2008-02-07
■[なんだかなぁ]熱ければいいのか?
「イインダヨー!」で済ませても別にいいのだけれど……
07/08/20 00:16 投稿 地球が侵略された【前編】 |
その前の日本編・世界編までは良かったのだけれど、「未来への咆哮」だかが流れてきたところで急に冷める。一つにはそれが余りにライフゲームのルールを無視しているように感じるからなんだけど、それ以上に、その勢力が前回消滅したはずの桜色=日本だからなんだろうなぁ。なんというか、結局ぷちナショですかみたいな感じで。
そりゃさ、確かに「俺たち(の国)が世界を救うんだ」みたいなノリは燃えるよ?しかも前回の「世界編」では、それこそ僕らが憎むべき国であるチュウゴクに負けてがっくり来てるところだから、そのチュウゴクが宇宙人にやられて「ざまぁみろ」となっているところに、我らがダイニッポンテイコクが手を差し伸べるというのは、そりゃあ作劇作法から言っても最高に燃える展開だろう。でもさ、こりゃ僕が過敏に反応してるだけかもしれないけど、やっぱりそれは幾ら燃えるからと言っても、いや、むしろ燃えるからこそ、そんな「燃え」を作り出すために使って良い展開じゃないだろと思うんだけどなぁ。別に僕はそういう「ナショナリズム」そのものを主張することを批判したいわけではない*1。だけど、そういうモノは、しかるべき場で提起するべきモノであって、少なくともこういう風に全てがネタとして消費されていく空間で、いわゆる一つの「燃え」要素として利用して良い、そんなものではないでしょう。
しかし一方で、こんな風にいちいち「盛り上げる為に作品にナショナリズムの風味を入れるのが良いのか?」とか考えることが、ニコニコの「面白ければ何でも良いじゃん」というテーゼに逆らっていることも、僕は十分分かるんですよねぇ。なんだかんだ言って僕はニコ厨だから、その「面白ければ何でも良いじゃん」というテーゼは全面的に擁護したい。けどなぁ……
結局、ただ単に僕が老いてしまっていて、もうニコニコ動画の波について行けないということなのかもしれないな。だって「ニコニコ学校シリーズ」とかもタイトル見ただけで拒絶してしまうもん。なんであんな動画で無邪気に楽しめるのか理解できない。でも多くの人はあんな動画でも無邪気に楽しめるわけで……はいはい単に僕の頭が古いだけですよ。
しかしそんな風に無邪気に「これは面白いw」とか言って遊んでいると、その内頭の良い人にいいように利用されちゃうと思うんだけどなぁ*2。ま、いっか。そういう時が来れば、僕だけスタコラサッサと逃げれば良いわけだし。
■[考える]「他者」にあったとき、僕らは戦うしかない
仕事で毎日残業続きで帰って寝るだけの日々です。休日は日曜しかありません。手は荒れ放題で写真では見え難いかもしれませんがあちこちに傷が入ってしまいました。働く事とはこうゆうことです。実存さんみたいにメンヘラで障害等級二級とって哲学書を読み漁り悠々自適の療養生活を送るだけの人には想像もつかない世界でしょうけどね… 手足がついてりゃ働けるんだ。働かない人間は、人間の屑だよ。
はてなブックマーク - 働く事… - heartbreaking.
2008年02月06日 jituzon 仕事 それはお疲れ様です、としか。親が裕福だったり宝くじで3億円当たったりしてもはしごたんは働くのかしら。「働かざるもの食うべからずは最低の格言」と西之園萌絵と犀川教授は言ってるわ。人間の屑でも構わない。
本来だったらこういうやり取りに第三者は口出しすべきではないし、口出ししたら必ず両方を不愉快にさせてしまうことは分かっています。
でも何か発言したいから口を出す。僕は心根が腐っていますので。
この発言に対して、ほかのはてブコメやはてダの人たちは、「他人の幸せを妬んでも自分の幸せは掴めないよ」とか「働くことが美徳であることを誰が決めた」とかそういう反論があります。
僕だって、言おうと思えば、例えばこれまでに仕入れたシャカイガクとかの知識を生かして、「そうやって過剰に労働することを美徳とすることによって、あなたはその過剰労働を『これは美しい行為なんだ』と耐え抜いているのだろう。でもそれは、自分で自分を搾取していることに他ならない。そしてその搾取された分は資本家の懐に行く。つまりあなたは、『自分は自発的に美しい労働をしているんだ』と思い込んでいるかもしれないが、実際は資本家が作り出した搾取システムの中で搾取されているだけなのだ。目を覚ませ!」とか言えるかもしれない。でも言わない。何故か?
僕は思うからだ。問題は全くそんな所に無いんじゃないかと。
id:hashigotan氏は、それこそ見事に人々の怒りや憎しみを買う方向へと突き進んできた。「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろでは大多数が「おめでとう!」とまるでエヴァのTV版最終話のラストシーンのように拍手を浴びせかける「ある個人史の終焉」という記事につばを吐きかけ、それで一部の非モテ・非コミュの支持を得たかと思えば、今度はインターネットで知り合った相手との交際の詳細をブログに挙げ、そのような人々からも恨みを買う。他にも色々gooブログ騒動とか挙げればきりが無い。
当然それらの行為は論理的に見れば一貫性を欠いていると言わざるを得ない。でも、はっきり言って僕はそういう表層の論理なるもので人間が行動することなんか、ほぼ無いんじゃないかと考えているから、それはたいした問題ではない。そういう表層のイミテーションを取り除いたとき、彼女の意図は明らかではないだろうか?
つまり、
みんなの敵=他者になること
他者
以前sjs7は、ブログでこんなことを言った。
その「他者性」っつーのを語る時に、わざわざ哲学とか思想とかそういうのを持ち込んで、殊更抽象化しようとする傾向が気になる。
いや別に昔の人が考えたことを利用するのはかまわないのよ、というかそれがない思想なんか捨てちまってもかまわないようなもんだと思う。
ただ、もしその利用する意図が、その「他者性」をよりビビットに理解するためでなく、その言葉をややこしくし、自分自身からかけ離れた一般論的な話として使う為だとしたら、それはやっぱり、欺瞞なんじゃないのかと、考えざるを得ない。
例えばよくこう言う人が居る。
「私達は思想の中で常に他者の他者性を考え、それを尊重する、そういう回路を見いださなければならない。」
まぁ、結構な言葉だよ。
でも、そういう風に抽象的なこと言ってる人に、僕はこう聞きたい。
そう発言して、何か具体的に効果が得られてる?と。
思想の中で他者性ってのはつまりこういうことだ。
ある思想を訴えるためにデモ行進をしている人達が居る。別に思想は何でも良い。ホワエグ反対でも良いし、フリーターの地位向上でも良いし、女性・障害者・外国人の権利向上でも良いし、反戦運動でも良い。
そういうデモをしてる時、周りでこうつぶやく人が居る。
「道路の真ん中を歩いてたりするなよ、邪魔だろ」
「そんな暇があるなら働け(仕事探せ)」
「もっと周りの迷惑とか考えろよ」
「普通に日常生活を送っている人の邪魔をするな」
「こういう一部の変な人達のせいで、真面目に生きている多数派の人達が変な目で見られるんだなぁ」
これが「他者」ですよ。どうも反権力とかそういうことを言う人って言うのは、他者っつーと、在日外国人とかそういう人みたいに、権力を構築している共同体とかそういうのを突き崩していく善の他者しか考えないけど、実際は、そういう人は結構自分と同じこと考えてるんだから、そんなにかけ離れた他者ではないわけで、むしろこういう、自分たちと真に敵対するものこそ、他者的な他者として考えるべきものなわけ。
投書欄 僕たちは、今ここで生きる、日常で他者に出会わなくちゃいけない
「他者」は何処にいるのか?
ある人は「それはインドの山奥にある」と言い、
ある人は「それは日本の古来からの伝統にある」と言い、
ある人は「それはアニメの中にいる」と言い、
ある人は「それはイラク(パレスチナ・アフガニスタン・ソマリア)にいる」と言い、
ある人は「それは隣国の民にいる」と言い、
ある人は「それは在日外国人の中にいる」と言い、
ある人は「それは《ここ》ではない《どこか》にある」と言う。
でもそれは違う。
「他者」っていうのは、僕らのまわりに居るものなんじゃ、ないのか?
例えば、僕らが笑う時、隣で泣く人が居るとして、
そういう人こそ、「他者」なんじゃ、ないのか?
僕は、例え彼女がどんなことを言ったとしても、id:hashigotan氏の言動を断固として支持する。
なぜなら、それを見つめられない限り、僕らは決して、上の記事で言ったような、本当の意味での「他者」にめぐり合えないと思うからだ。
実は、先日僕は「A」という本と、映画を見た。
僕は、この映画で描かれるオウムの、ある側面がid:hashigotan氏と似ているのではないかと感じた。といっても、それはオウムやid:hashigotan氏の性質というよりは、それを見つめる社会の性質によるものだが。
それは、あくまで「今は洗脳されているけど、洗脳が解ければ戻ってくる私たちと同じ市民」か、そうでなければ「存在することすら許されないモノ」としてしか、社会に扱われないという点だ。つまり、「同じモノ」か、その存在自体を否認するか。
もちろん共通点はここだけだ。差異を挙げようとすれば沢山ある(例えばサヨクさんはオウムと聞くと「みんな叩き過ぎだよ!彼らにも信仰の自由があるんだ」とか言って擁護する。でもid:hashigotan氏は一切擁護しない。「他者性」とやらをさんざん推奨しながらね。まったく、反吐が出ます♪)。
でも、僕はその「他者」という共通点が、実は今一番重要なんだと感じているから、あくまでそこに集中して考える。
何度でも言おう。僕らの社会は、「他者性」を擁護しようとか言いながら、その実「他者」と相対することをひたすら避け、「他者」を自分と同じモノだと、自分といつかは一つになれるモノだと思い込もうと必死だ。フィクション作品を見てみよう。例えばあの絶賛された『オトナ帝国の逆襲』を見よ!
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2002/11/25
- メディア: DVD
これなんかまさに、「他者」性に怯え、それを何とか必死に自己に取り込もうとした、もっともみっともない、僕からすればイライラムカムカする作品だ。
この物語の構造は、敵側の陣営である「オトナ帝国」を、味方側である野原一家が改心させるという展開だ。そして、この作品における「敵/味方」の区別が全くはっきりしていない。敵側は本気でコドモ側を叩き潰そうとしないし、コドモ側も敵側、そしてその敵側の陣営に入った親たちをを「敵=他者」として認めず、あくまで「取り戻す」などと口走る。ここに、「オウムから子どもを取り戻そー!」と叫ぶ人々の姿を重ね合わせてみよう。
そして、このアニメはご都合主義的にその敵側を改心させて、「敵側も私たちの21世紀的思想を受け入れ、みんな仲良くなりました」的な展開で終わらす。全く醜悪だ。*3あくまで「他者」を自己に統合しようとする。僕からすればそれは、それって結局のところ、あの映画版エヴァのアヤナミとほぼ同じに見えるのだが。
実は、この映画の醜悪さにこそ、まさしく、「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろという消臭剤が必要だったんだろうなと、僕はいまさらながらに思う。
殊ほど左様に、社会は「他者」をみっともない真似をしながら拒絶する。だからこそid:hashigotan氏はあそこまでしなきゃならないのだろう。
人は生きる限り「憎しみ」を受ける
そして、実は僕はこのid:hashigotanの記事にid:jituzon氏が寄せたブクマコメントにも感動した。
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2008年02月06日 jituzon 仕事 それはお疲れ様です、としか。親が裕福だったり宝くじで3億円当たったりしてもはしごたんは働くのかしら。「働かざるもの食うべからずは最低の格言」と西之園萌絵と犀川教授は言ってるわ。人間の屑でも構わない。
このコメントはid:hashigotan氏を、まさに「他者」として認識しているように感じる。人間の屑でも構わない。という言葉がまさにそれを象徴しているだろう。つまり、あなたという他者の評価基準と私の評価基準は違う。私はあなたに恨まれようが憎まれようがなんとも思わないと、宣言しているわけです。
というか、むしろ何で今までid:hashigotan氏と相対してきた人がこう言わずにid:hashigotan氏に変に同情したり、あるいは「そんなこと言うのはよくない」*4と言ってきたのかが理解できない。といいつつ、実は理解しているんだけどね。
つまり彼らは「自分を憎む人間がこの世界に存在し続ける」ことに我慢できないのだ。
だが、それははっきり言って子どもの駄々と言うものだ。というか、たとえid:hashigotan氏がいなくなったって、例えば先進国の住民ならば発展途上国の住民から憎まれる。あなたがこれらの企業から物を買うのなら、あなたはパレスチナの人たちから憎まれる。あなたがもし今持っている500円を募金せずに漫画を買ったりするのに使うなら、あなたは予防注射を待つ子供から憎まれる。例え何をしようと、この憎しみの連鎖からは人は逃れられないのだ。
ここで人は「宗教」に入るわけだ。つまり、そういう情報を自ら遮断して、「僕は普通の善良な一市民に過ぎないんだから、だれも傷つけてないし、ゆえに誰からも憎まれない」と。つまり、結局の所情報を遮断して洗脳するとされるあのマスメディア上に現れる「オウム」と大差ない。*5
僕らが、もし真摯に生きようとするのならば、「憎しみ」を感受しなければならないのだ。つまり、自分が憎まれていると実感しながら、なおかつ「それがどうしたって言うんだ。おら、もっと憎め!」と言う強さ。はっきり言おう、この強さが無い人間は生きている価値など無い。憎しみを持つ人間と、その憎しみが保持されたままでも向き合う。そして、憎しみがもし実際の行動となって現れたなら、躊躇無く相手を倒せ。ボーちゃんはあの時ケンを確実に轢き殺すべきだったのだ。それが生きるということだ。
まるで、『風の谷のナウシカ』の最終巻でナウシカがあのオームの匂いがする人々を殺したように、『寄生獣』の最終巻でシンイチが寄生獣を殺したように。
……最後id:hashigotan関係ねぇ!?
*1:個人的にはナショナリズムとかそういうものは生理的に大っ嫌いだけど、そういうモノを好きで、そういうモノが万人が持つべきであるという主張が世の中にあり、その主張を発言する権利もあることは否定しない。
*2:なんか某雑誌を読んでいたら、某前回の記事でも取り上げた某人文系ニュースサイトの人が、「君はゲッペルスになりなさい」とか言われて否定していなかったし。やっぱり頭の良い人はそこまで考えてるんですね。しかしあそこで否定しないのは、こういうページを主催している人間としては致命的なことだと思うんだけど、まぁそれも僕の頭が古いせいなんだろう
*3:それこそ赤木氏とかの思想の出番な気がする。赤木氏が本当に戦うべきなのは、そんな滅びかけた左翼なんかより、むしろこういう作品に感動したとか言ってしまう大衆ではないだろうか?
*4:そんなの結局てめえの価値観だろ?万人が共有するかのように言うなボケ
*5:「A」を見る限り、彼らはもっと誠実らしい。ただ、いずれにせよ「宗教」だから、そのような憎しみから逃げるのは同じみたいだけど。例えばゴキブリを逃がして満足するが、そのゴキブリは他の昆虫を殺すかもしれないということは考えないように
2007-12-22
■[うぇぶ]実名の公表はテロだとかいじめだとか、そんな話
小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護 - 荻上式BLOG
キーワード作成のテロ行為に関して、はてなスタッフは即刻対処せよ - 女教師ブログ
これは単にWebを介した嫌がらせ、いじめ、リンチの問題のはず。 - Demilog
そうさねー、とりあえず今一番感じていることを率直に言うと
- 本を出すぐらいに有名になれば、(今のところ)特に実生活に害が及んでいなくても、害が及ぶ可能性を与えただけで「いじめだ!」「テロ行為だ!」とか言われるんだなあ。世の中にはネットでの文章が原因でいきなり家に押し掛けられそうになった人間も居て、しかしその人間に対しては誰も助けてくれなかったのに。
ですなぁ。ついでに言うなら、ブクマコメントで声高に「実名晒しはいけない!」と晒している人を批判している人の中には、嬉々としてその押し掛けようとした人にインタビューをして、彼の言ったことをそのまま記事に書き、「押し掛けられそうになった人にも押し掛けられて当然の理由があった=いじめられる側にも原因があった」ということを言い垂れやがった人物が居たりするわけで(それこそ今回の件でも実際にトニオ氏とかにインタビューして見りゃあ良いじゃないですかw。それでフロイト=ラカン的な図式やら持ち出して解説してあげればいい)、いやぁ分かってますけど世界って不平等に満ちあふれていますね。
まぁ、そういう経験を経たからこそ、今回の実名晒しは僕もちょっと駄目だよなぁと思うんですけどね。実際、その騒動があってからは、僕も(一度知られてしまったからあんまり意味はないと知りつつ)実名は出していないわけだし。つまり、ネット上に個人情報が晒されると、本気でそれを元に実生活に害を及ぼすような気○いな人も、ごく少数だけれどネットには居るわけで、そういう状況にあっては、例えそれが卑怯であったとしても、匿名で意見を発表するというのもまぁ、やむを得ないでしょう。「何か批評的な発言をするということは、そういう変な人間に実生活で絡まれても良いという覚悟を持つべきだ」という主張ももちろんあるだろうし、僕もそういう主張にはどっちかというと同意したいのだけれど、しかしあーた、自分とイデオロギーとかで対立する相手が「お前の意見は気にくわないからお前に討論を申し込む」とか言うのならまだしも、別にそういう高尚なイデオロギーとか思想とか関係なく、ただ「お前が気になるから会いに行く」とか変な奴に言われたときのあの情けない恐怖感体験したことありますか?右翼とか左翼とかならまだ良いんですよ。そら、例えば反権力的なことを言って右翼から嫌がらせを受けたなんて言ったら、とてつもなく格好良いですよ?それでピストルとかで撃たれたりしても、左翼とかリベラル派とかからはそれこそ英雄として扱われるでしょう。でもそんな変なストーカーが家に来たなんていうのは……もう名誉にすりゃあなりやしない……
そんな訳で、僕はあくまで今回の実名晒しには反対なんですが、しかしここで強調しておきたいのが、しかし根本の問題は、そうやって実名で何か発言したら、実生活に危害が及んでしまうこともありうるという状況にこそあるということです。もちろん、だからといってそんな状況は、例えどんなに頑張ったってすぐには変わらないですから、とりあえず短期的に考えれば、そういう匿名で何か発言することを擁護し、それを破って実名とかを晒す人を批判することは重要でしょう。
ですが、しかし一方で僕は、それが固定化され、実生活に危害が及ばないように発言するには匿名で発言するしかなくなるというのも、危惧するんですね。匿名で発言する権利を擁護するのは、確かに短期的には良いことだが、長期的には、むしろその様な匿名で発言しないととても何か言論を発表できない、そんな社会を作ってしまうのではないかと。
例えば今回の件。今回の件では、chiki氏の実名を公表、もしくはそれに準ずる行為をしている小谷野敦先生や、トニオ氏とかが「テロだ!」とか「いじめだ!」とか批判されています。ですがね、しかし別に彼らが実名を公表すること自体が、何か直接の被害をchiki氏にもたらすべきではない訳です。直接の実生活における被害をもたらす人間、それは小谷野先生やトニオ氏でもなく、その実名を知ることによって「あ、あいつこんなブログ・本を書いてやがる人間なんだな。だったら嫌がらせしてやるぜ」みたいに思う、実生活でchiki氏に付き合う人々でしょう。
小谷野さんには、実名を晒さないようお願いした際、自分は顧客と直接やりとりをする立場であるため、本名を書かれることで職場に何かしらの迷惑をかける可能性を懸念している
しかし例え小谷野先生が実名を晒したとしても、直接に迷惑をかける卑怯者はその「顧客」なのだ。
だから、もし今回の件を聞いた人間が、何かchiki氏を支援しなければならないとするならば、もちろん小谷野先生やトニオ氏を批判するというのも立派な私怨……あ、間違った……支援だと思うんですけれど、それよりも重要なのは、実際に実生活でchiki氏に関わる人間に対して、「彼が書いているブログ・本の内容が、あなたの気にくわない内容でも、chiki氏に不利益な取り扱いはするな!」と訴えることなのではないかと、僕なんかは思うんですけどね。
2007-11-13
■[うぇぶ]理系女子論争について再び
理系女子disを全力でまとめてみた。 - NWatch ver.X
をまとめたその後、色々アルファブロガーとかが言及したことによって、論争の風向きが変わってきたと思うんだけど、理系女子という現象への批判意見で出てきた「プライドを持ちすぎ」とかいうのも、僕の言いたいこととはだいぶかけ離れているので、改めて、理系女子という現象の何が問題であり、それに対し僕はどんな意見を持つか、書いてみたいと思います。
差別の構造
まず、僕の議論の大前提となっているのは、次のような差別の構造がこの社会には存在するということです。
- 男性は「論理的」に物事を考え、女性は「感情的」に物事を感じる
- そして、「論理的」に物事を考えることは善いことであり、「感情的」に物事を感じることは悪いことであるとされる
- 故に、男性は女性より尊いものとされる
1番に関して言うと、まぁ、流石に生物学的な差異(男脳女脳(笑)((こういう馬鹿なタームにこそ(笑)を付けるべきだよなぁ)))によって、男性が論理的であり、女性が感情的である、などという風に考える人は、割とリベラルとされるはてなにいる人の中ではごく僅かでしょう。
しかしじゃあ「男女に全く考え方の差異などない」というのが言えるかというと、まぁ学級会的答えならばそういう答えでも良いと思いますが、現実問題として、やっぱり女性と男性との間には何かしらの傾向の違いがないとは言えない。というか違いはある。何故なら、少なくとも今の日本の社会では男/女という区別は厳然としてあり、そして社会で成長していく時の多くの場面で、女性側の性を持つとされる人が「女」として扱われ、男性側の「性」を持つ人は「男」として扱われている。例えば、幼少期において、女の子は他の女の子と楽しくお喋りしているのが自然とされ、男の子はお喋りなんかしてないで体を動かしたりするのが自然であるとされる訳です。
そしてその結果、男女で考え方の差異が傾向として現れるわけです。実際そこまではみなさんの思っていることとそんなに違わないはずです。もちろん、「女性は感覚的と言われるけど、私は違う!」という意見も大いにあって、そういう問題こそが、まさにこの理系女子という現象で問題になっている訳ですが、しかしそうやって主張する女性が「普通の女の子」という言葉を使うことからも分かるように、そういう理系女子も、傾向として女子が「感情的」である(もちろんその傾向は、生得的なものではなく、文化的に仕組まれたものなのだけれど)という点は否定しないわけです。むしろ、そのような文化がありながら、「自力で」論理的な思考方法を取るようになったからこそ、理系女子は「素晴らしい人々」として賛美される訳です。
そしてそれは、「『理系女子』という努力して論理的思考を学びえた人間が居るのに、『普通の女の子』は努力もせず感情的思考のままで居る」という風に、男性が「普通の女の子」を劣ったものとする根拠ともなります。「理系女子」に対する男性の反応
を見ればそれは明らかでしょう。「理系女子と付き合いたいなぁ」と言った二言目に「普通の女の子は面倒だよ」と言う男子共がなんと多いことか!
「論理」とか「感情」とかいうのは空虚なラベリングでしかない
さて、ではそういう男共や、その男共によって祭り上げられてしまう理系女子に対してどういう反論があり得るか?
まず常識的な反論としては「もともと男性を論理的にし女性を感情的にする文化体系があり、その文化体系が自分たちを優遇してくれているだけで、男性は別に努力して論理的になったわけではないのに、なんで普通の女の子を『努力していない』という理由で批判できるのか!?」という反論が出来るでしょう。つまり、女性にばかり努力が求められ、努力をしないと差別されるなんてのはおかしい、という反論です。
しかし僕はその論法はとりません。そうではなく、むしろ「論理的」な思考は善い思考であり、「感情的」な思考は悪い思考である、という形式こそを問題視します。
皆さんに聞きたいのですが、論理的/感情的って、何で二項対立なんですか?例えば辞書を引くと、「論理」「感情」はこのように出ます。
ろん‐り【論理】
「ろんり」を大辞林でも検索する
1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」
2 事物の間にある法則的な連関。
3 「論理学」の略。
かん‐じょう〔‐ジヤウ〕【感情】
物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。「―をむきだしにする」「―に訴える」「―を抑える」「国民―を刺激する」
しかし、上記の引用を見れば分かると思いますが、たとえ「論理」の語義を逆さまにしても、「感情」の語義にはなりません。またそれと同様に、「感情」の語義を逆さまにしても、「論理」という語義にはならないのです。
また、更に考えていくと、何で論理=よいことで、感情=悪いことなのでしょうか?例えば僕がこうやって書いた記事に対して、「君の意見は○○という理由から××の点で問題がある」という論理的なコメントと、「こわーい」という感情的なコメントがあったとします。これに対し人々は前のコメントを良いコメントとし、後のコメントを悪いコメントとするでしょう。しかし、何でですか?「前のコメントは論理的で、後のコメントは感情的だから」。じゃあ何で論理的が良くて、感情的なものは悪いのですか?
こうやってどんどん考えていくと、最終的には1つの問いに結びつくでしょう。「そもそも論理的とか感情的ってなんなの?」
実はこう考えると上手くいく方法がたった一つあります。「論理的な考え方」は社会的に善い考え方であり、「感情的な考え方」は社会的に悪い考え方であると。
そうです、トートロジーです。
だから、男性の思考方法は「論理的」であって、女性の思考方法は「感情的」であるというのは、実は要するに男性の思考方法は素晴らしい思考方法、女性の思考方法は良くない思考方法と言っているに過ぎないんですね。ただ、それをあからさまに言うと説得力がないので、「論理的」とか「感情的」とかいう言葉を間に挟ませているだけなんです。
そして、そういう視点から考えてみると、「理系女子」を男性が賞賛することの意思もより明確になるでしょう。要するに男共は「女らしさを自力で拭い去った女」に対して、「えらいねー、女らしさを捨てたんだ」と賞賛しているわけです。これが如何に差別的な考えに基づいているかは、もはや言うまでもありませんね。
もちろんだからといって「女らしさを捨てた女」を非難するわけではない
しかしもちろん僕は、「女らしさを捨てた女」を、例えばこんな意見↓のように、「せっかくの女らしさを捨てるなんて!」と非難しようとは思いません。
404 Blog Not Found:プライドの高さ=井戸の高さ
「女」は時には「女の子」のように甘えてくるが、そんなことでは崩れない本物のプライドを持っているから、それが出来る。女の子は女の子でしかないが、女は女の子として振る舞うこともできる。
「女らしさ」というものが、その当人にとって邪魔になるものであるならば、そんなのどんどん捨ててしまえば良いでしょう。「女なんだから女らしさを捨ててはいけない」なんてのはそれこそ性差別の最も原初的な形態だと言えます。id:gomi-box氏やid:b_say_so氏が「女らしくない女」、または「理系女子」として生きるのは全くの自由であり、もし自分のエントリーがその自由を押さえ込むようなものになったとしたら、それは遺憾であり、僕の意思に反することです。
ですが、その一方で、実は今の日本社会には「女も女らしさなんかに甘えないでしっかり男らしく生きろ」という風な空気もある*1。これは確かに「女には女の役割、男には男の役割」的な家父長制型、あるいは男女分業型の性差別とは違うでしょう。むしろ今までそのような家父長制性差別と戦ってきた人の間でも、そういう風なことを言う人もいるのですから。
しかし僕は、やはり「女も女らしさなんかに甘えないでしっかり男らしく生きろ」というのも、性差別の一種だと思うのです。だって「女らしさなんか」っていうのは、明らかに女らしさを劣ったものとしてみなすからこそ出てくる発言でしょう?そして僕から見ると、「理系女子」に関するエントリは、当人たちの意思はさておいても、そういう「女も女らしさなんかに甘えないでしっかり男らしく生きろ」というメッセージに、女も同意している、という様なメッセージを男共に与えてしまっている。
もちろん、その第一義的な責任は、「理系女子」エントリーを書いた人たちを一人の人間として見ず、「利口な女」という風に見て、相手のことなんか何にも知らないのに「お付き合いしたいです、普通の女の子なんかやっぱ面倒だよね」とか書いてやがる、まさに「女も女らしさなんかに甘えないでしっかり男らしく生きろ」とか考えている糞男共にある。だからまず第一に断罪されるべきは彼らでしょう。しかし、そうであっても、やっぱり「理系女子」系のエントリは、そういう糞男共に、吹き上がるきっかけを与えてしまっている。そのような効果を示して、「あなたのエントリはこういう効果を持ってしまうよ?」と指摘しようとしたのが、前回のエントリだったわけです。
追記
Twitterで前書いた記事の後に書いたこともまとめておきます
あ、何か議論が(僕にとって)嫌な方向に言ってるな。僕は理系女子に「もっと強くなれ」と言いたい訳じゃない。その逆、「他人の弱さを認めよう」ということなんだが http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50949374.html
「生理」問題に合わせて、もう一つ記事書こうかな あー、眠いからまともな記事書けそうにないや、とりあえずtwitterで考えていることを吐き出しておこう。
生理というものを女性が忌み嫌う気持ちは、まあ当然だと思うのよ。それがあるから男性と平等に働けないんだ!という悔しさももちろん認めるし、それを「生理は自然なんだ。自然に逆らってはいけない」という様な馬鹿な自然主義で否定するつもりもない。もし、ピルとかそういうので生理がなくせるんなら、どんどんそういう技術は発展させていくべきだと思う。
でも、僕は一方でこうも思うわけ。「何でそんなに体を色々いじくってまで、私たちは働かなければならないのか?」と。月の半分体調が悪いんだったら、月の半分休めば良い。 例えば、僕なんかは男だから別に生理も来ない訳だけど、何か精神に波があって、月の三分の一は何にもせずただぼーっとしてたくなる。でもそんな時は、別に無理せずぼーっとしてれば良いし、実際僕はそういう時は(大学生だからできるのかもしれないけど)そうしている。
で、そこで「理系/文系」という二項対立*2を敢えて考えてみる。僕は、一応文系の学問を修めているんだけれど、はっきりいってその理由は「文系の学問を知っていると、より楽に怠けて人生を送ることができるから」でしかない。例えば社会学とかは、この世の中で「問題」とされているようなことが、本当は大して問題ではないということを示し、「そんなにせかせかしなくても何とかなるだろう」と思わせてくれる(反社会学講座)。人類学も、こういうせかせか忙しくなきゃ生存できない近代とは違う生き方があることを示してくれる 。
それに対して、理系って基本的に「学問を進めれば進めるほど、問題が増え、忙しくなる」ものだと思うわけ。ある問題を科学的な手法で解決すると、それによりまた新たな問題がさらに発生する。エントロピー増大の法則だっけ?で、それ故に理系は「忙しくなるために学問をしている」印象がある。
でもそれって、文系(といっても、オレ定義による「文系」なんだけど)から見ると、男性/女性以前に、人間を不幸にしてしまうんじゃないかなーと思う。仕事をすればするほど次の仕事が増えて、どんどん忙しくなる。そしてその為に自分の体を犠牲にして働かなきゃならなくなる。それって、やっぱきつい。
もちろんだからといって、理系の学問が好きな人に、「理系学問なんて人を不幸にするだけだ!」と言うつもりはない。でも、理系の人も、ちょっとはそういう、ゆる文系的な視点も取り入れた方が良いんじゃないかなぁ。生理が来たらゆっくり休めば良い。別に体を犠牲にしてまで学問と心中する必要はない。
だから、僕は「生理と闘う理系女子」を無条件に賛美するのは、やっぱりおかしいと思う。特に男が賛美するのはゲロゲロである。生理の愚痴を聞いたらというのなら、「とりあえず無理しないで休んだほうが……」と声を掛けようよ。その代わり自分も気分が乗らないときは遠慮せずに休む。理系・文系問わず。
というか、「学問をやるもの」と自分を定義すること自体がおかしい。学問は人生を豊かにするための手段であって目的ではない。「私は普通の女の子とは違う理系女子なの!だから生理なんかには負けない!」というのは、自己搾取のロジックでしかない。周りの人は、きちんと「それは違う」と言うべき。
2007-11-12
■[怒り]理系女子disを全力でまとめてみた。
本当は僕自身がきちんと理系女子への批判を全力で書くべきなんだろうけど、如何せん問題が広がりすぎているので、しょうがないから、衆愚に流されずきちんと理系女子論議に異議を唱えている、そんなはてブコメやコメント欄をまとめてみた。
もちろんこれで、理系女子を全面的に賛美する、そんな馬鹿どもが、自らのことを少しでも内省してくれるなどとは期待しない、だってそういう内省能力がないから、彼らはあそこまで馬鹿な理系女子賛美を書けるのだから。
でも、後生この論議を眺める人に対し、このような衆愚の賛美の中で、例え孤独にでもそれに異議を申し立てた人が居たという事実を伝えたいと思う。
もちろん僕はこれらの文章全てに賛同している訳ではない。ちょっと言い過ぎかなと思える部分も多々あった。けれど、少なくとも勝ち馬にのって、理系女子を賛美し、その返す刀で「感情的になる女子」や「頭の悪い女子」を蔑む、そんな輩よりは、よっぽど正しいことを言っていると、僕は確信している。
コメント欄
たけと 『うーん、なんといいますか、もろ名誉男性的な考え方ですね。
自分は「普通の女の子」ではないと考えていて「普通の女の子」を見下して男コミュニティに媚びている感じ。いますいます、こういう子。
良くも悪くも、あなたはいかにも「女の子」だなあと思いました。
「普通の女の子」や「男の子」が、あまりにステレオタイプすぎるのも気になりますね。
そしてこういった、個人的な悩みや環境を、「理系の女の子みんなの悩み」にスライドさせる手段。
うーん。』 (2007/11/10 16:44)
moo 『はじめまして。私は文系女子ですが共感できるところはあります。でも自戒を込めていわせていただくと、結局はこの文章は、上のたけとサンが言うように「自分は普通の女の子とは違うんだから(頭がいいんだから!)」という優越感をあらわにしてるだけのような気が。こういうことを思ってしまう気持ちは、私もそうなのでよく分かりますが、それを「理系の女の子の悩み」として公言するのはあまりスマートじゃない気がします。』 (2007/11/10 17:12)
speech 『拝見させていただいたのですが、んー。kaeru-sanはれっきとした女の子ですね。
自分は「普通の女の子とは違う」という思いが強く、「私は私」と言っておきながら、
そんな自分を周り認めてもらいたい…なんだか矛盾を感じますね。
「普通の女の子」を否定することで「理系女子の自分」を確立するというのは寂しい気がしますし、
結局は本当は「普通の女の子」に憧れていてなりたいのに、
なれない自分を認めたくなくて、否定という形をとっているようにも感じました。
「普通の女の子」をあれだけ見下せるのはすごいと思うし、一種の執念のように感じます。
それは、自分が「普通の女の子」に弾き飛ばされ、少数派まわったことに対するコンプレックスの裏返しではないでしょうか?
いわゆる「普通の女の子」は頭がいいとか目立っている、というだけでは弾き飛ばしません。
あなたが頭がいいから弾き飛ばされたのではないと思います。
あなたが「普通の女の子」を頭悪いな、低レベルだなと思い、態度に表したから弾き飛ばされたんだと思いますよ。
(文章を拝見する限り)
なにもかもすべて「普通の女の子」のせいにしているあなたはずるいのではないですか?
私の周りの「理系女子」は頭はいいのはもちろん、おしゃれで社交的で文系女子(=普通の女の子)とも一緒にいますよ。
あなたみたいな「理系女子」はなかなかいないと思います。
結局、あなたは「勉学」に逃げたのでしょ?
T大に入ることで、自分のプライド・面子を保ったのでしょ?
化粧したり、おしゃれしないのは「普通の女の子」に憧れる自分が許せないからでしょ?
「普通の女の子」を見下すのは、自分は本当は「普通の女の子」より自分が下だと思いたくないからでしょ?
今は周りの女の子がいなくて、周りの男の子もいわゆる弾き飛ばされた男の子ばかりだから
悩みはそれなりにあれど、ぬくぬく生活できているのだと思います。
弾き飛ばされたもの同士、仲間意識がありますからね。妙な安心感というか。
社会に出てからが大変だと思いますよ。
いくら学力社会とはいえ、社会は頭の良し悪しだけではないですからね。
人間で生まれてきた以上、コミュニケーション能力は重要ですからね。
人に媚売ることは悪いことじゃないと思いますよ。
むしろ「普通の女の子は男に媚売って」って言ってるあなたのほうが陰湿であり、妬みですよね。
本当、kaeru-sanはいわゆる女の子ですね。
自分はさっぱりした女の子だと思っている(周りにそう思わせてる?)かもしれないけど、
「普通の女の子」より性質の悪い「ドロドロの女の子」ですね。
自分でもわかっているんじゃないんですか?自分が「ドロドロの女の子」っていうことが。
それを認めたくない、あるいはバレたくないからこういうことを文章にするんんだと思います。
この文が学科の男の子に読まれることをわかった上で「生理」の話をするのもズルイですよね。
本当に話せないなら、引くと思っているなら書けません。
「私の気持ち、わかってよ」という思いが強く、尚且つ「だから男ってだめなのよね」という状態に持っていきたいんですよね。
話さないあなたが悪いんですよ。
私もかなり重症な生理ですが、重症だからこそ周りに話します。男女関係なく。
今まで引いた男の子の人はいませんよ。
んー。
なんかあなたの人生、人のせいにしすぎではありませんか?
「勉学」に関してはものすごく頭が良く、学年の1,2番かもしれませんが、
人として、どうなのかなって思います。
「私の周りに私と同じ学力レベルの人がいないからいけないんだ」なんて、とんだお門違いですよ。
すべてあなた自身の問題であり、あなたが蒔いた種です。
あなたが「私の周りに私と同じ学力レベルの人がいないからいけないんだ」と思うからですよ。
理系だろうが、文系だろうが、化粧しようが、すっぴんだろうが、頭良かろうが、頭悪かろうが、
すべて結局は性格であり考え方なんだと思いますよ。
理系とか文系とかそんな簡単にカテゴリー化できるもんじゃないですし。
むしろ、そのカテゴリーにはまった人が全て同じなわけないですもん。
全てあなたが選んできた道です。
あなたの性格です。
あなたはきっと、文系であっても「普通の女の子」ではないと思いますよ。
人とうまく関われず、化粧もしず、周りの女の子を見下しているのだと思います。
結局、全て他の誰でもない「あなた」なんですよ。』 (2007/11/11 19:03)
ninni 『「普通の女の子」の定義が滅茶苦茶。本当に理系なのかと疑いたくなる文章だ。
実情とかけ離れた、ステレオタイプ丸出し、偏りまくったこの「普通の女の子」とやらは一体どこに存在するのか?
また例の如く、はてな民が嫌悪しがちな「スイーツ(笑)」系を皆で嘲笑するエントリーか?
叩く為の「普通の女の子定義」ではないか。
普通の女の子って何だ、普通の女の子って。
「髪を巻いている」「ディズニーランドが好きである」等の条件に全てあてはまれば「普通の女の子」?それともそれに一切あてはまらないのが「普通の女の子なんかとは違う、アタシ」?
一体その、「普通の女の子」ってのはなんなんだ。
彼女がコンプレックスに感じているその「普通の女の子」たちは。
幻想ではないのか。それは、自身のコンプレックスを投影した幻想ではないのか。
激しいコンプレックスをもち、そんな自分でも皆に認めてもらいたいと、「そんなコンプレックス、気にすることないよ。
君が正しいよ」そう言ってもらうために自身のコンプを「普通の女の子」という幻想に投影させた「私を認めて」系文章。
この記事単独だけなら「ああ、要するに中二病な」と気にならなかったが
これらを同意しまくっているはてな民たちに僕は軽く絶望する。
君ら、今更こんなのにひっかかってどうするんだ。』 (2007/11/12 02:54)
通りすがり 『結局、「普通の女の子」に、(色んな意味で)憧れている、という話なんでしょうね。
本当はああなりたいけど、それは高すぎるプライドが許さない。
その間で苦しんだ思いが、これ。
人一倍「普通の女の子」に対しての執着が激しいのがその証拠。
単に自分と彼女たち普通の女の子は違うな、という意識であれば、「どうでもいい」という方向の心境に至るわけですからね。わざわざ「私とあの子たちは違う!」と何度も叫んでみたり、見下してみたり、そういった過剰な反応を起こす必要はないわけです。
ここまで拒絶反応を起こしているのは、要するにコンプレックスの裏返し。
思春期(ちょっとすぎてますかね)の人間によくあることで、別に、おかしなことではないですが。
「あいつらバカで恋愛の話しかしない癖に、頭のいい私より上手くやって、皆に気に入られて、なんなの?」
「私はこんなに頭がよくて議論もできるのに、どうして皆そんな実験の一つもできないバカ女に群がるの?」
「どうしてあんたたち、私を仲間にいれてくれないの?」
そういった類のコンプレックス。
「普通の女の子」を見下すのは、貴女にとって、防衛機制なんですね。
そうすることでようやく心が保たれる。
「バカなあの子たちと私は違う」そう思う事で身を守っている。
だから普通の女の子と一緒にされるのが嫌なんですね。
防衛機制が崩れるから。コンプレックスがまた、露出してしまうから。
もっと言うとあなたは自身の「女」という性にコンプレックスを抱いているような気がします。
その自身の嫌う「女」性のエッセンスを、「普通の女の子」に詰め込み、それを見下し、自分とは違うもの、と突き放す(そういう防衛機制)ことによってあなたは初めて心の平静が得られている。
まあ人間全てに立ち向かう必要はありませんからそうやって逃げるのも勿論ありで、恥ずかしい事ではないのですがこの防衛機制は今の環境でしかおそらく保てないものでしょうから、やはり今のうちに、自身のコンプレックスと真正面から立ち向かう事を一度してみてもいいんじゃないかと思います。
それでもしダメなら、またこの防衛機制を使えばいいのですから。
客観的に自分を見る事は、時に厳しい結果をも生みますが、あなたならできると思いますよ。』 (2007/11/12 03:15)
はてなブックマーク
はてなブックマーク - 理系の女の子の取扱説明書 - 毛の生えたようなものより
2007年11月10日 isnotit 「モテないと思われがちだけど、全然そんなことない」←ウザイ。はてなはこういう自意識の女が吹き溜まりすぎ。/「普通の女の子が好きそうじゃないような人がいい」とか言ってるオンナ丸出しの普通のおんな。
2007年11月10日 contractio |ω・)…… 「初歩的なことをわざわざ他人に教えられるのが嫌」「自分より頭のいい男性がいい」 ....キュウクツな人生ですね。
2007年11月10日 raji_uma 典型的な「女」だなあと思った。コメント欄に名誉男性、と書いてあったが…分かる気がする。「私はあんな女とは違うの」という、まあ理系女子なら誰しも大抵一度は通るイタい道。
2007年11月11日 migiude 理系女子だが、ほとんど同意できぬ。普通の女とは違うの!なんて傲慢な事はとても思えないなあ。ブクマ※も含め、「普通の女の子」を見下しているような所がむず痒くて仕方ない。何故皆平気で同意しているのか。19
2007年11月11日 keijis 女性, コメント欄 コメント欄が「興味深い」同調圧力を感じるほどの流れ、何か不気味な感じが…
2007年11月11日 I11 偏見, バイアス ジェンダーバイアスならぬ「理系バイアス」。id:gomi-box氏の劣等感やコンプレックス“だけ”を一般化するのはいかがなものか。結婚して少女→女→妻→母→に進化した理系女子は別な見解を持っていると思う。
2007年11月11日 Shiny gender, female, communication 男女文理ノーマルアブノーマル関係無く過剰なプライドを有する人ってのは好きになれない・・・
はてなブックマーク - 理系女子取扱説明書 - Say::So?より
2007年11月10日 rAdio で、非コミュだ何だとおっしゃってる方が、こういうことを言っちゃうわけだ…。
2007年11月10日 JSK * 「俺ねー、ホント普通とは違うところがあるっぽくて、何かあんまり声高に言えないけど、サブカルっていうか、ヴィレヴァンとかくるりとか凄え好きだし。え?女の子?ちょいオタっぽい子かサバサバした子がいいかな」
自分
自分のやつもちょっと挙げておきます。
はてなブックマーク - 理系女子取扱説明書 - Say::So?より
2007年11月10日 sjs7 なんだかなぁ いねーとは思うけど、もしこの文章を真面目に読んで「そうかー、理系の女の子とはこう付き合えば良いんだー」とか言う男の子が居たら、僕はそいつを心から"軽蔑"するね
はてなブックマーク - 理系女子の取扱説明書・化粧品メーカーは理系女子の楽園か? - わけまけ - Wake up, Make up.より*1
2007年11月11日 sjs7 これはひどい もしこういうことを書く女性が理系女子の典型なら、やっぱり俺、理系女子大嫌いだわ/というか理系が嫌いなのか。/って、よく見たらこいつ男やん。要するに女子をダシにして職場を批判してるのか。最低だな
sjs7 理系女子論議に手榴弾をぶち込みたくて仕方がない。なんかもう生理的にあのブクマコメの雰囲気が許せない ... 03:55 AM November 11, 2007 from web
sjs7 理系女子論議ってなんかモヒカン族と同じ感じの嫌らしさがあるからなぁ、そりゃ僕は大嫌いなはずだ about 24 hours ago from web
sjs7 とりあえず理系女子論議のコメント欄やブクマコメに「こんな女性とはおつきあいしたい」とか書いているキモ男を一人ずつぶん殴りたくて仕方ない。てめーらに選ぶ権利があるとでも思っているのか!? ... about 24 hours ago from web
sjs7 ていうかさ、君ら共感型のコミュニケーションが嫌だと言ってるけどさ、そうやってブクマコメやコメント欄で「わかるわかるー」とか言うのって、まさに共感型のコミュニケーションやん ... about 23 hours ago from web
sjs7 そこら辺の恥はモヒカン族の場合は持っていて、だからこそ「自分たちはモヒカンではなくメタモヒカン」なんて言い訳が、(稚拙とはいえ)一応あったわけだけど、理系女子にはそんな恥じらいすらないんだもんなぁ ... about 22 hours ago from web
sjs7 何か理系女子談義を読んでいると非モテ男子のミソジニーがほんのちょっと分かってくるな。自分が理解できない感覚が分かるようになるっていうのは結構良いことなので、もうちょっとそこは伸ばしてみよう ... about 1 hour ago from web
sjs7 というかぶっちゃけて言うならさ、結局彼らが言う「理系」って、要するに高学歴のことだろ?だったらこれは学歴闘争なんだよ。高学歴が低学歴のことを馬鹿にしていると、そういうことなんだろう ... about 1 hour ago from web
sjs7 ほんと理系女子談義においては珍しく非モテ男子に同意できるなぁ。 6 minutes ago from web
まとめ
結局、理系女子というのはモデルマイノリティの一種だと思うんですよ。要するに男にとって都合のいい女子が、男が嫌がる「普通の女の子」という悪と対立し、それによって疎外されているという物語がまずあって、そしてその物語の中で、男はそのような女の子を好きになってあげられる、まさにヒーローとなるわけです。
そして、その物語を成り立たせる「善/悪」という二項対立には、「論理的/感情的」、「頭が良い/頭が悪い」または「主体/客体」という概念が当てはめられる。論理的に物を考える、頭の良い主体的な「理系女子」と「男子」が、感情的にしか物を考えられない、頭が悪く主体的に動けない「普通の女の子」をやっつけるわけです。
でも、僕ははっきりいって「論理的」であることや「頭が良い」ということが偉いなんてことは全く思わないわけです。ここら辺は、前にモヒカン族を批判したときにも再三述べたことなのですが、「論理的なことが良い」というテーゼは、「論理的なことが良いとされている人々」の間でしか通用しません。だから、もし本当に「論理的なことが良いとされている人々」ではない人々、この場合は「普通の女の子」な訳ですが、そういう人とコミュニケーションを取りたいと欲するならば、まずそのテーゼを一端捨てなければならない筈です。しかし彼らはそのテーゼを捨てようとしない。それは結局、本当はあなたたちは「感情的な人々」を馬鹿にしていて、彼らと話す気すらないことを証明しているのです。そして、そうやって自分たちでコミュニケーションを拒絶しておきながら、自分たちの特権的な地位(高学歴、宣伝能力の高さ)を利用して、「あいつらが私たちを迫害している!皆さん助けてくださーい」と喧伝するわけです。
そして、更に言うならば、僕は、そうやって自らの地位を高めるために、女の子を利用しようとする、理系女子賛同コメに一番よく見られたパターンである、「理系女子って可愛いよね」と言う男子が、一番大嫌いな訳です。
だって、「理系女子って可愛いよね」という、その言葉の裏には「理系女子じゃない女の子なんて糞だよねー」という意味があるわけです。要するに、自分の望むような女の子は素晴らしくて、自分の望まない女の子は糞であるというミソジニー的考え。更に言うならば、「自分の望むような」かたちは、あくまで彼女らの自主性に基づかなきゃならないわけです。これって、先の記事で述べた様な、他人を自分の趣向のために捻じ曲げるということは唾棄すべきクソみたいなことだという倫理は持っているくせに、それでも自分の趣向のままに相手が行動しなきゃ耐えられないと思うから、「相手は望んで自分の望むことをやっているんだ」という妄想を作り出そうとする奴らと全く同じ心情なわけですよ。
僕は、理系女子にこう問いたい。あなたたちが何を考えてそういう様な記事を書いたのかは知らないけれど、結果として君たちはこういう糞みたいな男どもを喜ばせているわけだ。そりゃあ、そういう糞みたいな男のによって、君は一時的に女王様のような存在に祭り上げられるかもしれない。でも、それで良いの?
そして、「こんな理系女子とお付き合いしたいです♪」とか言っている糞どもに告ぐ。てめーら全員死ね!
*1:こいつ記事を消してるよ……
2007-11-03
■[アニメ]新しいアニメって、もう要らなくね?
ニコニコ動画を眺めていてふと思った。
「ニコニコ動画のせいでアニメ産業が衰退してしまう!」ということが叫ばれているけど、でも、別に今あるアニメ産業が衰退したって、昔作られたアニメは残るわけでさ、で、多分その昔作られたアニメを全部見ようとするだけで、多分楽に一生アニメ三昧な生活を送れる。
そうなってくると、何でわざわざそういう今まで作られたアニメを「権利者削除」という名目で見れなくしてまで、新しいアニメを作る人たちを守らなくちゃいけないのか。情とかそういうものを取り除いて、純粋に理だけを突き詰めて考えると、分からなくなる。
アニメ業界が生き残るには、そういう昔のアニメとは違う魅力。要するに、「今」作られていることにより、今という時代の空気を読み込む。そんなアニメを作ること以外にないのでは?
でも、今作られているアニメの中で、一体本当に「今」作られているという点で価値がある、そういうアニメって、どれぐらいあるだろう?要するに、時代の空気を読んでいる、そういうアニメが。電脳コイルは面白そうだけど、別にAKIRAとかでもよくね?*1
しかも悪いことに、何か知らないけれど今の時代の空気って、基本的に昔のネタの「パロディ」なんだよね。らき☆すたとかハヤテのごとくとか。僕はこれらのアニメは時代の空気を読んでいると思うけど、でもだからこそ、はっきり言って「それMADでよくない」という感じ。いや、らき☆すたもハヤテのごとくも凄く面白いんですよ?面白いんですけど、それは多分、ニコニコ動画で秀逸なMADを見たときと、同じタイプの面白さなんですよ。
じゃあそういう「パロディ」じゃない今の時代の空気って何だろう・・・と考えると、やっぱり竹田アニメしかないように思うんですね。でもニコ厨たちはどうやら竹田Pの路線は嫌いみたいで、だとすると、やっぱりニコ厨たちを説得するような方法はないのかなあと、そんなことを思う、秋の暮れでした。
*1:まともに見てないからこれ多分凄い的外れな比較です、ごめん