(cache) Tachihara Michizo Memorial Museum
ごあいさつ
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開館にあたって
初代館長 堀 多恵子
立原道造にゆかりのある弥生の地に立原道造記念館が出来る運びとなりました。
立原はその青春時代を友人たちと語らいながらこの界隈を散歩したことだろうと
思います。今ではその昔を彷彿させるものが少ないとは思いますが、立原が大学
を卒業した年、昭和12年の夏と冬に出版した2冊の詩集『萱草に寄す』と『曉
と夕の詩』は今も多くの人たちに愛読されています。
立原は思いついたことをその場で書き、友人たちに書き送っていたようで、沢
山の書簡がその手もとに残されています。そうしたものは立原を知る上で大変貴
重なものと思います。その他にも原稿や詩、ノート類、そして設計図も残されて
いました。没後、4回に渡って『立原道造全集』が刊行されています。
今回、開館にあたり、立原が死の前年、第一高等学校同窓会『會報』に掲載し
た作品「ふるさとの夜に寄す」をタイトルとして展示を行うことになりました。
24才と8か月という若さで逝った立原の詩は青春そのもので、その美しい出
会いと別離の悲しみを歌い、人々の魂にふれ、多くの若い人たちに愛されてきま
した。今、記念館の展示の数々によって立原の心を探求してゆけたらと思ってい
ます。
開館にあたり、多くの方々から御協力頂き、貴重な資料を御寄贈および御貸与
して頂きましたことを厚く御礼申し上げます。(1997.3.29)
★初代館長の堀多恵子氏は、2003年3月29日、6年間務められた館長職を退任
され、同日付で、名誉館長に就任しました。
記念館では、当面館長職を空席とし、宮本副館長が館長代理を務めています。
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開館にあたって
理事長 鹿野 琢見
夭折の詩人、立原道造の記念館建設につき立原家および立原道造の会の方々か
らお声がかかり、ここ文京区向ヶ岡弥生の地に建設を思い立ってから6年目にし
てようやくささやかな建物ができ上がりましたことはよろこびに堪えません。
昭和25年以来この地に住む私が、非力非才を省みず弥生美術館・竹久夢二美
術館を設立し、その基礎の未だ定まらぬうちに本記念館を創設に至ったのはそれ
なりの理由がありました。
一には中村真一郎さんが「伝説中の詩人を画に描いたような人物」と称えるほ
ど類いまれな詩人であり、また三好達治をしてその聡明、清純、純潔、そして夭
折の生涯を嘆息哀惜させて止まなかったこと等を知ったこと、二には立原が東京
で生まれ育ち、その短い生涯の中での青春の日、すなわち一高・東大時代の6年
間をすごしたこの地に記念館を、との関係者の方々の強い熱意に感動せざるを得
なかったこと等でありました。
そしてその創設は、ご令弟の故立原達夫さんが当時ご病臥中ということもあり、
何よりも早期が求められたため、規模の充実拡大は他日に期し、ひたすら急いだ
のでありました。従って万事につけ行き届かず、今後の補充と発展は皆さまのお
力添えがなければ到底果たせないことはいうまでもありません。何卒ご協力とご
支援の程を切にお願い申し上げる次第であります。(1997.3.29)
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