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【直撃!ウワサの美人市議】(上)父曰く「おっぱいはフツウです」 (2/2ページ)
このニュースのトピックス:地方自治
友信さんは33歳で市議選へ初出馬したが、落選。4年後に初当選し4期16年、副議長まで務めた。
優里さんは3歳のころから、そんな父親のひざにちょこんと座り、一緒にテレビの「時事放談」を見ては「パパ、なんでジジホウダンがあってババホウダンはないの?」と尋ねるような子供だったという。
友信さんの事務所は、住宅街の中にある木造2階建ての自宅と兼用。毎晩のように支持者らが訪れ、応接間で陳情や結婚、離婚の相談をしていく。風呂場は応接間のすぐそばにあるため、優里さんは午前0時より前に入浴することがほとんどなかったという。
優里さんは自宅近くの市立小から市立中、自宅から1キロ余りの場所にある県立高へと進み、上京して帝京大文学部心理学科で学んだ。
一方の友信さんは2003年、「そろそろ県議に」と言われ、統一地方選の県議選に初出馬。定数8に対し13人が立候補し、結果は6140票で最下位だった。友信さんは二度目の浪人生活に入った。優里さんは市内の介護老人保健施設に就職した。
「大学院へ進んで福祉の勉強をしたかったようですが、ウチの経済状況が許さなかった。娘は働きながら通信教育と東京へのスクーリングで診療情報管理士という資格を取ったのです。子供のころから意志の強い娘でした」
2007年4月、転機は突然訪れた。きっかけは、友信さんが再び県議選に挑戦し、落選したことだった。
=(中)は明日10日に掲載します