このぶどう酒がどこから来たのか、
水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。
(ヨハネによる福音書 2章:1〜12節)
幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、
多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、
イエスは御言を彼らに語っておられた。
すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。
ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、
中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。イエスは彼らの信仰を見て、
中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、「この人は、なぜあんなことを言うのか。
それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。
イエスは、彼らが内心このように論じているのを、
自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。中風の者に、
あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、
中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、
「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。
(マルコ2ー1〜12) o(^o^)/
272
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 11:55:08 ID:OPqtkCj2
>>271
よりつづく
710 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/30(日) 16:09:09 ID:b6tzVF8X
兄弟たち、あなたがたが召された時のことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵ある者が
多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけではありません。
ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるために、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため
世の無力な者をお選びになりました。
また、神は地位ある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や
見下されている者を選ばれたのです。
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、
義と聖と贖(あがな)いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
(コリントの信徒への手紙 1ー26〜31) o(^o^)/
742 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/31(月) 20:40:41 ID:ic/9Fjk3
主よ、あなたをほめたたえます。アーメン。愛するみなさま、もうすぐ新年ダヨ〜ン。
☆リンゴより
天のエルサレムにおける無数の御使いによる神の大祝会!その席数は膨大です。
かなり席が埋まってまいりました。
しかし天の父が招待客を見渡すとまだ空席があるようです。
天の父は言われます。大通りに行き、かたっぱしから声をかけ無理にでも連れて来て
子羊の婚宴の席を満席にするようにと。
最後の招待客が決まった時、天使がラッパを吹きラプチャー預言が成就いたします。
今は恵みの時、救いの日です。 o(^o^)/
743 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2007/12/31(月) 22:16:32 ID:ic/9Fjk3
イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。
また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、
「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。
273
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 11:56:10 ID:OPqtkCj2
>>272
よりつづく
多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、
イエスに従ってきたのである。
パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、
弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マルコ2ー13〜17)
751 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/01/01(火) 16:14:31 ID:JV0mKlaZ
野の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも、着飾ってはいなかった。
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄いものたちよ。
あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
(ルカによる福音書 12ー27〜29) o(^o^)/
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、
取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、
すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。
(ローマ 8ー18〜24) o(^o^)/
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。
わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、
たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
274
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 11:57:14 ID:OPqtkCj2
>>273
よりつづく
次のように書かれていることが実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエスキリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、
主の業(わざ)に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、
あなたがたは知っているはずです。(リントの信徒への手紙 15ー51〜58) (^^)(^^)(^^)
タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよう。ハレルヤ。(詩篇150:4-6)
768 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/01/02(水) 15:53:05 ID:ptcFdnXv
☆主イエスの御名を賛美いたします。
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
(テモテ 4ー7〜8) (^-^)
信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。
神が彼を移されたので、見えなくなったのです。
移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
(ヘブライ人への手紙 11ー5) (^-^)
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、
私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに、信仰によって導き入れられた私たちは、
神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマの信徒への手紙 5-1〜4) (^-^)
275
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 11:58:16 ID:OPqtkCj2
>>274
よりつづく
天の国はつぎのようにたとえられる。ある家の主人が、
ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
主人は一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 また、九時ごろ行ってみると、
何もしないで広場に立っている人々がいたので「あなたたちもぶどう園に行きなさい。
ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それで、その人たちは出かけて行った。
主人は十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、
「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、
彼らは「だれも雇ってくれないのです」と言った。
主人は彼らに「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。
夕方になって、ぶどう園の主人は監督に「労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、
最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。
そこで五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、
もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。 「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは」
主人はその一人に答えた。
「友よ、あなたには不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それともわたしの気前のよさをねたむのか」
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。(マタイによる福音書 20-1)(^-^)
☆主イエスの御名を賛美いたします。
神の子の名(イエス・キリスト)を信じているあなた方に、
これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
(ヨハネの第一の手紙 5ー13)
口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公けに言い表して救われるからです。(ローマ10ー9〜10)
276
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 12:00:19 ID:OPqtkCj2
>>275
よりつづく(ぶどう園のたとえ話について)
ぶどう園の主人とは神様のことです。父なる神様でありイエスさまでもあります。
イエスさまの御心であり、父なる神さまの御心なので、これは神の御心は神のみぞ知るということになります。
はっきりわかっているのは、すべてのクリスチャンは天のエルサレムにおいて、
ご褒美(神の子の特権、いろいろあり)をいただけます。
地上では教会の役員を決めるのに多数決を取り入れたりしますが、天の御国ではそういうことはなく
すべて神さまが決められます。信仰歴がながいとか、人間的に立派だとかは全く問題ではなく
天の御国では、どうでもいいようなクリスチャンが先になり、
尊敬を集めていたクリスチャンがあとになる番狂わせがあるということです。
(ようするに神の国へ即入らせてもらえる、信仰によって義とされた「先になるクリスチャン」と、
罪深さをみとめ、悔い改め、キリストの救いにあずかろうとするまで、神の国の門の前で足止めをくらう
いわゆる「後になる(カトリック教の信徒のような)クリスチャン」があるということです。)
すべて神の思いのままに賞賛を受けます。
天の御国のたとえ話が、ほかもあるのでご紹介いたします。o(^o^)/
天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、
大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、
正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。
彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。
そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、
自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」(マタイ13ー44〜51 )
277
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 12:02:17 ID:OPqtkCj2
>>276
よりつづく
イエスはまた言われた。「神の国は、何に比べたらよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
それは、ちょうど一粒のからし種のようなものです。地に蒔かれる時には、ほかの種よりも小さいですが、
一度、蒔かれ、生長すると、ほかのどの野菜よりも大きくなり、
大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作るほどになります。」(マルコ 4-30〜32)
イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。
それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。
女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」
(マタイ13ー31〜33)
808 :リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2008/01/03(木) 16:49:02 ID:WQGn5Rgo
☆主イエスの御名を賛美いたします。o(^o^)/
御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。
道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、
すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、
しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、
この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、
その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
(マタイ13ー19〜23)
バイブルより☆キリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために 命を惜しまない者ならいるかも知れません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛をお示しになりました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
278
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 12:04:26 ID:OPqtkCj2
>>277
よりつづく
敵であった時でさえ、御子(みこ)の死によって神と和解させていただいたのであれば、
和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、わたしたちの主イエスキリストによって、わたしたちは、
神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
(ローマ5-6〜11) o(^o^)/
天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、
もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。
『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。
私はさらに五タラントもうけました。』その主人は彼に言った。
『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、
私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。
さらに二タラントもうけました。』その主人は彼に言った。
『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、
私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、
散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。
さあどうぞ、これがあなたの物です。』ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。
私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。
279
:
名無しのひつじさん
:2008/01/04(金) 12:07:37 ID:OPqtkCj2
>>278
よりつづく
そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。
(マタイ 25ー14〜30)
☆主イエスの御名を賛美いたします。
天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り憤って、恐怖に落し怒って、彼らに宣言される。
「聖なる山シオンでわたしは自ら、王を即位させた。」
主のさだめされたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。
「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。」
求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし地の果てまで、お前の領土とする。
お前は鉄の杖で彼らを打ち、陶工が器を砕くように砕く。(詩篇2 )
主イエスの御名を賛美いたします。バイブルより
☆キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。(ガラテヤ 5ー1)
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>>270-278
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