余録

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余録:国宝炎上

 「美といふことだけを思ひつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである」。三島由紀夫は小説「金閣寺」で、国宝の美に魅せられたあげくに放火してしまう学僧にこう語らせている▲1950年に起きた国宝・鹿苑寺(ろくおんじ)金閣の放火焼失事件はこの三島の名作や、事件の真相に迫った水上勉のノンフィクション小説「金閣炎上」を生んだ。この事件では当時新聞記者だった司馬遼太郎がスクープをものにしたことでも知られる▲当時の人々の心を襲った言い知れぬショックをうかがわせるが、この世には人々のさまざまな想念や情念を引きつけてやまない建造物がある。ソウル市民、いや韓国国民にとって焼失した南大門こと崇礼門は、まさにそのような意味でも「国宝第1号」だったのに違いない▲李朝の太祖が14世紀末に建設し、ハングルを公布した世宗らが15世紀に改築、日本や清の侵攻、朝鮮戦争による戦火をくぐり抜けてきた歴史遺産だ。その崩落をテレビの中継で目の当たりにした人々から「韓国版9・11」との声が出たのも分かる▲警察は69歳の男を放火の容疑者として逮捕し、文化財放火の前歴のある当人も容疑を認めているという。どうやら土地をめぐるトラブルの腹いせで火をつけたらしいが、動機の愚かしさは失われたもののかけがえのなさをますます際立たせる▲文化財は人々がそれに寄せる思いをたくわえることで美しく輝く。だがそれにより時に破壊的な悪意も引きつけるのが人の世の悲しい現実だ。韓国メディアは国民の喪失感を心配しているが、かつての実測図が残っていて金閣寺と同様に復元できるというのが救いだ。

毎日新聞 2008年2月13日 0時11分

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