うどんの秘密:その2 / サンモリナガ
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先生は元九電の社員で、50にして退職希望の手を挙げ、第二の人生を歩みだしました。うどん屋さんを始めたのです。
退職後の計画の一つに中国の旅がありました。ある時、上海空港待合室で、ふと買い求めていたパンをバッグから取り出し食していると、見知らぬ老紳士と目が合い、「宜しければお一つどうぞ、」と声を掛けたのです。「ありがとうございます。」・・そう日本語で答えた老人に「邦人の方ですか?」訊きますと、そうではないが少しは出来ますと、答えられ、パンを食べながら色々話が進み、その老人は、先生の出身が佐賀と聞いたので、「宜しければ、保証人になってくれませんか。」と言うのです。
老人の話に由ると、末の息子が長崎大学の医学部に入学したが、日本人の身元保証人が見つからないというのです。快諾した先生はその息子の面倒を親のように看て、大学の休みなどは、うどん作り、お店の手伝いに精を出し、いつしか先生を「お父さん」と呼ぶようになったそうです。
来日した両親と一緒に京都奈良の日本を満喫し交流を深めていきました。
ある時、上海に降り立った先生を老人の名代二人が待っていました。車で案内されたのは、とてつもなく大きな病院の理事長室でありました。そうです、老人は大病院の理事長だったのです。・・・・
毛沢東は「不忘階級苦」を旗印に国を造りましたが、36の階級が現中国には存在するそうです。一から七階級までは共産党員が占めていて、老人は第八階級の人間だそうです。
老人が言うには、日本に行った時の先生のうどんの味が忘れなれない。なんとかこの上海であの「うどん」を食べる事が出来ないか、帰国してずうっと考えていた。
就いては上海の一等地に1000坪ほどの土地を手配している、是非あの美味しい「うどん」が食べれるお店を先生ひとつ造ってくれませんか!!と提案されたのです。
・・・・続きは、また、・・・
2007年3月6日(火) at 20:04 / コメント( 7 )
このエントリ(記事)に対するコメント
秘密? / がばいよしお
先をせかせてすみません。
すると、サンモリナガのうどんの元祖は、この元九電の先生が独自に開発したのですか?
中国3千年の歴史とサンモリナガのうどんは関係ないのですか?
2007年03月06日(火) at 21:03
そのとうりです。 / サンモリナガ
かばいよしお様
そのとおりです。
ぶつ切りの中国4000年の味ではなく、
連綿と続いたわが国、日本の洗練された奥の深い味です。
どうですか!!凄いでしょう。 えっへん!!!
2007年03月06日(火) at 21:13
ついでに一言 / サンモリナガ
がばいよしお様
ついでに一言。
何だかんだと言っても、漢字は日本語ではなく、漢字、即ち中国の言葉じゃないか、と のたまう日本人がいますが、チョット待ってくんしゃい。
実は、中国、韓国は法律関係の書物を一ページも日本語無しでは読めないのをご存知か??
自由、平等、権利、保障その他諸々の法律概念は全て日本人の言葉であります。
ラーメンは、中国で食べられる代物ではありません。
たぶん、ラーメンは日本の文化です。
サンモリナガの太平燕(タイピーエン)も、実はこの「うどんの出し」であればこそ、あの味が出るのです。
すみません。
2007年03月06日(火) at 21:33
読みにくいブログ / 福津市のおじさんURL
いくら几帳面に書いていただいても
読みにくい。「読んでもらえる=食べて頂ける」
そんなブログが私の気持ち。
2007年03月06日(火) at 22:30
たべたい / konkon
たべてみたい!!
この一言ですね。佐賀に行く時間がほしい。心の底から思っています。
続きは明日でしょうか?楽しみにしています。
2007年03月06日(火) at 22:34
福津市のおじさん様へ / がばいよしお
少しばかり、文字がびっしり書かれていて、
読むのに、気合が必要ですね!
文書の切れ目を意識して、空白行・・・
一回の投稿に書きすぎないなどでしょうかね!
今度、会ったときに、話してみます。
福津市のおじさん様:コメントありがとうございまいた。
2007年03月06日(火) at 22:35
やる気をそぐ無能コンサルタントとは? / おさるの頭なで係
>福津市のおじさん
>がばいよしお
こいつら、一体何が言いたいのやら・・・。
せっかく、面白い話を書いてくれてるのに、、、
それにしても、サンモリナガの社長さんは、
なぜ今釜のようなコンサルタントに
引っ掛かってしまったのだろう・・・。
2008年02月09日(土) at 1:34
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