増殖を続ける画像事件はこれだけで終わらない。おとり捜査で購入したビデオを販売していたのは、Yとは全く面識のない集団だった。 Yは自分の売り上げを奪われないよう、自分が販売したビデオにそれぞれ製造番号を入れ、複製を転売したと分かった客には二度と売らなかった。それでも複製は大量に出回り、新たなマーケットを生み出していく。 捜査員が購入したビデオの発送先は横浜市内の郵便局。防犯ビデオにはインターネット関連業者S社の社員が映っていた。S社はマンションの一室に30台のビデオデッキを並べ、ダビング工場にしていた。そこを仕切っていたのは元プロ野球選手だった。動機について「現役時代の生活水準を下げたくなかった」と供述している。 社長は39歳。会社経営に行き詰まり、手っ取り早い経営再建策として考えたのが、児童ポルノの販売だった。仕入先は新宿・歌舞伎町の裏ビデオ店。Yの客の誰かが流出させた「関西援交シリーズ」が人の手に渡り量産され、裏ビデオ店に並んでいたのだ。 ビデオは売れに売れる。ダビングの人手が足りなくなり、競輪場などで職にあぶれた中高年などに声をかけ、バイトとして雇った。パソコンの知識がある若手はネットカフェに派遣し、他の販売サイトに客を取られぬよう、S社が運営するサイトの評判がいいことをネット上の掲示板「2ちゃんねる」などに書き込ませた。 S社に絡み逮捕・書類送検された人間は最終的に25人に達した。わずか1年2ヵ月で6000人以上に売り、稼いだ金は2億円近くにのぼる。販売より収益が大きかったのは、会員制有料サイトによる動画の配信だった。社長は捜査の手が及びにくいよう、米国のサーバーに画像データを送り、会員がダウンロードできる手法を取っていた。社長らが逮捕された後も、権利を譲り受けた何者かが配信を続けていた。 こうして一度製造されてしまった児童ポルノは際限なく増殖を続けていく。 リストカット、妊娠、退学。 被害者は一生の傷を負う製造から販売まで、「関西援交」に群がった大人たちに共通する動機は、児童ポルノが「楽をして稼げる打ち出の小槌」となっていることだ。その需要を支えるマニアもまた、多くは普通の日常を営む社会人だ。 捜査で判明した「関西援交」の顧客は168人。その大半は20〜30代の会社員だったが、医師や国会議員の秘書もいた。サラリーマン以外で多かったのは教師だ。 佐賀県の中学教諭はシリーズのほとんどを自宅の倉庫に並べていた。捜査員が「教壇に立つ者がこんなものを見ていいのか」と憤ると、教諭は「仕事と趣味は別」と開き直ったという。 何がマニアを引き付けるのか。アダルトビデオ業界の関係者はその心理をこう分析する。「児童ポルノには女優による演技ではない素人っぽさがある。自分がロリコンであるという自覚がない人でも、一度見てその魅力にとりつかれ、足抜けできずに新作を期待するようになる」。そして「インターネットの普及で、ペドフィリア(児童性愛者)は確実に増えている」と明言する。 マニアの欲求を満たす「道具」とされた子どもたちの傷は深い。被害少女らはYに「バックに暴力団がいる。途中で泣いたらぼろぼろになるまでたらい回しにする。逃げたら友達がひどい目に遭うぞ」などと脅され、撮影されていた。 映されている少女・少年が子どものように見えても、「児童ポルノ」と断定するには被害者を特定し、18歳未満であることを立証する必要がある。関西援交事件で警察が押収した画像には95人の少女が映っていたが、特定できた被害者は28人にとどまる。うち小学生が2人。知的障害のある子、親に性的虐待を受けていた子、母親に「この子を撮って」と売り込まれた子までいた。リストカット、撮影による妊娠、退学など、その後の生活にも大きな影を落としている。そしてこのシリーズを紹介する雑誌は、少女たちの「その後」の噂話を掲載し、さらに新たなマニアの欲求をかきたてていた。 「関西援交」はこうしてマニアたちの間でブームを形成し、その後「宇都宮援交」「廣島援交」と題したシリーズを製作する者まで現れている。
情報提供:中央公論新社
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