人生の最期をどのように迎えるか -願いと現実の謎-
5人に1人が65歳以上という超高齢時代を迎える日本では、長くなった人生の最期をどのように迎えるかへの関心が高くなっている。
2005年に日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が行った調査では、余命が限られているならば自宅で最期を迎えたいと答えた人が、調査対象者の83%を占めた。
ところが人口動態調査における「死亡した場所」によれば、2003年の調査では病院を含む施設での死亡は84%、自宅は13%にすぎず、現実と願いの間に大きなギャップがあることがわかる。
面白いことに、1953年調査時の死亡場所の自宅と病院等の比率は88%対12%と2003年とは全く逆になっており、50年を経て死亡場所の比率が逆転したことがわかる。現実は見事に逆転しているが、意識は依然として50年前と変わらずにあることを、どのように理解したらよいのだろうか。
厚生労働省が2004年に行った終末期医療に関する調査は、その謎を説明してくれているように思われる。
設問「あなたご自身が痛みを伴い、しかも治る見込みがなく死期が迫っている(6ヶ月程度あるいはそれより短い期間を想定)場合、療養生活は最期までどこで送りたいですか」に対する回答は、数が多いものから「自宅で療養して緩和ケア病棟に入院」は約27%、「なるべく早く緩和ケア病棟に入院」が約23%、「自宅で療養して必要になればそれまでの医療機関に入院」が約22%となっており、合計70%強という数字は、実態としての病院等での死亡率に近くなっている。
しかし、「自宅で療養して」という前提付きが半数近くを占めることは、在宅死を願いつつもその条件が整わないために、やむを得ず看取りの場としての病院を選んでいるとも言えるのではないだろうか。
「畳の上で死にたい」と言う表現があるように、日本人には自宅で死を迎えることへの強い願望があることが、医療現場においてもようやく延命至上主義の治療ではなく、生と死のQOLを尊重することの重要性が認識され始めている。
死を敗北と考えるのではなく避けられない死へのプロセスを、どれだけ穏やかで豊かなものにできるかを考えること、「死を看取る」医療を充実させるための取り組みが求められている。