■ 一言いわせてもらいます
5日に岡村靖幸が覚せい剤取締り違反により逮捕されたことが、今日、今、各メディアによって報道されました。
僕は昨日、関係者の方から報告を受けました。残念というより、悔しさが募る気持ちでいっぱいになりました。今も同じ思いでいます。
僕が編集長を務めるMUSICAでは、2007年7月売りの8月号で岡村靖幸に、復帰への想いを語ってもらう独占インタヴューを掲載しました。これはアーティスト・サイドからの希望もあったもので、僕はその取材に対して積極的に対応させてもらい、そして記事が世の中に出ることになりました。
これから話すニュアンスはとても難しいのですが、一個人としてどうしても書きたいので書きます。
僕は一ジャーナリストであり、音楽雑誌の編集長であり、株式会社FACTという出版社を経営している者です。つまり、所謂「マスメディア」の一人です。
マスメディアは主観と客観のバランスが一番大事なものです。僕らは主観をオピニオンにしていくのですが、主観の中にどれだけ客観性があるのか、そしてどれでけ健全なフィルターを携えながら世の中に広報活動をしていくのかが、存在意義の大きな部分になります。
僕は岡村靖幸のアーティストとしての復帰の目処が立ち、その復帰を果たす前に世の中にきちんと報告と謝罪をしたいというオファーを受け、その責任を果たす媒体としての立場を引き受けることにしました。それは客観的にその意を受け入れて広報するということなのですが、同時に僕がこの仕事を引き受けるときに考えたことがありました。
「再び彼が同じ罪を犯すことはないだろうか?」
ということです。
僕は広報するだけでなく、自分のメディア活動による読者と、活動を通じてコミュニケーションを取り続けていると考えています。ですので、自分の活動の記事が、ユーザーにとって迷惑をかける可能性があるかないかは、とても大きなことです。今回の記事も、岡村靖幸が復帰することを告げる媒体責任を引き受けるということは、具体的に何があるかないかではなく、自分が伝えたすべての読者にとって嘘と矛盾と混乱が限りなく少ないものであるべきだと思い、それはつまり彼が謝罪したことに対して完全に責任を引き受けるのかどうかを見極めることでした。
岡村靖幸が、再び同じ罪を犯す可能性があると考えるなら、僕はこの取材を引き受けるべきではないと確信していたということです。
僕は岡村靖幸と、そのプロダクションを信じました。そして取材を行い、記事を掲載しました。
現実的に彼は3度目の再犯を犯しました。僕が確信を持ったことは、間違いになったことになります。復帰への想いを読んでもらったユーザーに、とても大きな迷惑をかけたと思っています。
長々と説明を記しましたが、言いたいのはこれです。
すみませんでした。
信じたことも、今日今の報道の事実も、すべてが悔しいことばかりです。
岡村靖幸は音楽の天才です。
それは今日報道された犯罪にかかわることではありません。
いい加減な言い方に聞こえることを承知で話しますが、岡村靖幸は覚せい剤に音楽を作らされていたわけではありません。それがなくとも、彼の名曲が生まれていた事実を、少なくとも僕は本当に知っています。
だから、岡村靖幸が音楽の天才であることに僕は今も何の疑問を持っていません。彼が生み出した、これからいつでも僕らが聴き続けることができる名曲自体とこの事件とは、関係のないことです。音楽に罪はありません。
しかし、それとこれとはまったく関係なく、彼は結果的に、あの時に復帰を告げるべき覚悟を本当に持っていたのだろうかが、わからなくなることを犯しました。それは残念とかのレベルではありません。再犯という自覚的な犯罪であることがすべてだと思っています。
僕は岡村靖幸の復帰を願っていたし、望んでいたし、信じていました。
悔しいです。
同じ想いを抱いている人に対して、去年の7月の記事を自信をもって発表したことを心苦しく思い、ここに謝罪します。