区切り

昨日と今日で葬式やら告別式やらを終わらせてきた。

修学旅行三日→ばーちゃん他界で色々四日

・・・一週間ハードだったぜ・・・


とりあえず区切りがついたからここ二日のことを書き留めることにする

告別式の終わりに棺おけに花を遺体に手向けて お別れ のとき
火葬するとき



皆泣いていた。
父や祖父も泣いていた。
珍しい体験だったと思う。



俺も勿論悲しかったが事前に思いつめて考えてしまった分涙はでてこなかった。






火葬する直前。サカキ・・・?とやらを棺おけにささげるとき。(母が語っていたがこの瞬間が一番悲しいらしい)
皆泣いていたが僕は不謹慎にも 人と物の定義 に関して考えていたような気がする

本当に空気が読めない頭だと思った


人という形で存在していれば 者 なのか?
存在していても命がなければ 物 なんだろうか?

それなら火葬したこの瞬間に 者 から 物 に変化する・・・?
しかし死亡した時から肉の塊であって思考する 者 ではないわけだから
その瞬間から 物 なんだろうか?

そんなことを考えていた。













そのあと火葬が終わってお骨が出てきたとき。

まず、異臭がした。
人間が焼けると臭いのは本当だったらしい。

あと祖母は平均1.5時間かかるのに極端にやせていたせいか1時間で済んだらしい。

納骨の箸渡しのとき。
これが祖母だったもの。そう考えると切なくなった。
人間が物になることっていうのはこんなにもあっけないのか。
そんなことが頭によぎっていたと思う。




そのあと簡単な式があって解散だった。








この二日でとても貴重な体験をした
先日感情のまま書きなぐってしまったせいか
今見直すと

・・・これ俺がかいたんだよなぁ・・・

と思ってしまう。
でも。書いた思いはそのまま事実だから
記事はそのまま残そうと思った。




あとこの慣習についての考察というかそんなことを・・・


僕はまず神とか宗教とか言うものが嫌いだ
死後の世界とかそう言ったものも信じてない。
人間は目に見ることができないものは理解できないとか
そういう言葉もあったから多分それと一緒だと思う。




故人の死を悼む。これには意味があると思う。
色々考えることができるし、反省もできる。


しかし葬式(とか)はどうだろう?
開くだけで数百万かかり、二日で準備・式の実行で多分10時間以上は費やしたはずだ。
祖母がやって欲しいと生前言っていたなら参加することに意味もできるが
葬式を行うことによって祖母が天国にいけるとでも言うのだろうか?
(うちの宗教では死んだ後は御霊になってふわふわ墓地やら家やら移動し見守っているとかいう考えらしいから天国という考え方もどうなんだろうか・・・?)
僕も家系の関係上一応そこに入信させられているが
全く信じていない。

死後の世界を否定する考えを持ってしまうと葬式を開く意味・理由がないような気がしてならない。
形 だ け の 儀 式 をするために数百万と10時間以上を費やすのはどうなんだろうか・・・?



まぁ僕がこう考えるだけで他の人が葬式を開くことは否定しないけどね


僕が死ぬときは遺書に 

「葬式は開かなくて良い」

って書いておこうと思った。





・・・もしかしてブログにも遺書って適用されるんだろうか・・・?


どうでもいいな(ぁ







疲れたから寝よう










おやすみ 〆







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No title

シリアスに書いてるじゃねーか。少し感動したよ、うん

うちも2年か3年ほど前に祖父が死んだのだが、そのとき泣かなかったな。結構良いじーさんだったよ。でも、泣かなかった。人として壊れてんじゃねーのかとか今なら思えるけど、そのときは漠然として『死ぬ』っていうことがイメージできなかったんだと思う。というよりそう思いたいね。壊れた人であったほしくねーもん自分が。

あと、これは自論ではあるが、『人』と『物』との線引き。難しいことをいうな。 医学とかでいうなら『生命活動をしてる』が『人』の条件だと思う。極論、死んでしまえば例え生前『人』であろうが、それはすでに『物』といってもいいんだろうな。
 観念とか宗教にはいっちまうと『人』はずっと『人』のままなんだと思うぜ。死んだとしてもな。

火葬ね……思い出すのもあまりしたかないが、たしかに異臭がしたな。その人の最期の足掻きってところだな。あるいは、この世から離れたくなくて必死にしがみ付いているって感じもするな。臭いが残るから。

葬儀なんて生きてるやつの自己満足みたいなもんじゃねーのか? やりたいならご自由にやってください、だな。私は、俺は、僕は、死んだ人を思っていますってのを周り奴らに示したいんだろうよ。あるいは
慣習や惰性でやってるのかも知れんが。どちらにせよ死んだものには意味がないのさ。
そーいうことだ。
パス 1111

No title

>黄昏さん
イメージできなかった・・・ってのも
壊れた人であってほしくない
という逃げかもしれない。と考えたらキリがないんだろうけどな・・・

なんというか全てに共通すると思うんだが考え方次第だよな。
者 と 物 についても極論化すれば生命活動をしている。していない。なのかもしれないね。
観念や宗教で考えると死んでも人として扱われる・・・霊とかも人ならそうかもしれんねぇ・・・

あと冷たい言い方だとは思うがやっぱり葬式には意味がないんだよね。
それを行うことによって祖母が・・・安っぽいが天国というところに逝って自由に今後を謳歌できるならいくらでも自分からやるんだけどさ。

長文コメさんくす

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