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広島の発言2008:戦争責任に乏しい日本--豊永恵三郎さん /広島

 ◇韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長、豊永恵三郎さん(71)

 在外被爆者の支援を始めて30年以上が過ぎた。昨年11月に戦時中に強制連行され広島で被爆した韓国人の元徴用工が「被爆者援護法の適用外は違法」などとして国などに賠償を求めた訴訟で、最高裁が国の賠償責任を認める判決を出した。また、同12月には在外被爆者が被爆者健康手帳を取得する際の来日要件を撤廃する被爆者援護法の改正案が国会に提出され、在外被爆者を巡る新たな兆しが見え始めている。

 「在外被爆者の支援は最高裁判決の前から取り組んできた問題。裁判は時間がかかり、国会議員に要請をしていたところに最高裁判決が出た。与野党から『手帳にするのか、補償法の創設にするのか』と言われて手帳の問題を優先してほしいとお願いした。援護法の改正案は国会に提出されたが、まだ結論が出ていない。1日も早くこの問題を解決してほしい」

 在外被爆者の支援のきっかけは71年。在日韓国・朝鮮人の教育に取り組む教員の一人として韓国・ソウルに招かれた。その出発前日、たまたま韓国の被爆者協会の会長が、韓国に住む被爆者の悲惨な状況を訴えているのをテレビで見た。

 「当時は被爆者との意識はなかったが、韓国に行くのならこの人たちに会って何かできることをしたいと思った。宿泊先の主人に頼んで協会を案内してもらい、日韓両政府からの援助もなく、孤立無援で活動を続ける協会の存在を知った」

 ソウル市内の裏通り。ビルの裏の掘っ立て小屋のような建物の2階が事務所だった。はしごで2階に上がると、床はミシミシと音を立てていた。そこで副会長ら数人の協会の役員に初めて会った。

 「広島から来たと伝えて、日本の教員仲間が渡してくれたカンパを手渡そうとすると『待ってくれ、明日受け取りたい。新聞社で受け取れば今の私たちの状況が明らかになる』と言われ、彼らの言う通りに翌日に渡すことにした」

 旅程を無理を言って変更し、協会の希望通りに韓国の新聞社でカンパを渡すことができた。「被爆者の窮状を知らせたい」という協会側の思いは通じたが、期待するような記事にはならなかった。帰国後の同年12月、大阪に発足した「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」に入会して活動を始めた。

 「在外被爆者の支援を続ける根底には、少年時代の差別意識が関係している。教員になって、長い時間をかけて人間的な付き合いをすることによってお互いを理解することが必要と感じた。在外被爆者と接するたびに人間的な優しさや熱情を感じ、課題も見えた。原爆投下があまりに悲惨で、広島の平和運動は8・6以降のことに収れんされがちだが、8・6以前は何だったのか、その中で韓国や朝鮮など、外国人被爆者が生まれたことに目を向けるべきだ。日本は戦争への責任感が乏しいのではないか」【下原知広】

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 ■人物略歴

 ◇とよなが・けいさぶろう

 1936年生まれ、横浜市出身。3歳の時に両親の故郷・広島市に帰る。45年8月、家族を捜しに広島市に入り、被爆した。広島大を卒業後の61年4月、広島電機高校(現・広島国際学院高校)に就職。74年に韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部を設立し、現在同支部長。

毎日新聞 2008年2月7日

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