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「ニュースのたね」について
オーマイニュース(OhmyNews)の掲載記事のうち、「ニュースのたね」ページに掲載されている記事は、オーマイニュースによる編集作業を経ていない、市民記者から投稿されたままの記事です。その点をご理解のうえ、お読みください。 【バレンタイン】バレンタインデーを作った人と会った~その時期、お菓子は売れなかった~三田 典玄(2008-02-08 15:44)
もう10年ほど前になるが、私は博報堂の某部長さんとある地方都市のお仕事をしたことがある。その方は非常に話が好きで面白い方だったが、今頃はもう退職され、悠々自適の生活を送られているのではないかと思う。今はその方と連絡はつかない。
その方とお話をしていると、大変に面白い業界の裏話が多かったが、特に私の興味を惹いたのは、その方が手がけた、という「バレンタインデーにはチョコレート」の話だった。 実は、その方が「バレンタインデーにはチョコレート」という広告戦略を作った方だという。 2月の中ごろ、という時期は、かつてはチョコレートをはじめとしたお菓子類の売り上げは「冬の時期」にあたった。ケーキをはじめとしたクリスマスも、また正月も終わり、食べるものはほとんど腹いっぱい、という時期で、お菓子全体が売れなかった。その時期がお菓子類の売り上げが一番落ち込む時期であった、という。 そこで、お菓子メーカーからの依頼で、広告代理店・博報堂に「この時期にお菓子を売る戦略は無いか?」という広告戦略を求められ、作ったのが「バレンタインにはチョコレート」という戦略であった、という。最初は広告やデパートでのキャンペーンを打ってもあまり売れなかったが、日本が高度成長をはじめ、それが軌道に乗り始めた1950年代後半に広告代理店が入り、広告戦略が定着し始めると、だんだんと社会に浸透し、やがて飽食の時代にさしかかる1960年代中盤には、テレビの普及の影響もあり、かなり大きな「チョコレート・シーズン」が出来上がった、という。 そして、大きなブレイクは1970年代に入ってからだ。まさに「飽食の時代」の幕開けの時期とそれは重なる。現在では日本の年間のチョコレート消費量の1/4がこのバレンタインデーでの消費だという。 「バレンタインデー」は、要するに日本の社会の高度成長とともに、広告代理店の戦略で作られた「チョコレート・デー」ということになる。社会が豊かになり、女性は結婚すると家庭に収まるのではなく、社会で働くことが当たり前になった。だから、女性の社会的存在感がさらに増した時期でもあった。もちろん、ここにはチョコレートとともに、「恋愛」というキーワードがそこには重く乗っている。 バレンタインデーとは、要するに日本社会の戦後の高度成長と、庶民の豊かさを象徴する1つの「指標」であったのかも知れない。そしていま、高度成長は終わり、マイナス成長の時代に入った。 「バレンタインデーを作ったのは、私なんです」。 今でも、バレンタインデーになると、地方都市の駅からクルマで向かった打ち合わせの場所までの道すがら、元博報堂のその方との会話が耳によみがえる。彼は退職し、高度経済成長は夢と消え、いくつもの企業がつぶれ、偽装食品や毒入り食品が話題になる時代になった。バレンタインデーを否定することを公に言う人も増えてきた。 「バレンタインデー」とは、戦後の多くの日本社会のこういった「流行りもの」がそうであるのとまったく同じように、「かつて高度経済成長があった」、その名残なのかも知れない。 --- と、色気のないバレンタイン記事ですみません。 なお、記者はチョコレートは拒否しません。 毒入りでなければ。 |