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<3> 産科離れ 加速化

過労で燃え尽き、学生も敬遠

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「分娩中止」のお知らせが掲げられた東京・武蔵野市の「佐々木産婦人科」。分娩から撤退する開業医が増えている=三輪洋子撮影

 「このままでは死んでしまう」。茨城県北部にある日立総合病院の産婦人科主任医長、山田学さん(42)は、そう思い詰めた時期がある。

 同病院は、地域の中核的な病院だが、産婦人科の常勤医8人のうち5人が、昨年3月で辞めた。補充は3人だけ。

 しわ寄せは責任者である山田さんに来た。月に分娩(ぶんべん)100件、手術を50件こなした。時間帯を選ばず出産や手術を行う産婦人科には当直があるが、翌日も夜まで帰れない。6時間に及ぶ難手術を終えて帰宅しても夜中に呼び出しを受ける。自宅では枕元に着替えを置いて寝る日々。手術中に胸が苦しくなったこともあった。

 この3月、さらに30歳代の男性医師が病院を去る。人員の補充ができなければ、過酷な勤務になるのは明らかだ。山田さんは、「地域の産科医療を守ろうと何とか踏みとどまっている。でも、今よりも厳しい状態になるようなら……」と表情を曇らせた。

 燃え尽きて、分娩の現場から去る医師もいる。

 別の病院の男性医師(44)は、部下の女性医師2人と年間約600件の分娩を扱っていた。24時間ぶっ続けの勤務が20日間に及ぶ月もあった。自分を病院に送り込んだ大学の医局に増員を訴えたが断られ、張りつめた糸が切れた。2005年夏、病院を辞め、分娩は扱わない開業医になった。その病院には医局から後輩が補充されたものの、やはり病院を去ったと聞いた。

 少子化になる前、お産の現場を支えてきた開業医たちも引退の時期を迎えている。東京・武蔵野市にある「佐々木産婦人科」の佐々木胤郎(たねお)医師(69)は、1975年の開業以来、3000人以上の赤ちゃんを取り上げてきた。しかし、今は「命を預かるお産は責任が重い。体力的にきつくなり、訴訟の不安もつきまとう」と、分娩をやめ、妊婦健診だけにしている。

 産科医がお産から撤退すれば、妊婦にしわ寄せがくる。

 東京・町田市の女性は昨秋、妊娠5週目ほどの時に神奈川県内の小さな産院を初めて訪れ、あっけなくこう言われた。「あら、あなた35歳なの? うちでは診られないですね」

 周辺病院で産科の閉鎖が相次ぎ、この産院に妊婦が集中したため、リスクの高い35歳以上の初産妊婦はお断りせざるを得ない――。そんな張り紙が待合室の隅に張り出されていた。帰り際、「早く探さないと産めなくなりますよ」と、別の病院を3か所ほど紹介してくれた。「これが現実なのだと自分を納得させるしかありませんでした」

 その後、産院や助産院を5か所回った。2か所は断られた。ある産院では「35歳の初産は分娩時に救急搬送になる可能性が高い。そういう妊婦は受け入れられない」と言われた。

 「仕事が忙しくて、出産を先送りにしてきたが、35歳以上の出産がこれほど大変とは思わなかった」と話す。

 医者の産科離れを加速させるのが、医療事故や訴訟のリスクだ。「子どもが好きだから、将来は産婦人科医も面白そう」と考えていた医学部3年生男性(22)は、「一生懸命やっても訴訟を起こされたり、刑事裁判の被告になったりしたら人生が台無しになる」と、産婦人科に進むことをためらっている。

 勤務医は過労で燃え尽き、開業医も分娩から撤退。現状を知った医学生が産科を敬遠する。医師も施設もますます減っていき、緊急時の妊婦の受け入れ先がなくなる――そういう悪循環が見えてくる。

 産科医が直面する問題を昨年、小説に描いて話題になった昭和大医学部産婦人科学教室の岡井崇教授(60)は、「悪循環を断ち切るには、働く環境を改善して現場の医師をつなぎ留め、産婦人科に進む医学生を地道に増やしていくしかない」と話している。

2008年2月8日  読売新聞)

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