| いうまでもないことだが、パソコンが普及してきた。 今やパソコンを扱えないと、生活のあらゆる面で不利を被ることになる。
 いつの間にこんなことになったのだろうか。
 少なくとも2年前、パソコンは生活の中でこれほど重要ではなかったはずだ。
 こうなると心配なのは2年後である。
 パソコン習得をやっておかなければもうやばいだろう。
 今はパソコンを覚える本当に最後のチャンスなのかもしれない。
 たとえば1年後、「パソコンは苦手で・・・。」と笑ってごまかすことがまだできるだろうか。
 数年前、私はパソコンができないことを笑ってごまかしていた。
 できないできないと言いつつ、なんとなく覚えてきた。
 そして今では多少のことは対応できると思っている。
 使ったことのない機能であっても、その気になれば、まあ大丈夫だろう、と驕っている。
 パソコン習熟の方法を考えてみたいと思う。
 私の理念は「必要に迫られれば自然と覚える。技術は二の次。言いたいことがあるかどうか。」だ。
 
 パソコンというものはここ数年間で急速に発展した。
 ウインドウズ95が出たあたりから急速に普及したのだと思うが、たとえば一般家庭でインターネットを利用し始めたことだって、ここ5年以内くらいの話ではないか。5年前は皆、しろうとだったのだ。
 ということは、パソコン苦手と感じている人だって、これから5年以内にパソコンに習熟することはできるはずだ。
 このとき、単独にパソコン機能を覚えこむことは意味を成さないと私は考える。
 それよりもパソコンで何がしたいかを明確にすることだ。
 それにつきる。
 もちろん最小限の扱い方を覚える必要はあるが、それはとくに複雑なことではない。
 はっきり言って誰にでもできる範疇である。
 
 私が最初にキーボードを触ったのは今から20年前。(嫌だなあ。もう20年もたつのか。)高校生のときだった。
 自営業で父が翻訳をやっていた。
 その原稿を提出するときにワープロ原稿での提出を要求される場合が多かったので、母がワープロを購入して父の手書きの翻訳をワープロで打ち込んでいた。
 ワープロは懐かしき「文豪ミニ」だった。
 朝日新聞の天声人語などを使って母と早打ち競争をした。
 そしてワープロができるようになったので、父の原稿をワープロで打つ「バイト」をした。
 そのころ「パソコン少年」というのは特別なおたくの人たちのことを指した。
 
 大学に入って私も人並みに「彼氏」を持った。
 「彼氏」はけしておたくではなくどちらかというと遊び人系であったが、家にかえると「情報処理2級」を目指すパソコン人間だった。
 彼氏の家にいくと、ワンルームマンションにPC8800が、すごいパソコンデスクとともに鎮座していた。
 そこで、テンキーを使ってゴルフゲームなどをやり、ゴルフのルールを覚えた。
 
 社会人になったら、営業職だったこともあり、パソコンを触るのは、受注伝票入力程度になった。
 自分がとった受注を会社のシステムで入力するだけだからしれたものである。
 そんな状態が4、5年続いた。
 重要な文書は手書きで作成する。
 
 人材派遣元に勤めたときは傑作だった。
 スタッフの業務はそのとき花形だった「一太郎・ロータス」のオーダーが集中した。
 両方とも扱えるスタッフはものすごく「できる人」だった。
 派遣元のこちらは、お客さんに「一太郎」を使えるスタッフを紹介しながら、一太郎とはなにものかをよくわかっていなかった。
 どちらかというと「一太郎」と「花子」が対のもので、「ロータス」はもっと高度技術なのだろう、などと思っていた。
 
 ある会社にいたとき、どうにも暇だった時間にふと気になった。
 会社の人数よりもパソコンの台数が多かったからだ。
 しかもパソコンを使用しているのは、パソコンおたくの取締役一人だけだった。
 その取締役の人の趣味で、その会社には使わないパソコンが増えていったらしい。
 そこで、あいているパソコンの電源をいれてみた。
 それはMS−DOSの時代のロータスだった。
 その取締役の人に習いながら、暇な時間にロータスをいじってみた。
 そこそこできるようになったら、その取締役の人のパソコンをぶんどってウインドウズのロータスをいじるようになった。
 そしてその会社の書類関係をすべてロータス、一太郎での形式に変更するよう提案をして、紆余曲折の末、通ってしまった。
 でもその頃、時代はすでにEXCEL、WORDの時期に入っており、弱小企業につとめていた私はその前の人材派遣会社の経験からしても、ロータスが標準だと思っていた。
 大手外資系のお客さんと電話で話しをしており、相手はexcelのつもりで話すものだから、どうも機能のことなどですれ違いが生じていたけど気にせず「うちはロータスです!」などと言っていた。
 
 次に入った会社ではEXCEL、WORDが必須条件だった。
 ロータス・一太郎の私はそれでも似たようなものなので大丈夫だろうと思い、入社した。
 EXCEL、WORDはロータス、一太郎とほぼ同じであったので想像力でどうにか使えたが、そこの会社がマッキントッシュだったのには閉口した。
 電源を入れるときにまずびっくりした。
 「すいません。電源どこですか。」
 と聞かなければならなかった。
 キーボードに電源がついてるとは思わなかった。
 そしてマウスに右クリックがないことにうろたえ、ファンクションキーがないことに2度びっくり。
 そういえばなんとなく物足りないキーボードのような気がしたのだ。
 周りに聞きまくり、「りんごとP」とか「りんごとC」とか教えてもらう。
 マックって不便、ファッションだけじゃんよーと心の中で毒づいた。
 
 その後、プーになった。
 家のパソコンは、昔旦那が会社から不要なパソコンを持ち帰って(MS−DOSだった)、主にカードスリーというデータベースソフトを使って洋服のデータベースを作ったことと、競馬のPAT(パソコン通信で馬券を購入するシステム)をやる程度だったが、一太郎ロータスの時代にパソコンに目覚め、ウインドウズ98が出る頃に一台購入していた。
 プーになってまず消費生活アドバイザーを目指して勉強をしていたのだが、それが終わってどうにも暇な時期があった。
 そこで思いついたのは、ホームページを作ることだった。
 「無料でつくるホームページ」というような本を購入し、さっそく競馬のサイトを立ち上げた。
 もうひとつ「ダイエット」みたいなサイトも立ち上げ、ダイヤルアップ回線でオフライン接続を知らず、二つのホームページの運営のため、一時期電話代は20000円超を記録した。
 ホームページを作成するのはおもしろかった。
 素材提供サイトなどを見てまわって「壁紙」を選ぶときなど、新居に入居したような気分だった。
 よく言われるHTML言語などは知らなくてもホームページの作成はできる。
 必要なのは知識ではない。
 最低限のワープロ操作と明確なテーマがあればホームページは簡単に作れる。
 結局キーボードの操作などは、必要に応じて自然とブラインドタッチになっていった。
 ホームページで自分の言いたいことを打つときにいちいちキーボードの配列を意識していたら、言いたいことがなんだったか忘れてしまうからだ。
 その前のロータス活用の時期にすでに、言いたいことをパソコンで打つ、ということが優先だったため、とくに訓練しなくてもいつのまにかブラインドタッチにはなっていた。
 プーのときもうひとつ、「MOUS」の勉強もした。
 これはマイクロソフト・オフィスなんたらという検定試験で、EXCEL、WORDの技術を磨くためのもので、「マクロ」などを覚えた。
 ところがやり方はわかったものの、マクロを使う状況というものを想像できなかった。
 定型的な業務をこなすためには使えるかなあ、とは思ったが、そのときの自分には特に必要のない機能だったので今はもう忘れてしまっているし、マクロを使うと立ち上げたときに注意がでるのもうっとうしかった。
 結局頓挫したけれども「MOUS」のような機能のための検定というのは実力の証にはなるけれども、本当の活用という意味ではあまり必要ないかも、と思った。
 
 そしてそうこうするうちに、うちのマンション全体でブロードバンドを導入することになった。
 二つのプロバイダーが競合し、両方とも入って好きなほうを選ぶことになったので、入会した。
 X−DSLというやつだろう。
 昨年の2月頃、晴れて我が家もブロードバンドになったのだ。
 まず驚いたのは、電話代が2000円代になったことだ。
 それまでは、オフライン接続という機能を知らずにオンライン接続でホームページの更新をしていた時期の2万円をピークに、少なくとも月々4000円は電話代がかかっていた。
 うちは電話はまったくしないのだが、かかってきたときのために番号通知サービスとキャッチホンを利用している。
 しかしキャッチホンはダイヤル回線でインターネットをしていると、キャッチホンが入った途端に接続が切れてしまうので、不便なので途中で脱退した。
 しかし、実際に電話を使わなくとも、各種サービスの基本料金と、電話代を気にして必要最小限しかつながないインターネットのために4000円はくだらなかったのだ。
 それが、ブロードバンドに変えたとたんに翌月から電話代が大幅縮小した。
 1年たつが、電話代は一度も3000円を超えたことはない。
 しかもインターネットを利用する頻度がものすごく増えた。
 調べものをしに図書館に出向くということをやらなくなった。
 友達との待ち合わせや連絡もメールを使い、電話などはしない。手紙も書かない。
 独立後は自宅と会社で同じメールアドレスを使うようになったため、メールがある限り、家で深夜でも休日でも仕事の連絡はする。
 そのせいでパソコン関連費用は家では私が負担することになってしまってもいる。
 数年前と大きく異なったのは、パソコンを必要にせまられて使っているということである。
 単なるデータ入力で会社で使っていたときには、パソコンは業務のためのもので生活とは関係なかった。
 家でパソコンを立ち上げる場合は、やりきれなかった仕事をやる場合に限定されていた。
 しかし、今はどうだろう。
 少し遠出をする、そうすると電車の時刻表とかを見るためにパソコンに向かう。
 テレビの天気予報の時間に間に合わなかった場合はパソコンで天気予報を見る。
 ちなみにブロードバンド化してからうちではパソコンの電源を基本的には落とさない。
 常に待機状態にしているが電気代も別に高くなってはいない。
 
 ITITと、特別なことのように考える前に、まず使ってみることだ。
 それもMOUSのように使うことを目的にしてしまうとちょっと違ってくる。
 パソコンは道具だ。
 パソコンを使うことが目的になっては上達できない。
 何かやりたいことがあるからパソコンを手段として使う。
 この順番でないといけない。
 パソコンは苦手、という人に言いたい。
 なにかやりたいことはないか。
 それをまずパソコン使ってやってみよう。
 それができたら大丈夫。
 技術というのは最初の一つを覚えるのが大変なんで、あとは芋づる式にできるようになるものだ。
 パソコンはITではなく生活必需品にもうすぐなるだろうと思われるので、キーボードやファンクションキーを恐れてはいけない。
 それから、ちょっとやそっとではまず壊れないのでいろいろと冒険して触ってみることだ。
 私などは容量を大きくしようとして必要なプログラムまで削除してしまったが、修理に出さずにダウンロードで対応できたんだから。
 
  
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