2008年02月12日 更新

【柔道】康生引退ピンチ…フランス国際5位「五輪赤信号」

準決勝で敗退。効果を奪われた場面を映し出した、場内の映像を見つめる康生(共同)

準決勝で敗退。効果を奪われた場面を映し出した、場内の映像を見つめる康生(共同)

動けない…。自ら北京五輪出場を赤信号と表現した

動けない…。自ら北京五輪出場を赤信号と表現した

夫人の亜希さんもガックリ。「引退」の2文字が重くのしかかる(撮影・周伝進之亮)

夫人の亜希さんもガックリ。「引退」の2文字が重くのしかかる(撮影・周伝進之亮)

 【パリ(フランス)11日=周伝進之亮】北京切符を逃せば、引退−。10日の柔道フランス国際最終日で、準決勝で敗れた男子100キロ超級の井上康生(29)=綜合警備保障=は3位決定戦にも敗れて5位に終わり、号泣した。し烈な同級代表争いでの痛恨のV逸に、師匠でもある父・明さん(60)は今夏の北京五輪代表を逃せば引退との悲壮な決意を示唆。憔悴しきった康生に残された、再起への時間は少ない。

 立ち上がれない。北京へつながる2連覇への挑戦は、5位に沈んだ。サブ道場に座り込んだ井上は、すっぽりとタオルをかぶった。繰り返される自責と、流れ落ちる涙。10分間、ピクリとも動かずに現実と向かい合った。失意の息子に、父・明さんは言葉を選びながら、重大な決意をほのめかした。

 「(五輪へは)一段と厳しい条件になったという表現に、留めさせてください。あきらめだけは持つなと言いたい。全日本選手権を最後に、という思いを(もう一度)持ってほしい」

 今回の欧州遠征でたった一度の出場機会で、3位決定戦でも勝てなかった。代表が決まる4月29日の全日本選手権まで希望の灯火を消すつもりはないが、もし代表の座を逃したら…。柔道の師匠でもある父の「最後」という言葉の重みが、ズシリと響く。4月の全日本選抜体重別、全日本選手権は、まさに引退覚悟の背水の陣となる。

 「北京に向けて、赤信号になった。自分の柔道を出せていない。(気持ちは燃えても)体が動いてくれなかった。大きいものを感じています」

 康生は、消え入るような声を絞り出した。準決勝では昨年の世界選手権で返し技を食ったテディ・リネール(フランス)に、延長で効果を奪われ、雪辱はならず。3位決定戦でも一本負け。積極的に足技を使ったが、技を掛けきれない。自らが感じた体と気持ちの違和感だった。

 昨年のフランス国際には優勝したが、その後は5大会連続の敗戦。ライバル棟田康幸(警視庁)、石井慧(国士大)にも見劣りする現状に、昨年の世界選手権後、斉藤仁監督は北京五輪に向けて「100キロ級に戻るのも勇気ある決断だ」と打診したが、アテネ五輪後に自身が選択した道を、曲げなかった。

 「周りで支えてくれたり、励ましてくれたけど、それに応えられない自分が悔しい…」

 1月に入籍し、スタンドから祈るように見つめた夫人の亜希さん(25)の支えを思うと、再び嗚咽(おえつ)が漏れた。入籍前、夫人に告げた「今年1年だけは、戦う年にさせてくれ」という決意。柔道人生をかけた不退転の2カ月半で、完全燃焼する。

★康生に聞く

−−準決勝で敗れて5位

 「自分の柔道のレベルは、これぐらいなんだと思う」

−−準決勝のリネールとの試合は

 「流れ的にも、組み手争いをしていましたし、一瞬のスキを狙っていた部分もありました」

−−効果を奪われた最後の場面、背負い投げにいったのは

 「スペースがあったので…。(左の)引き手が切れてしまいました」

−−準々決勝からアテネ五輪、世界選手権で敗れた相手が続く、組み合わせだった

 「(闘志を)燃やした部分もあったんですけど、体が動いてくれなかった」

−−昨年の世界選手権から、世界の柔道への対応が難しくなっている

 「今は、世界でやる次元じゃないんで…。結果が出なかったことが残念。リネール選手に対して研究してやれた部分はありましたけど、全体を通して、自分の柔道を出せませんでした」

−−五輪代表へ、4月の全日本選手権は正念場

 「今は、うまく考えられない」

◆全日本男子の斉藤仁監督

「内またにこだわるなと言っていたんだけど、試合になると内またから入ってしまうんだよね。だから、ほとんどつぶれている。イメージと体がアンバランス。康生がポツリと本音を出した、その通りだと思う」

■シドニー五輪後、康生の苦闘

★惨敗…01年、03年と世界選手権を連覇したが、五輪連覇を狙ったアテネ五輪は4回戦、敗者復活戦と生涯初の「1日2度の一本負け」で惨敗した
★大けが…05年1月の嘉納杯は優勝したが、決勝で右大胸筋を断裂。全治6カ月の重傷で右肩にメスを入れ、世界選手権を断念
★悲しみ…同年6月には長兄・将明さん(享年32)が心臓病で死去
★低迷…06年6月の全日本実業団対抗で復帰し、11月の講道館杯、07年2月のフランス国際で連勝したが、同年4月の選抜体重別、全日本選手権はともに準決勝敗退。世界選手権も2回戦で敗れ、12月の嘉納杯も決勝で石井慧に敗れるなど、丸1年間、個人戦の優勝から遠ざかっている

■北京への道

 06年6月から4月までの世界選手権、アジア大会、アジア選手権のうち、1大会でも出場することがアジア連盟が定めた五輪出場条件。康生は昨年9月の世界選手権出場で条件を満たし、5位で五輪出場枠を獲得した。五輪代表選考は今春の欧州遠征、4月の全日本選抜体重別選手権、同月の全日本選手権の結果を受けて決定する。全日本選手権は前年度決勝進出者以外に優先出場権がなく、3月2日に関東予選(相模原)がある。ライバルは07年世界選手権金メダルの棟田、06年全日本選手権優勝の石井で、康生は日本での2大会で優勝しないと代表入りは厳しい。

■井上 康生(いのうえ・こうせい)

 1978(昭和53)年5月15日、宮崎市生まれ、29歳。5歳で柔道を始め、東海大相模高、東海大を経て綜合警備保障。00年シドニー五輪100キロ級金メダル。世界選手権は99、01、03年を制覇。03年全日本選手権で史上4人目となる3連覇を達成。04年アテネ五輪は準々決勝敗退。05年嘉納杯国際で右大胸筋を断裂、その後約1年半試合に出場できず。100キロ超級に転向し、復帰後初の国際戦となった07年フランス国際で同階級で初優勝。07年世界選手権は3回戦敗退。得意技は内また。1メートル83、103キロ。