割りばし事件判決前に 1
1999年に起きた通称「割りばし事件」の公判が本年の1月12日に結審しました.しかし,私は敢えてこれ以降「割りばし事故」と呼びます.この主旨は,そもそも刑事事件として扱われること自体が不当だということです.予想された通り,業務上過失致死罪に問われた医師は無罪を主張しました.判決は3月28日だそうです.
「割りばし事故」の概要は
ここをご覧下さい.このサイトは全体としてかなり大きく,興味の少ない方が全部読むことはないと思いますので,要点を抜粋するとともに私個人の意見を付け加えます.
まず事故発生時の事実を以下に列挙します.
・ 受傷時の状況を母親がまったくみていない
・ 刺さった割りばしの行方を,母親も救急隊も全く意識していない
・ その結果折れて刺さった割りばしの残りは発見されていない
・ 救急隊からの報告は二次救急相当(ただちに救命救急処置を必要とする状態ではない)
・ 救急隊からの連絡を受けた管理当直医は皮膚科講師
・ 管理当直医は「喉を箸で突いた」と聞いたので頚部外表面皮膚の損傷と解釈し,形成外科受診を手配
・ 救急外来に到着した救急隊が形成外科受診になっていることに気が付いてから耳鼻科受診希望と再度申し出て被告人N医師が呼ばれた
他にも「事実」はいろいろありますが,ここでは関係者の重症度認識を示す事実を中心に抜粋しました.救急隊にも連絡を受けた医療機関にも,脳損傷の可能性は全く念頭に無かったのがよく分かります.「刺さった割りばしが折れて先が見つからない」という情報があれば事態が一変したのは間違いありませんが,この情報は無かったようです.これらの事実から考えると被告の耳鼻科医師が脳損傷を疑うのは困難かと思います.もしその可能性があるとすれば,それは受傷者の症状からということになります.検察側の陳述では「ぐったりとした状態」ですが,その程度は病院側の主張と食い違いがあります.どちらが正しいのか第三者には判りません.ですが,石神井消防署長名で
裁判所に提出された回答書には,消防隊長の判断では「意識清明 散瞳なし 対光反射あり バイタルサイン異常なし」になっています.かりにある程度ぐったりしていてもそれが即脳損傷を疑う症状とは思えません.このような状況からは,検察の主張
「重大な頭蓋内損傷が疑われた。」
には無理がありますし,
「詳細な問診によって割りばしが見つかっていないことの聴取を怠った。」
ことに大きな責任があるとは思えません.必要な情報を聞き出すのが医師の問診かもしれませんが,救急医療の現場でここまで要求するのは無理だと思います.
司法解剖所見は
ここをご覧下さい.専門用語が多く,医師でないと解らない部分も多いと思います.ここではキーワードの頚静脈孔について写真で解説します.

提示した写真は,頭蓋骨を輪切りにしてその上部と脳を取り除いた状態で,頭蓋底を上(頭頂部側)から見たものです.写真の右が全体図,左は関心領域の拡大図になります.番号の33が左頚静脈孔です.割りばしは左頚静脈孔を通って頭蓋内に進入したことになります.解剖所見にある通り,犠牲者の左頚静脈孔の大きさは骨のみの状態にしても1.2cmx0.7cmです.実際には軟部組織がありもっと狭い状態です.私が調べた範囲では,その事故の原因となった割りばしのサイズは分かりません.また割りばしを割った状態で使用したのか否かも分かりません.しかし推測はできます.綿飴に使う割りばしは駅のスタンドなどで使う安物だと思います.この手の割ばし径は割らない状態で1cmx0.5cmほど(先端の一番細い部分は0.8x0.4cm程度:2月27日に追記)です.頚静脈孔は正中からずれていることもあり,たとえ割った状態でも割りばしがすっぽり納まる確率は非常に低いと思われます.割りばしが正中を突いたのであれば図の番号36斜台と呼ばれる部分に当たりますが,ここは骨が厚く,割りばし程度で貫通するのは困難と思われます.司法解剖担当医の証言でも,割りばしで頭蓋底骨折を起こすのは極めて困難という認識です.従って検察側の主張である,
「転倒による割りばしの貫通圧は相当のものがあり、先端が頭蓋底に達し、周辺の神経・血管等を損傷する可能性があることは容易に推察可能である。」
は成り立たないと思います.(続く)
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こんばんは。
事件当時から私が気になっていたのは「本人」「母親」「医師」のそれぞれの「過失度」はともかく。
「割り箸が刺さったケガ」への手当てをしていれば「何事もなく」助かったはずの外傷なのか、です。
異物が脳に達するような外傷では成人でも命を落とすことが珍しくありません。
「どのような手当てを尽くそうとも助けられなかった」外傷なら医師を責めるだけ「ムダ」です。
受傷したのが幼い子供だったこと。母親が「事故の瞬間」を見ていないことなど、いくつもの「不幸な偶然」が重なった結果で、担当医師にとっても無念で不幸な出来事だったと思われます。
充分な情報が与えられずに、患者に完璧な処置を施すことは不可能でしょう。
「与えられた」情況の中で「ベストを尽くしたか」が「医師の責任」だとすれば、この救急担当医は「ベストを尽くした」と見るべきでは、と思います。
# 女王様さん
>「割り箸が刺さったケガ」への手当てをしていれば「何事もなく」助かったはずの外傷なのか
この記事の続きをお読みなればお解りと思いますが,私個人の意見は救命は極めて困難な状況だったと考えています.
>「不幸な偶然」が重なった結果
で一人の医師が罪人にされようとしている,と思います.
>「ベストを尽くした」
常にベストを尽くすのはどんな職業でも難しいことです.精一杯やっても端からはベストを尽くしていないと思われることも少なくありません.医者の場合,裏目に出た結果に対してベストを尽くしていないから犯罪だと言われるような状況では,そうした医療には関与しないという医者が増えるだけで,結果として救急医療は荒廃していくと思います.
2はコメントし難いのでこちらに(^_^;
ワタシの息子は3歳の時にスプーンを咥えて転倒しました。幸い軟口蓋を切っただけでした。
(縫合を試みましたが無理でした)
歩き食いとポケットに手を突っ込んで歩くのを見ると他所の子供でも注意します。
医療事故専門(訴訟側)の会があるそうです。
# B級歯科医さん
>2はコメントし難いのでこちらに(^_^;
などと仰らずに気楽にコメントお願いします.
>歩き食いとポケットに手を突っ込んで歩くのを見ると他所の子供でも注意します。
そういう大人が減りましたね.立派です.
>医療事故専門(訴訟側)の会がある
どういうメンバーがどういう活動をしているのか,興味があります.
# B級歯科医さん
有り難うございます.私もこれからよく見るかもしれませんね.
>「割り箸が刺さったケガ」への手当てをしていれば「何事もなく」助かったはずの外傷なのか
この疑問を法律用語に置き換えると「結果回避可能性は有るのか?」
つまり、法律としての過失の構成要件(必要条件)そのものです。
検察の主張:(証人:日本脳神経外科学会会長と都立病院脳神経外科部長)
死因は主として血腫の圧迫による脳ヘルニアなので血腫除去 外減圧(頭蓋骨を部分的に外すこと)で死亡は回避できる
弁護側主張:(証人:日本神経外傷学会会長と私立大救急科教授)
死因は主として静脈血栓による還流障害なので血行再建・救命は不可能
どちらも一定の根拠に基づいている説ですが、弁護側の方が説得力があると専門家の端くれとしては考えています
# いのげ@被告人支援の会会長さん
コメント有り難うございます.長い支援努力が明日実を結ぶことを祈ります.
>死因は主として血腫の圧迫による脳ヘルニアなので血腫除去 外減圧(頭蓋骨を部分的に外すこと)で死亡は回避できる
「割り箸除去」なくても・・という意味でしょうか?それとも割り箸除去は簡単という認識なのか,気になります.
>死因は主として静脈血栓による還流障害なので血行再建・救命は不可能
これが弁護側の主張であるとは知りませんでした.素人考えでは,一側の内頚静脈閉塞でにわかに死に至る大きな静脈洞血栓症をきたすとは考えにくいのですが・・・外傷や救命救急の専門家の説明だから妥当な根拠があるのだと信じます.
医療関係の方の書き込みが多いようなので法律的観点から書き込みをさせていただきます。
まずは二つのパターンを想定して…。
1.CTを撮るなりして頭蓋内の割り箸を発見できれば志望が回避できた場合
この場合は通常の医師ならば脳外科へ回す等の処置を考えられたかによると思います。
ヤブ医者さんの挙げられた事実からすればその可能性は低いように感じます。ただ、ここにはあがっていませんが死亡した子供の母親が帰宅を指示した医師に対して本当に帰ってもいいのかと何度も食い下がったということも聞いています。
また、この医師が研修医だったことも考えれば、他の医師にアドバイスを求める等は異常なことだとは思えません。
以上から、医師ももう少し様子を見るなりなんらかの処置をすることは可能だったようにも思えます。
この点につき過失はあると思います。
2.割り箸が頭蓋内にあることがわかったとしても、手術等の処置によって救命することが殆ど100%不可能な場合
法は不可能は求めませんのでこの場合はたとえ診療を全くしなかったとしても刑法上の罪に問われることはありません。
ただ、上記のように割り箸が頭蓋内にあることがわかる可能性があった以上、法的責任は皆無だとしても道義的責任は免れないと思います。
とりあえずナオさんの疑問について
なぜ症状について一切考慮されないのでしょうか?
解剖所見で割り箸が刺さっていた小脳半球の外部というところ、ここは神経症状が出ない場所なのです。来院時は神経症状が無かったとしても矛盾しないし、現に救急隊や看護婦の書類記録でもそうなっている。検査や脳外科紹介する根拠が無いのです。
親御さんの発言も「大丈夫ですか」とはいったそうですが、これこれこういう症状がある、いつもと違うという具体性が一切無い。だれだって怪我したときは不安がありますから、気休めを言うのはそれこそ親切と言うものです。
もう一点 事件は7月上旬だったのですが、被告人は5月に研修を終えて専攻医という身分でした。研修医だったという情報は当時の院長が誤って発言したために広がったものです。被告人は他の病院で救急も担当したことがあったそうです。
道義的責任は多少コンセンサスの難しい部分もあるでしょうが、刑事責任については白黒はっきりすることでしょう。
ちなみに刑法の最高裁判例では過失の構成要件である結果回避可能性とは少なくとも「十中八九」であることを必要とするとされています。民事ではまたちがいます。
# ナオさん
いのげさんが書いて下さっていることでほぼ尽くされていますが,一応私の意見も書いておきます.
>CTを撮るなりして
CTは被曝があります.また患者さんの支払いは増えます.CTは医学的に必要と判断された時のみ許される検査です.「喉を箸で突いたが,すでに抜けて止血している」という判断からはCTは適応になりません.結果的にみればこの判断は誤りだったわけですが,判断の誤り=過失にはなりません.その判断が一般的な医学水準から考えて著しく妥当性を欠く場合にのみ過失になるのだと思います.
>何度も食い下がったということも聞いています。
たぶん母親の手記のことだと思いますが,この辺りの事情は病院関係者の証言とは必ずしも一致しない様です.意図せずとも人の記憶は時とともに都合良く作り変えられることもあるでしょう.確かな事実以外は人を有罪とする根拠とはならないと思います.
>可能だったようにも思えます。
>この点につき過失はあると思います。
不可能でないことは全て可能です.可能であることをしなかったから過失とは言えません.「もう病院で様子を見る必要はない」という判断が過失に相当するかどうかが争点だと思います.
>法的責任は皆無だとしても道義的責任は免れないと思います。
法的責任を問われていることがおかしいという主張で記事を書いています.私は道義的責任に関しては一切触れていません.なお,
>可能性があった以上・・道義的責任は免れない
という主張も,可能性の程度問題であり,一般論として通用する理屈ではないと考えます.
>いのげさん
私自身医療には詳しくありません。ですから場合分けをしてその前提に立った上で書き込みをさせていただきました。
> これこれこういう症状がある、いつもと違うという具体性が一切無い。
見てわかるほど明らかにおかしいのであれば説明するまでもないと思います。大丈夫だと医師がいわれたのならそういう状況になかったからなのかも知れませんね。その判断が正当かどうかはわかりませんが…。
小脳半球の外部の損傷が神経症状を引き起こさないのであればなおさら注意深く判断すべきだと思うのですが。少なくとも医師は割り箸によって怪我をしたという事実は把握していることと思います。怪我をしている部分の延長線上に脳がある、では怪我をした原因の割り箸はどうなったのかとチェックすべきようにも考えられるのではないでしょうか。
専攻医だったとしても研修を終えてわずか2ヶ月の医師なので研修医とそれほど大差ないと思います。
>ヤブ医者さん
CTは被曝があり患者の支払いが増えるなどということはどうでもいいことです。被爆も普通のレントゲンと比べれば大きいですが、たった1度のCTによりガンになるリスクなどとるに足らないものでしょう。
それに「判断が一般的な医学水準から考えて著しく妥当性を欠く場合にのみ過失になる」ではなくて、一般的医学知識や水準から考えて妥当性を欠けば過失といえるでしょう。著しく妥当性を欠く場合は重過失です。
意図せずとも人の記憶は時とともに都合良く作り変えられることもあるでしょうと言われますが、それは病院側にも言えることです。そんなことはないと思いますが、立件まで相当の期間があいていますしカルテの改ざんなど容易に出来ます。
ただ、確かな事実以外は人を有罪とする根拠とはならないということは全くその通りです。
>可能だったようにも
私はその可能性はかなりあったと思っています。だからこそ過失があると考えたのです。
>私は道義的責任に関しては一切触れていません
ヤブ医者さんが触れているかどうかは関係ありませんよ。私個人の考え方を述べただけです。
>可能性があった以上・・道義的責任は免れない
繰り返しになりますが、かなりの可能性があったと考えられるので道義的責任があるということです。
# ナオさん
>CTは被曝があり患者の支払いが増えるなどということはどうでもいいことです。
常にプロスペクティブに判断して行動することを迫られる医師にとって,CTの被曝もコストも非常に重要な事柄です.ナオさんが仰るのは「子供が死亡した事の重大さに比べればどうでもいい」という結果論に過ぎません.当直医師がCTを考慮しなかったのは容態が急変する以前の出来事です.(常にレトロスペクティブに結果論で物を言う法律家が医療事故を判断することに我々が和感を感じるのがお解りになりますか?)もしナオさんが仰ることが本当なら,高熱・頭痛・吐き気・嘔吐などを訴えてきた小児には髄膜炎を否定するために全例CTを施行しないといけません.しかも造影剤の使用が必要になります.さらにCTで所見が陰性でも,髄液検査の追加や一晩入院させる必要が出てきます.過剰医療は大問題で,医療経済と救急医療の破壊に繋がります.
>たった1度のCTによりガンになるリスクなどとるに足らない
累積被曝量は大問題で,だからこそムダな放射線検査は極力減らす必要があります.2004年にランセットに発表された論文
Risk of cancer from diagnostic X-rays: estimations for the UK and 14 other countries. Lancet 2004; 363: 345-51
では診断X線による発ガンリスクは日本が最大と推定され,年間7587例のガンが検査で誘発されていると結論されました.この論文の推定根拠には問題がありそのまま受け入れるのは無理ですが,無視できないのも確かです.また放射線による発ガンリスクは年齢が下がるほど大きくなります.理由は細胞分裂が盛んであること,期待予後が長いことです.小さな子供に不必要の放射線検査を行うことは間違っているのです.割り箸事故でCTが必要だったというのもまた結果論に過ぎないと私は考えています.
>一般的医学知識や水準から考えて妥当性を欠けば過失といえるでしょう。著しく妥当性を欠く場合は重過失です。
仰ることは確かですが,一方「著しい」か否かは主観も相当に入る判断です.そして私の記事は基本的に刑事医療訴訟を対象にしています.刑事では「著しい過失」だけを対象にすべきだと考えます.
>カルテの改ざんなど容易に出来ます。
カルテ改ざんは容易ではありません.きちんと調べれば矛盾が多いためほぼ確実にばれます.また電子カルテでは改ざんは事実上不可能です.
>私はその可能性はかなりあったと思っています。だからこそ過失があると考えたのです。
ナオさんがどの様にお考えになろうとナオさんの自由です.ただ,たぶん医療従事者ではなく,医学知識もたぶんそれほどお持ちでないナオさんが,また,たぶんその現場に立ち会ったわけでもないナオさんが,(「たぶん」の部分は私の推測に過ぎません.事実と異なるなら謝罪します.)「もう少し様子を見るなりなんらかの処置をする可能性はかなりあった」とお考えになる根拠がどこにあるのか疑問を感じます.なお,この場合は「可能性」は不適切な言葉で「必要性」が正しいと思います.
>ヤブ医者さんが触れているかどうかは関係ありませんよ。私個人の考え方を述べただけです。
私もナオさんのコメントに対して私個人の考えを述べただけで,その点ではナオさんと一緒だと思います.ただ一般論として,コメントやコメント返しは記事の主旨や相手の主張に乗っ取ったものである方が良いと考える方が多いのではないでしょうか?刑事責任に関する記事へのコメントで道義的責任を持ち出すのはいささかピンぼけの感があります.そして,ナオさんのコメントにどういう感想を持つかは私の自由です.
>繰り返しになりますが、かなりの可能性があったと考えられるので道義的責任があるということです。
繰り返しになりますが,何を根拠にナオさんがそうお考えか,よく解りません.
確かに可能性という言葉を使ったのは不適切でした。必要性というべきかも知れません。
ただ、医学的知識はそれほど多くない私の考えですから間違った部分もあると思います。
ただ、素人的な考えとして、いのげさんへのレスでも触れましたが
「小脳半球の外部の損傷が神経症状を引き起こさないのであればなおさら注意深く判断すべきだと思うのですが。少なくとも医師は割り箸によって怪我をしたという事実は把握していることと思います。怪我をしている部分の延長線上に脳がある、では怪我をした原因の割り箸はどうなったのかとチェックすべきようにも考えられるのではないでしょうか。」
という疑問はあります。
>私の記事は基本的に刑事医療訴訟を対象にしています.刑事では「著しい過失」だけを対象にすべきだと考えます
命や身体障害に関わることが多い医療ミスだからこそ、通常の過失も対象にすべきです。
著しい過失しか結果的に罪に問われないとすればそこに緊張のゆるみが生じるでしょう。命を預かっているからこそより慎重になるべきです。
こういうことを言えば「刑を持ってしなくても医者はいつでもミスのないように細心の注意を払っている」と反論されるかも知れません。でもそれはどんな過失犯罪に対しても言えることです。そういう人もいればそうでない人もいる。だからこそ通常過失も対象とすべきだと思います。
# ナオさん
>小脳半球の外部の損傷が神経症状を引き起こさないのであればなおさら注意深く判断すべきだと思う
これは少なくとも医療の常識とは異なります.医療はまず症状があって,その原因が何であるかを追求し,可能なら原因除去するのが一般的なコースです.同じ症状をきたす疾患・病態がいくつもあるから診断は難しいのです.症状が出ないものまで考慮すれば除外診断が増えすぎてどうにもなりません.
>怪我をしている部分の延長線上に脳がある
間に厚い頭蓋底の骨があります.司法解剖担当医の意見でも,割り箸で頭蓋底を突き破るのは無理とのことです.今回の場合は頚静脈孔という小さな穴に割り箸が入り込んだから起きた事故ですが,これまで報告は1例もなく,したがって救急に強い脳外科医でもたぶん思いつかない状況です.また,もし異物が脳に達しているなら頭蓋底骨折を伴うと考えるのが普通で,それなら意識のない状態で搬送されると思います.割り箸が脳まで達していた可能性を想起するのは,後からなら誰でも言えますが,現実には非常に困難だと思います.
>通常の過失も対象にすべきです。
医療事故を刑事として扱うのはデメリットの方が大きいと考えるのが世界の趨勢です.
>でもそれはどんな過失犯罪に対しても言えること
医療には特殊な事情が多く,他の職種における過失と同様に扱うのはアンフェアでかつ医療従事者のモチベーションを著しく損なう,というのが世界の趨勢の根拠です.
>世界の趨勢の根拠
これこそアンフェアな自己弁護の最たるものに聞こえますね。
先日、給料下げたり、待遇を下げたら公務員になりたいと思わなくなる・・と愚かな政治家が話していたインタビューを思い出しましたよ。
# カントさん
>これこそアンフェアな自己弁護の最たるものに聞こえますね。
どう解釈しようとカントさんの自由ですが,医療事故を刑事訴訟にするかしないかの判断は医療側にはありません.これは日本も諸外国も同じです.したがって医療側の「自己弁護」ではありません.医療従事者が嫌気をさして現場からいなくなれば不利益を被るのは国民という判断からで,医療従事者の利益を考えた判断ではありません.また,残念ながら欧米人の方が日本人よりも科学的に検証する能力に優れます.ハーバード大学医学部・公衆衛生学部のチームが医療訴訟効果を検証した研究があります.それによると,医療事故訴訟における勝ち負けと過誤の有無はほとんど相関がないという結果が出ています.裁判の結果は,科学的事実よりも弁護技術や判事の心証などの方がはるかに大きな影響力を持つからです.この結果は訴訟が過誤防止にほとんど役に立たない事を示しています.民事訴訟は感情論であり,個人の権利の範疇ですからそれを抑止することはできません.一方,国家的に刑事訴訟として扱うのはデメリットが大きいからやらないのです.
今日、一日中、この問題を中心にいろんなサイトで
医療の現場の事実や、親叩き、医者叩き、マスコミ叩きの意見を見ていました。
結論と言うか、私なりの意見は結局まとまらなかったのですが、、昨夜に私の書いた意見は、一方的な視点にたった意見であったのだなと反省しております。
申し訳有りませんでした。
小児科医療、救急医療の現実を色々と知り、
現場に立つ医師や看護士の方達の苦悩も知りました。
今回の事故は、不幸な事が重なったのですが、
この事(訴訟)によって、現場の医療に悪い影響が出ない事を祈ります。
# カントさん
医療の現場に長くいると,「これくらいは一般の方も当然知っているだろう」という思いこみがあります.記事を書いていてもそういう面が出てしまうのだと思います.ですから,疑問・反論は非常に有り難いのです.逆に私自身が医療従事者ではなく,テレビ報道と新聞記事が主たる情報源の段階では,カントさんと同じ様な反応をしたと思います.
>この事(訴訟)によって、現場の医療に悪い影響が出ない事を祈ります。
有り難うございます.そう言って頂くと非常に心強いです.
私はふつうの主婦ですが、最近の医療関係の新聞記事は疑問だらけです。
まず、人は必ず老いて死んでゆきます。手遅れになった患者を救うことはとても難しいです。
それなのに、インフルエンザで九十歳のお年寄りが亡くなったと、老人施設の記事が出る。これは、なかば自然のことではないでしょうか?
お産も昔から命がけ。これも自然のことではないでしょうか。医者にできることは、限られています。いまの日本は、命に関しても、あきらめることを忘れ、医療に全能を求めているのでは。