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2008-02-09 (Sat) 欺瞞に抗して

[]あるブログ上のやりとり 08:26 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント


また、やっていたの?

と、どこかからお叱りを受けそうですが、止むに止まれぬ気持ちで承認制の某ブログコメント欄に1月9日以降書き込みをしてきました。


【後述】

某ブログコメント欄に、2月9日、下記の文言とともに、やりとりの主要部分はすべて削除されています。


> 批判の応酬や論争から得る結果には、何の意味もないと思いますし、それは非建設的で無益なだけでなく、無用な対立を生むことにもなってしまいますので、是非とも避けたいのです。


上記の文言は、管理人として常識的であるかのように思われることでしょう。

しかし、

「批判はいけない」「人を裁いてはいけない」ということを11年前から理解し、実行してきたという某氏は、ある局面になると他者を批判し、裁くということで自己回復をしてきました。

今回も例外ではありません。

そのことを見過ごすことができず、コメントしていたというわけです。

ひとに、言動の不一致は珍しいことではありませんが、そうした矛盾に無自覚なのは、自身が全き正しい存在として、自己懐疑をもたないことにあります。

氏には、戒めとしていただきたくために、ここにあらためて記しておきます。


「批判はいけない」「人を裁いてはいけない」についていえば、

「批判」はそれが必然的に立ち上がってくる場があり、その止むに止まれるレベルで考えるべきだと思います。

それゆえ、批判という言葉も行為もないがしろにするわけにはいきません。

批判がいけないのではなく、正しい批判こそが求められ、批判の内容が妥当かどうかを丁寧に検討する必要があります。

不必要な批判であれば、しないのは当然です。

批判をどのように生かし、建設的なものにするかはひとにかかっています。

多くの場合、不誠実な対応、不公正な扱いが、非建設的で、無益で、無用な対立を生みます。

今回も例外ではありませんでした。


「批判」については、また項をあらためて。


また、

>こちらには読まれる方を不快にさせる内容のコメントが書き込まれていました。その状態を長らく続けてしまった事を、改めて謝罪いたします(__)


この発言もおかしいのです。

何が不快であるかは、ひとによってさまざまです。

これは管理人が不快と感じたということでしょう。

現実は、不快なものであるのは、誰もが知っている事実です。

そのヒリヒリした現実に向き合うことができず、主観的に不快だということに何の意味もありません。

そのコメントが妥当であるか、どうかでしかないのですが、それでは不都合なので、閲覧者を尊重しているという形をとってこのような発言になるのでしょう。

また、不快かどうかというレベルで語っているブログだということをあらわしています。




意見が右か左かに関わらず、欺瞞的、偽善的に物事を考える人はいて、そういうひとの内なる闇に光を照らすことができたら、それが私の役目であると思っています。

A.KirishimaA.Kirishima 2008/02/10 01:14  こんばんは。

 今一度、何度か問うた質問ですが、もう一度だけ、今現在のazamikoさんにお聞きします。最後の質問だけ少し興味本位がはいりますがね。

 議論と化した場において、相手の意見の穴をつく事は荒らしになると思いますか?
 相手が反論の根拠を出し切れていない時、それを問う事はよろしくない行為だと思いますか?それの催促をすることは荒らし行為だと思われますか?
 未だ「全てをさらけ出している相手は言葉に責任をもっている」と信じる事ができますか?


 一度「馬鹿みたい」と言われた事をご存知ですか?一晩置いたら誰かさんは消していましたが。これに対して、「なかったこと」にされているわけですが、ご存知ですか?

azamikoazamiko 2008/02/10 08:01 ☆ A.Kirishima さま

いらっしゃると思っていました。(^-^;

>  議論と化した場において、相手の意見の穴をつく事は荒らしになると思いますか?

「相手の意見の穴」が本質的かどうか、関連があるかどうかにかかってくるでしょうね。

>  相手が反論の根拠を出し切れていない時、それを問う事はよろしくない行為だと思いますか?それの催促をすることは荒らし行為だと思われますか?

以前にも申し上げたことですが、そのこと自体は悪くありませんが、議論は公正な立場でするものだということです。

>  未だ「全てをさらけ出している相手は言葉に責任をもっている」と信じる事ができますか?

すべてをさらけ出している場合は、自分の言葉に何か問題があれば、それだけ責任を持たされるということです。
もたざるおえない、責任の所在が明らかだということですね。
すべてをさらしているだけではそのひとの発言が正しいとは言えませんし、だからこそ、話をするということは必要だと思います。

>  一度「馬鹿みたい」と言われた事をご存知ですか?一晩置いたら誰かさんは消していましたが。これに対して、「なかったこと」にされているわけですが、ご存知ですか?

知っております。
お恥ずかしいコメントでした。だからこそ削除されたのでしょう。

A.KirishimaA.Kirishima 2008/02/10 08:47  おはようございます。まぁ、正直言ってしまうと9月に荒れた時の人物と同じ人物とは思えなかったのですよ。悪くない意味で、です。

 質問の返答に関して、少々引っかかったことが数点あります。
 二番目の質問の返答に関して、「議論は公正な立場でするもの」という事が、どう「相手に根拠を問う事」に関係しますか?別だん、悪いという事じゃないのですが、返答に2文で返す訳ですし、何かしら意図があると考えますがいかがでしょう?ちなみに、僕としましては、「根拠を出せない者は議論に加わる資格がない」と考えております。

 三番目の質問に関して、何故固定ハンドルネームじゃだめなのですか?責任の重みをつけるため、という事だけでは泥沼はさけられません。それは9月のここでのアレで証明済み。根拠を出さないと尚更泥沼化することも「非武装は合理的」エントリーで証明済み。
 「根拠の提示をする者」を僕は意見の重さとして優先するわけですが、合理的な固定ハンドルネームだけではよろしくない理由をお願いいたします。(この部分、おそらく考えが平行線になるとは思いますけどね。)

 互いのスタンスの一番の違いがここだと、今ではわかっているので無理に縮めようって考えは排除していますので、あまり深くなるところまで突っ込む気はないことを一応宣言しときます。

azamikoazamiko 2008/02/11 07:01 ☆ A.Kirishima さま

前もって申し上げておきますが、私は決して議論が好きというわけではありません。
今までも拙ブログエントリーに書き込みがあり、返信してきただけですし、他所さまに伺ったのも、エントリーの主旨を誤解しているので、説明に行った。ということに端を発しています。
今回某氏とのことは、ほんとうのことを言い合える関係に、ということをお約束していたので、見過ごすことはできず、率直に、妥協せず申し上げてきたということです。
ですから、政治的なスタンスが変わったということではありませんし、今現在、A.Kirishima さんと議論をする必要も感じておりません。
ご質問についてですが、

>  二番目の質問の返答に関して、「議論は公正な立場でするもの」という事が、どう「相手に根拠を問う事」に関係しますか?
ちなみに、僕としましては、「根拠を出せない者は議論に加わる資格がない」と考えております。

「根拠を出せない者は議論に加わる資格がない」、そういう場もあるでしょう。
以前、こちらでも根拠を求めるという局面がありましたが、ここでやりとりされたものを議論とまでは考えておりません。
意見の違うもの同士が、話をしていて、突詰めてゆくと根拠が必要になってくる。
当然、根拠は必要なのですが、根拠が簡単に出せないということはあります。
あまりにも、さまざまなことが絡み合ったものを意見の違う相手に理解してもらえるようにだすのは、並大抵ではありません。
そういう時は、少しまとめるまで、余裕をください。と言えばいいのですが、信頼関係がなければ、そうなりにくい。
また、議論においては、匿名と匿名でない者とでは、リスクが違っております。
匿名であれば、根拠が出せなくても、論理的におかしくても、それで恥をかくということもありません。
一方にだけリスクを負わせることは公正ではない。ということです。
繰り返しですが。

>  三番目の質問に関して、何故固定ハンドルネームじゃだめなのですか?

普通の会話なら問題はありませんし、それで信頼関係があれば、問題はないと思います。
ただ、固定ハンドル、と言ってもかえることができますし、他のひとが同じ固定ハンドルを名乗る場合もあります。騙られたらわからないでしょう。
責任の所在がはっきりしないと言うことですね。

>責任の重みをつけるため、という事だけでは泥沼はさけられません。

誰が言っても、おかしな発言はおかしな発言ですし、まっとうな発言はまっとうな発言です。
HNで、発言に責任の重みがつくとは思いません。
発言の責任の所在がはっきりしている、リスクを背負っているというだけです。
リスクを背負っているので、発言に慎重になるということはあって、当人にとっては、それが責任の重みでしょうか。

>  「根拠の提示をする者」を僕は意見の重さとして優先するわけですが、合理的な固定ハンドルネームだけではよろしくない理由をお願いいたします。(この部分、おそらく考えが平行線になるとは思いますけどね。)

根拠の提示が意見の重さ、ということはそうだと思います。
その根拠が客観的に正しいかどうかということは検討の必要がありますが。
固定ハンドルでも、匿名でも、自己紹介を含めたHNでも、議論において、発言に対する責任をもてるかどうかということになります。
名前など問わずに議論ができれば理想でしょう。
しかし、実際、人間はそれほど強い生きものではありませんから、自身を明かしていないと思えば、議論の内容を高めるよりも、意見の違う相手を負かすことになりがちです。
だからこそ、自ら明かしましょう。ということです。
発言の責任の所在を明確にすることは、発言者が意見を述べるときにそれだけ慎重にならざるえないということで、議論そのものを高めるという効果もあります。

以上、十分なお答えになっていないかもしれませんが。

こちらを長らくごらんのみなさまは、以前書込み禁止にしている A.Kirishima さんにレスしていることを不思議に思われるかもしれません。
書込み禁止は、これを機会にお考えください、という主旨でしているものであって、相応のご意見にはお答えするということです。

azamikoazamiko 2008/02/11 07:04 ☆悩める平和主義者さま、観察者さま

いろいろご意見はあろうかと思いますが、匿名での他者批判は削除させていただきました。

A.KirishimaA.Kirishima 2008/02/11 08:54  おはようございます。

 聞かれてもいないことまでわざわざ発言おつかれさまです。

 匿名でも論理的におかしければそれはそれで恥ですし、匿名でなくても恥を恥と思わない人もいます。おまけに今回の一件で匿名でなくてもさっぱり責任を持とうとしない人がいることもご存知になったはずです・・・といいますか、この全てがあの場に存在していました。

 言葉には責任をもつべきであることは否定しないどころか賛同しますが、その所在を明らかにするだけならば固定ハンドルネームだけで十分ですし、その場において固定ハンドルネームにしただけで、下手な事言うと自分の話を聞いてもらえないかもしれないというリスク以上のリスクが論者には存在しないのではないでしょうか。
「違った名前で同じ投稿される」という可能性を考慮するならば、おそらく心配には及ばないでしょう。何故なら、論理的に無茶が有るならば、どの立場から見ようともそれはただの道化にすぎないからです。少しだけ世間話に近くなりますが、貴殿曰く「ストーカーブログ」とされている所に死刑反対を謳う人が時々来る様になりました。その方がまさにそういったポジションだったのでよくわかります。意識しているかどうかは知りませんが9月の件では、Jの人がそのポジションであったと僕は断言できます。

 azamikoさんの言からすると、「下手なことを言うと自分のブログを荒らされるかもしれない」というリスクを負うから、つまり抑止力の効果を狙うという事だと考えます。効果がないとは言えませんが、反論者に対してのみリスクをより高く設定が既に議論を壊す要因でもあります。
 そういったリスクを負わせる事を今では否定しませんが、やるなら徹底的に、尚かつ前もって宣言するべきでしょう。「この件に関わる者は誰であっても自己紹介すべき」と。それが公正というものだと考えます。

 あと、現実でもありえるのに、ネットで名前の重複を恐れる必要はないかと。

 さて、意見の違う相手を言い負かそうとしてしまう事に関して、確かにそれはあるでしょうね。このように全く正反対の主張であれば必然的に。

 まぁ、とりあえず真っ向から僕の考え方と反するってことはお変わりないようです。
 議論が好き嫌いはこういった事を語る上で、さらに他人を晒したり、自分の発言のバックアップをとるなりする上で無関係に議論になります。その点は頭にいれ、予想はしておくものです。後釣りの醜さはご存知だと思われますし。
 深く追求しないと言った手前、さらに予想通りに平行線でもありますし、僕はおいとまする事にします。それでは失礼します。

azamikoazamiko 2008/02/11 22:47 ☆ A.Kirishimaさま

おいとまされるのは、全然かまわないのですが、
なぜ、固定ハンドルにそれほどこだわられるのか分かりません。
他者批判でない、議論なら緩やかな意味で可能なのですが。

>  azamikoさんの言からすると、「下手なことを言うと自分のブログを荒らされるかもしれない」というリスクを負うから、つまり抑止力の効果を狙うという事だと考えます。

こういうことは考えていません。
ブログが荒らされる云々ではなく、発言者の信頼性が問われるということです。
承認制にできるわけですから、荒らされないようにしようと思えば可能です。

>効果がないとは言えませんが、反論者に対してのみリスクをより高く設定が既に議論を壊す要因でもあります。

なぜ、反論者に対してのみリスクを高く設定していることになるのでしょうね。
同じだと思いますけれど。

>その所在を明らかにするだけならば固定ハンドルネームだけで十分ですし、その場において固定ハンドルネームにしただけで、下手な事言うと自分の話を聞いてもらえないかもしれないというリスク以上のリスクが論者には存在しないのではないでしょうか。

固定ハンドルは「その場においては」というだけでしょう。
固定ハンドルを使い分けるということは可能ですし、発言はその場だけに限りません。
あの時、ああいう発言があったけれど・・・。というように後々まで問題になることはあります。
A.Kirishimaさんが、以前のことで、こうして質問されているように。
固定ハンドルだけでは、その問題は宙に浮いてしまいます。(責任の所在が曖昧)
下手な事言うと自分の話を聞いてもらえないかもしれないというその場のリスクとそれだけではない発言者としての信頼性のリスクを背負っている場合では、一人の個人の中ではちがいます。

>>  そういったリスクを負わせる事を今では否定しませんが、やるなら徹底的に、尚かつ前もって宣言するべきでしょう。「この件に関わる者は誰であっても自己紹介すべき」と。それが公正というものだと考えます。

拙ブログは黒木ルールに順じているわけですが、
他者批判をするのに、身元を名乗らずするのは常識的におかしいです。
それは、エントリーの内容に関わらずです。
他人を晒すことが目的ではなく、アップされない投稿から、某氏やロムしていた方に正しい判断をしていただくためなのですが、もしも、それが他者批判をするのに身元を名乗らず、リスクを負わなくてもいい、エントリーにあげていて、あと釣りだとお考えだとしたら、A.Kirishimaさんのネットにおける感覚が鈍ってしまわれていると思います。

A.KirishimaA.Kirishima 2008/02/12 02:43  まぁ、一応。批判って事に関してあれだけ話したのですし、真の意味で「批判の存在しない議論」なんて価値がないって事くらいはおわかりではありませんか?「批判の存在しない議論」ってものはただの「交流会」であって「議論」でじゃありませんよ。

 ごちゃごちゃした発言は何度もしましたし、今更感があるのではぶきます。これに関して発言してくれーっというリクエストがあるならば歓迎とまでは言いませんが普通にします。

 さて、どう読んでも考えても納得できないので突っ込ませていただきますが、azamikoさんが説いて採用している「黒木ルール」は不公平ルールですよ?議論で反論するなら自己紹介をしてリスクをおかせ、という事ですし。
 つまり、議論で自身を基準に自陣営のみリスクを負わない、と同義。つまり、azamikoさんが黒木ルールを採用している時点で既に反論者のリスクが高くなっているわけです。
 固定ハンドルで十分だろーという案は公平に近づけるならばーという命題に関する一つの案にすぎませんよ。正直、気にいってはいますが、こだわりはしません。もう2つ、公平に近づけるとするならばの案。
 一つ、全員匿名であること。2つ、全員が徹底的に非匿名である事。公平にこだわる事は、むしろ好ましい事ですが、「何が公平なのか」がazamikoさんの言からはどうも読み取れないのですよ。黒きルールは少なくともリスクも責任も公平ではない。では、何を公平にしたいのか、ということです。
 公平を謳って文字通り全員より縛りをきつくするか緩和するかって結構大事だとは思うのですよ。不公平ルールと自身で認めていて反論するものはリスクをおかせという事も好みではありませんが、「あり」ではある。公平謳って不公平ルールを採用ってことがよくわからないのですよ。そして、僕は黒木ルールが公平なルールだとは到底思えない。理由はこんなところですが、いったいazamikoさんの黒木ルールは何が公平だと考えているのです?

 さて、実際あったと仮定して、「前回の責任云々を今回話題にわりこませたとする。」さて、もってきておいて僕がその責任を負わされる人だとするならば「で、僕にどうしろと?そしてそこにどんな関係があってどんな相互作用するの?」としか言いようがないのですが。前回、論理的に無茶があった点があったのに、今回読んでいて理屈的に悪くはないと思ったのですよ。別にその時その時の発言に責任を持たせているからといって「あの時はこう言っていたが今はこう言っている!ダブルスタンダードだ!」なんて荒唐無稽な事は言いませんよ。過去の言葉の「責任云々」を持ち出すならば、つまりはこういう事なのです。
 責任の所在を明らかにすることは悪くない。別件にまで持ちこんでどうしたいので?ってことが今回二つ目の質問です。

 それと、釘刺しするにしても後釣りってのはかなり言いすぎでしたね。それに関しては申し訳ありません。
 このエントリーの最初の文章に関してですが、azamikoさんの目的がどうこう関わらず、「晒している」と同じなのですよ。「殺す気がなかった殺人犯」みたいなものです。わかりやすいようにかなり極論で言っていますがね。正確な文章化が自分で言っておいて困難なわけですが、ニュアンスとしては「目的が違っても結果はある」ということだと思っていただければ遠くはありません。それは議論の好き嫌い問わず、こういったエントリーを作った時点で「ありうる」という事と似てます。目的は彼の方々に自らを振り返ってもらうため、ただし副産物にこういったごちゃごちゃ言う輩もくる時はくる、と。なので、言い過ぎた点は謝りますが、他者批判のエントリーを上げた以上、そこに突っ込まれたら個人の好き嫌いをブログ主が言う余地はないかと。まぁ、これは別件に関して話していますので余地はあるのですが。
 さて、ちょっとごちゃごちゃしてきましたが、止めた方がいいですかな?僕は自覚的に釣られやすい人なので「それでは失礼します」と言っても納得できない発言が追加されると戻ってきてしまう悪癖があるのですよ。

azamikoazamiko 2008/02/12 03:35 ☆ A.Kirishimaさま

このエントリーを本日中に削除することにいたします。

最後にご質問にお答えします。

自陣営だけリスクを負わないのではなく、みな同一です。
ただし、あとから来たら、最初に自己紹介しているひとは分からないかもしれませんね。
その場合は、求めればいいだけです。
陣営と言う考えも分かりません。分かれることはありますが、本来個々でしょう。

>「で、僕にどうしろと?そしてそこにどんな関係があってどんな相互作用するの?」としか言いようがないのですが。

説明責任というだけです。

A.KirishimaA.Kirishima 2008/02/12 19:22  こんばんは。

 まぁ、消される前に。陣営ってのは、普通、議論ってものはお題を立てますよね?それに関して意見を持つ者にわかれ、本来考え方とは個々であるが、お題にそった答えによって自然とグループができる。これがこの場合の「陣営」の意味ですよ。その程度、「じゃんけんで出す手によってグーチョキパー組つくりますよー」って位わかりそうなことだと思っていたので説明しませんでした。

 >>「で、僕にどうしろと?そしてそこにどんな関係があってどんな相互作用するの?」としか言いようがないのですが。
>説明責任というだけです。

 質問点はそこではありませんよ。質問点はそこより少し下のこの部分です。

>責任の所在を明らかにすることは悪くない。別件にまで持ちこんでどうしたいので?ってことが今回二つ目の質問です。

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