中国製冷凍ギョーザから相次いで農薬が見つかる中、食料生産の舞台裏を記録した映画「いのちの食べかた」が異例のヒット中。映画は訴える。食の不安は食を知ることでしか解消できない、と。
例えば、39%という日本の食料自給率(カロリー換算)が、どれほど危ういか。
農林水産省の試算によると、国民一人一日あたりの供給熱量は約二千五百キロカロリー。仮に今、輸入がすべて途絶えると、九百九十六キロカロリーまで落ちる。二歳児の空腹をようやく満たせる程度という。
芋類など、カロリーの高い作物で畑を埋めれば、二千キロカロリーは死守できる。それでも夕食の献立は、焼き芋と、焼き魚一切れずつのおかずに、ご飯は茶わん一杯だ。
卵は一週間に一個、肉は九日で百グラム。一九五〇年代前半の水準がやっと、という。
六〇年代はじめ、日本の自給率は約八割。ドイツの六割よりも高かった。が、高度経済成長に伴う生活スタイル全般の急激な米国化が、食卓の風景も一変させた。パン食が普及し、九一年の牛肉自由化が、肉食に拍車をかけた。
和食の自給率56%に対し、洋食は14%。経済力を背景に、世界中から食べ物を買いあさり、米国型の食習慣を身につけた結果である。
だが、それももう、長続きはしない。頼みの綱の中国も、十三億の人口を抱え、二〇〇四年から農産物の純輸入国。米国は、日本の輸入量の七割を賄う大豆畑をつぶして、トウモロコシから油を搾るバイオエタノールの増産に突っ走る。
豪州では異常気象が、小麦の生育に深刻な影響を及ぼし、近海の漁業資源は底をつく。世界はまさに食料争奪戦の様相だ。
食料の輸入事情が悪化の一途をたどる中、中国製ギョーザショックは「輸入依存の食生活を見直せ」と、警鐘を鳴らしている。身の丈に合わぬ暮らしを改めて、昭和二十年代の食卓への逆戻りを防ぐチャンスだ、と。
自給率94%の米を余らせ、埼玉県の面積に相当する耕作放棄地を抱える矛盾、原油高の折から、食料の輸送距離に重量をかけた「フードマイレージ」が世界で断然一位の無理、宴会料理の15%を食べ残してしまう無駄−。
ギョーザショックをきっかけに、身近な食材を使った家庭の手作り料理がにわかにブームを呼んでいる。
命をつなぐ食料を他国にゆだねるさまざまな危険や無駄と向き合うことから、自給率向上への道筋がきっと見えてくるはずだ。
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