2008-02-10
■倖田來未、かわいそう
私はなにも誰も言わないことを書きたくてこのブログをやっているわけではない。
だけどたいていメディアのメインストリームと私の考えとは違うし、いつもメディアは別の方向でお祭り(血祭り?)騒ぎをしていて、いつも違和感を持たされている。
だから結局、私はブログかどこかで言わずにおれなくなる。
今朝、サンデージャポンを見ていたら、西川史子というタレント女医(←こんな職業可能なのか?)が、すでに謝罪会見したらしい倖田來未を今だに「絶対許せぬ、倖田來未憎し!」とばかりに容赦なく少しのフォローも逃げ道も残さず彼女の人格まで全否定するかのように叩いていた。(20代の若くて可愛い娘が、30代の必死で若作りのおばさんを怒らせるとこわいねぇ...)
その西川センセイ(←と、彼女は同じ出演者の元太田知事にヨイショされていた。)の醜いさまを見て、私はひしっと思った。倖田來未は芸能活動を自粛して、何億円もの損害を事務所に与えるかもしれないのにコンサートの延期を希望するほど衰弱し猛省ている、
「もう、いい加減に倖田來未を叩くのはやめたらいいのに」と。
この西川の醜いさまを見ていて、彼女が、倖田來未の問題発言叩き騒動の核になっている層の代表しているのだ強く感じた。
それで、この失言問題発覚以来、私が予測していた非難をしているもっともコアな層が何であるかある程度の確信を持てた気がする。(もちろん個人的推測にしかすぎないので、どうか、怒り狂わないでね)
倖田來未の「35歳過ぎたら、羊水が腐る」発言に対して過剰にヒステリック反応して彼女を叩いている層は35歳過ぎるか過ぎないかの、子のない女性が殆どなのではないか?と。(35歳前後の全ての子のいない女性がそう反応しているとは言ってないので誤解のないように願います)
常々、彼女の発言以来、攻撃をしている人々のアンケートをとったら面白いのにと思っていた。
つまり彼女と彼女の発言を責めている人に「あなたは何歳ですか?」「男性ですか?女性ですか?」「子どもはいますか?」とアンケートをとるとどのようなデータがでるか興味を持っていた。
今日のサンデージャポンの西川史子の「倖田來未憎し!容赦しない!」と異様な攻撃態度と発言を見ていて、たぶん西川史子みたいな35歳前後で、(社会的地位がある)そこそこの職業やポジションについていて、つまり仕事とプライベートが充実・活躍していて、だから今の生活を変えたくない、面倒な結婚なんかしたくない、子どもなんか生みたくない、足枷欲しくない、だけどこのまま独りだと自分の将来はちょっと不安というような独身女性層が一番過激に執拗に怒り狂っているような気がするのだ。
倖田來未がラジオで「(自分のマネージャーが結婚したので)できるだけ早く子どもを作ったほうがいいよ」という「幸せな家庭を作ってね♪」という結婚お祝いの応援メッセージのつもりで、ついでに軽く言ってしまったらしいものが、本人もまさかここまで「35歳前後の結婚も子どもも生みたくない独身貴族女性」の地雷を踏み、劣等感を触発し、逆鱗に触れるとは想像できなかっただろう。(私もここまで執拗に責めるほどのことか?と驚いている。私にしてみれば柳沢さんや元森首相のほうが、もっとずっとすごいことを言っていたと思うよ。女性は産む機械発言とか、子どもを産まない女性の老後の面倒を税金でみるのは嫌だとかさ。)
柳沢発言や元森首相発言よりも許せないらしい彼女ら女の態度と集合無意識的欲望、仮想敵を責めるたてることで本当の意味で自分の人生と正面に向き合うことから逃げている彼女らの代償行為や精神構造は非常に興味深い。
倖田來未は「今回の不運は誠に愁傷様でお悔やみ申し上げます」とでもしかいいようのない。
今回彼女は「不幸な構造」の中にすっぽりとスポイルされてしまっている。
完全に同情に値する。
女は女(自分)の敵になる女を容赦しない。
女(メス)は結局は男には甘いが、自分が気に入らない女には手加減がない。
しかも相手(敵)が自分よりも若く魅力的である場合、女(メス)個人のアイデンティティを賭けた嫉妬も本能的に入って来るから更にやっかいだ。(本能ってほとんど生理的世界で制御不能だから怖いのよ。倖田來未ちゃん、今回のことは本当に天からふった災難、交通事故としかいいようがない)さらに男性側が見るに見かねて倖田來未を擁護しようものなら女達の怒りはさらに燃え盛る構造にスッポリはまってしまっている。だから事務所側もきっと助け舟の出しようがないのだ。かわいそうに....
実際、西川はサンジャポで「男性がそういうことを言うのはよくあることだけど、今回は同じ女性で、女性が女性にそういうことを言うのを許せない!」と怒り狂っていた。
なんで、同じ女だったら許せないの?
私も同じ女だけど、あんたの倖田來未に対する狭量な態度のほうがよっぽど嫌悪感を感じるよ。
あぁ、なんで女って男には甘く、女には厳しいのでしょうね。
思うが女が一番恐れているのは女(同性)だと思う。
女は男に叩かれるより女に叩かれる方が精神的にこたえるものなのだ。
なぜなら男が女に不条理な態度や発言をしても、その場合、女は女に強く慰め癒されるから救いがあるのだ。
「あんな馬鹿な男、放っときなよ。」と多くの同性が傷を慰め癒してくれる。
しかし女が女を怒らせた場合、同じ立場の女同士が者がつるんで女を容赦なく攻撃する。
そこには若い女に対する嫉妬も無意識的に入ってくるから怖い。
それを見かねた男性側が客観的に冷静に擁護したり庇おうものなら、さらに怒り心頭の女性陣の火に油を注ぐだけで、さらに(加害立場らしい)女は(被害立場らしい)女から非難の十字放火を浴びるはめになる。
だから女が一番こわいのは女なのだ。
女が一旦嫉妬や妬みを羨望を共有して怒り狂ってつるみ始めたらそれは強力なプチ精神共同体になるし、どのようになるか、「倖田來未の失言と謝罪」後の西川を代表する執拗な責め文句を聞いていたら、男性のみなさんにはご理解いただけるだろうと思う。
謝っても謝ってもキリがないのだ。
なぜなら倖田來未がいくら誠心誠意込めて謝ろうが、彼女らが自分の人生で抱えている根本的不安や問題は解決しない。
彼女らはそのことから「常に目をそらそう」と努力している(から)、
問題は彼女ら自身の中にある(のに)、
(だから当然、倖田來未が謝っても)いつまでも自分達の不満(不安)は解決されないのに
いつまでも、それを人(倖田來未)のせいにしている。
だから、いつまでも「倖田來未が許せない」と執拗に言うはめになる=西川史子女医タレント、見にくい(醜い)。
という構図が番組で計らずとも鮮明に浮き上がることになる。
そう、今朝の番組で、西川発言に溜飲を下げた女性層も当然いるだろうが、
呆れた層も確実にいるだろうということだ。
(もっぱら溜飲下げた方にスポットがあたるのがメディアだ。メディアは精神的に成熟していない、誰にでも分りやすい幼稚なものを好む体質がある。視聴率というシステムのおかげで)
だから私は心底、倖田來未ちゃんがかわいそう。と思う。
災難だと思う。
彼女には本当に悪気がなかったと私はふつうに感じる。
なぜ同じ女性でこうも反応が違うのか。
今から核心の問題に触れる。
言っちゃいけない誰かの地雷に触れるとわかっていてあえて言わせてもらおう。
私は35歳をとっくにすぎているけど「35歳過ぎると羊水腐る」発言を聞いた時、
「あ、そりゃちょっと医学的に誤解でない?」と思った程度で、全然心が騒がなかった。
「自分のマネージャーに結婚したんだから、若いうちに子づくりに励みなよ」程度のニュアンスで言ったらしいと聞いて、あ、なるほどね~、程度にしか反応しなかった。
このように倖田來未発言には、ヒステリックに反応する女性群と全然平気な女性群、たぶん二極化されていると思う。
(社会学とか女性学やっている女性でこれをテーマに卒論とかでアンケート調査でデータとかとらないかな?と思う。結果が見たい。)
全然平気なのは、男性陣か、女性陣では倖田來未のようにまだまだ結婚・出産は先のこと気分の20代女性か、すでに女性機能を全うした既婚子もち女性な気がする。(もはや医学的根拠のない間違い発言で怒っているのではないことは確かだろう。だったら怒っているのは日本の医師団だろうから。でも、まさか日本の医師団が彼女の芸能活動停止を望むほどに怒るほどのことかっての?これが。 苦笑)
結局、女達が自分の女としての価値を貶められたことに怒っているのだ。
そういう意味で、謝罪会見をしたあとでも倖田來未に対して、今日のサンジャポで西川がこれでもかと攻撃糾弾するさま、その態度と発言と無意識レベルの(本当は自分自身に対する)怒りを観察分析していると面白かった。
彼女はどんどん自分の劣等感を彼女の発言をネタに膨らましているように見えた。
倖田來未はそこまで言ってないって、と他の男性陣が擁護でなく至極、客観的に言っても西川は納得しなかった。
西川は「いくら謝罪しても、謝罪になってないと思う。結局、(倖田來未が)ここの根っこのところで(と心臓に手をあてて)35歳過ぎても子どもを産んでない女性が女性として腐っていると言っている、そう思っている人なんだって、私は思うんです。」と倖田來未の芸能人生命を断ち切ってやるといわんばかりの容赦ない攻撃だったが見ていて恥ずかしかった。
西川史子の肥大した自我、過剰な自意識、加害者意識が番組でてんこもりにあらわになっていた。
なぜ自分自身の生き方を省みずに自分の人生の不安要素を彼女の発言によって触発されたからといって、その不安と恐怖の矛先を自分の生き方や価値観を変えることに向けずに、倖田來未という一個人のアーチストを攻撃することに向けるのだろう。「逃げ」でしかないのではないか。
完全に怒りのエネルギーの吐きどころを間違えているんじゃないかと思えた。
西川は「私のように30代なかばで結婚していない子どももいない女性は、自分の両親もだんだん老いてゆくし、先行きを考えると自分の家族がこの先いない不安とかあるんですよ。そういう女性の気持ちをふみにじっている」と言った。
だったらその不安を解消する為には結婚して子どもを産めばいいだけのことだし、彼女にはシングルマザーになる経済力だってあるだろうし、それなりに器量もあるのだし、あれだけエネルギーがあれば望めば可能な夢だろう。だけど私には彼女が今の自分の生活を変えたくない、タレントでも俳優でもなく美人女医としてもてはやされてTVにでまくってチヤホヤされている人生最高の今を手放したくないだけに見える。
だけどいつまでも女性資源が若いまま豊潤にあるわけもなく、今の彼女の栄華が期間限定のものであることも彼女はよくわかっているのだろう。だからこそ倖田來未発言には自分の将来の不安を釘刺されるようで心がざわつくのだろう。
だけどそれって倖田來未に問題があるのか?
西川自身の個人的な問題でしかないのに、倖田來未という個人を責めることで自分の問題を直視することから逃げているだけではないか?
西川はこの発言をさらに上手く自分自身の問題からすり替えて「生みたくても産めない、不妊治療をしている女性がいるのに。可哀想だ。」と他者を擁護してみせる。が、自分の現在の生き方による将来の不安と恐怖を釘刺された痛みを(もちろん倖田來未が狙って刺したわけでなく、そういう立場の人が勝手に主観的に被害者意識を拡大させてメッセージをそのように受け取っているだけだ)、このように偽善的に自分とは違う立場の女性を庇うことで事で自分の生き方の問題には触れさせないように見事に隠している、その欺瞞、精神構造がこちら側には非常に幼稚に映る。
そういえば、番組中のテーマの変わり目に、西川は毎回、カメラに向ってアイドルよろしく笑顔で両手で手を振りまくり(このへん、一般視聴者が、たまたまにテレビ画面に移る時にカメラに向ってピースサインするのとほぼ同じノリで不思議だ)、さらにカメラが司会者側に焦点を移しても、座席から立ち上がって画面に入って両手をふるさまは、本当に30代の女医なの?と知性を疑った。品格ゼロだった。正直に言って幼児性が垣間みれた。(でも彼女はきっと自分は可愛い、視聴者の全てに受け入れられているという自信があっての行為に見える。しかし後何年くらいあのような行動がとれるのだろう。あのように無責任に自己利益を追求する不気味なアンチエイジングな中高年女性予備軍を日本は今、TV力をあげて大量生産している気がする。わたしゃ自分の将来よりも日本の将来が心配だよ。)
といわけで、今朝のサンジャポでは西川史子って本当に○○?と感じた。
とにかくオニババ本の時にしろ、倖田來未発言にしろ、この手のことで怒りまくる女性は、何かというと「産めない女性の気持ちがわかっていない」と他人を擁護したふりをして自分の生き方を肯定するが、そういう女性に限って「自分は産める身体だけど結婚とか子どもとか煩わしいもんは嫌なのよ」という女性であることが多いと私には感じられる。
というのも私は仕事柄、「産めなかった女性」にも多々接するが、いろいろ精神的葛藤を長年乗り越えて来ただけあって、ああいう単純にヒステリックな過剰反応をする女性を私個人は知らない。「結果的に産めなかった女性」の態度はもっと成熟しているし、精神やあり方が練れている。
だから今回の倖田來未は、「産めるけど生まない、結婚も子どももいらない、できるだけ今の楽しい生活を引き延ばせるところまで引き延ばした自由意志でそれを選んだ女性」の不安感の犠牲になっているとしかいいようがない。
私個人は、今回の件では心底、倖田來未の不運に同情している。
と、同時に自分の自由意思で結婚しない、子どもを生まない女性が倖田來未の失言を執拗に責める姿と自分の気持ちを「産めない女性の苦しみを知れ」と勝手に「産みたくても産めない女性」の代弁者になって、自分の根本的問題から目を反らせすり替えて攻撃する女の卑しさをもっと自覚しろと、西川史子というタレント女医(芸能活動しながら医者ってできるものなのか心底不思議だが)には強く思ったのだった。