法務大臣が司法試験合格者数「3000人」の見直しを表明
平成19年1月24日、法務省が司法試験合格者数年三千人の現象をも視野に置いた作業に着手することが、各新聞で報道された。同日鳩山法務大臣が記者会見を行い、同様の説明をしたようだが、先日、記者との問答内容が法務省のホームページで公表された。
法務大臣の発言の要点は、次の通りである。
1. 法曹人口の増大は必要だが、需要と供給、法曹の質、訴訟を好まない日本文化との整合性に照らし、3000人は多いのではないか。
2. 法科大学院制度は肯定するが、法曹人口に自由競争・規制緩和という概念を持ち込むのは間違い。2回試験不合格者が増えて質に懸念が発生している。高い質を維持することが重要。
3. 検討組織の具体案は未定だが、法務省内で検討することは必要。
この報道について、日弁連会長候補の高山俊吉陣営は、「日弁連執行部と法務省の合作偽装劇であり、激増路線の変更はない」と批判し、宮﨑誠陣営は、これを追い風として、公約である「スピードダウン」の実現可能性が高まったと言っている。
今回の法務省の意思表示は、どのように理解すべきだろうか。
すでに「日弁連はなぜ負けたのか?」に記したとおり、法曹人口問題は、平成2年頃、法曹三者(最高裁・法務省・日弁連)の「コップの中の戦争」として始まったが、最高裁・法務省 vs 日弁連の対決構図が昂じて機能不全に陥り、政府にコップをひっくり返されて、法曹人口問題の主導権を失った。その後の法曹人口問題には、文科省・法科大学院や、財界、アメリカが参入し、法曹三者の発言力はとても低くなって、現在に至っている。
この経緯は日弁連にとって極めて屈辱的な敗戦であることはすでに述べたが、政府に調整能力なしと判定され権限を取り上げられた法務省からみても、屈辱的な体験であることに違いはない。3000人という数字は、財界が言い出し文科省が支持した数字であって、法務省はもともと1000人~1500人で考えていたのだ。今回の二回試験不合格者増や、修習生の就職問題、法曹へのニーズが来たいほど増えていない問題などについて、法務省は「そらみたことか。」「だから言わんこっちゃない」と考えているに違いない。
このような経緯に照らしてみると、この度法務省が発表した「合格者数の見直し検討」は、文科省や財界に取り上げられた法曹人口問題の決定権限を、法務省側に取り戻す動きとして理解される。なにしろ大臣が鳩山邦夫なので、今回の発表についても、当初、大臣の暴走ではとの見方もあったが、そうではない。大臣就任直後からの「3000人見直しとの私見」から始まる一連の動きは、法務省の役人が主導していると見て間違いない。
ただ、すでに文科省や財界がステークホルダーとして存在する以上、法務省としても、これらの実力者と無用な喧嘩をするのは得策ではない。また、日弁連を刺激するのも良くない。法務大臣の記者会見には、このあたりに対する周到な配慮が見て取れる。
まず、「法曹人口の増大は必要だが、需要と供給、法曹の質、訴訟を好まない日本文化との整合性に照らし、3000人は多い」との発言は、業務不安を抱え、表向き質の問題を主張する日弁連と、財界のうち、訴訟社会化を懸念する勢力とに配慮したものだ。次に、法科大学院に対しては、全否定するつもりはないですよ、というメッセージを送りつつ、質の確保ができていないと苦言を呈している。また、自由競争・規制緩和概念は不当、との発言は、オリックスの宮内義彦らに代表される規制緩和至上主義者の主張は取らない、との立場を明確にするとともに、この点については日弁連に同感です、というメッセージを送ってきている。そして、このように各方面に配慮しつつ、「検討組織は省内に作るべき」として、法曹人口問題は法務省が主導権を取ることに前向きである。
それでは、このような法務省の意向に対し、日弁連はどのように対応するべきであるか。日弁連会長選挙の論点に即して言えば、法務省と全面対決するべき(高山)なのか、協調路線を取るべき(宮﨑)なのか。
私の考えは、法務省との協調路線であり、全面対決は論外である。その理由は簡単であり、ただでさえ不利な状況なのに10年前より敵を増やしてどうするの?ということだ。前述したとおり、10年前、日弁連は「法曹三者」というコップの中で、法務省・最高裁と兄弟げんかを繰り広げたあげく、コップをひっくり返されてしまった。今は文科省や財界という新たな敵もいる。マスコミや国民だって、誰を支持するか分からない。このような戦場で、誰とも組まず、法務省・最高裁・文科省・財界全部を相手に喧嘩をするのは愚の骨頂である。せっかく潮目が変わってきているのだから、当面法務省・最高裁とは休戦して、共同歩調を取らないといけない。
高山候補は日弁連として3000人反対の声を上げるという。この一点だけなら、今の情勢に照らして、法曹人口減に向けたそれなりの影響力が期待できるかもしれない。しかし、高山候補は同時に、法務省と全面対決、裁判員廃止、被疑者国選弁護廃止、法テラス廃止、ロースクール廃止を公約に掲げている。つまり高山候補が日弁連会長になれば、文科省や財界はもちろん、法務省や最高裁とも全面戦争になることは必至である。そんな戦争で勝てるとは、私には思われない。日弁連会長選挙に関するブログを見ると、「高山候補当選のインパクトによる現状打破を期待する」という見解もあるが、当選だけで劇的に何かが変わると思うなら大間違いである。政治というのは、そんな単純なものではない。今回の法務省の発表だって、鳩山大臣就任直後の「3000人は多すぎる」という「私見」という名の潜望鏡をそっと上げ、周囲の状況を見極めた上での行動である。もしかしたら、文科省に影響力のある鳩山邦夫を大臣に据えたことさえ、法曹人口問題の主導権取り戻しを見据えた法務省の戦略だったかもしれないのだ。これが政治というものの進め方である。
「日本は戦争に突き進んだ70年前の過ちを繰り返すな」とは、高山候補がよく口にする言葉である。しかし私には、高山候補が10年前の過ちを繰り返そうとしているとしか思えない。(小林)
この文章は、小林正啓の個人的な見解であり、日弁連会長候補やその選挙事務所の見解とは一切関係ありません。
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コメント
あなたの論考を読みました。そういう見方もあるのかと思うとともに色々な疑問も湧いてきました。あなたの主張を私なりに噛み砕いて判断すると、要するにM氏は法務省や最高裁との関係はいいので法務省と共同歩調をとることによって増員路線の見直しが期待できるがT氏は法務省とはいろいろな問題で法務省と対決路線なので増員見直しは実現できない、M氏は現実主義的だがT氏は教条主義的で政権担当能力がないので増員見直しを実現できるのはT氏よりはM氏という見方のようです。しかしそもそもM氏は合格者数減員を主張する気はあるのでしょうか。今までのM氏の主張を聞く限りはそのように受け取れません。
確かに日弁連が反対を表明しただけで増員がストップするわけではありませんが、反対を表明しない限り絶対に増員は止まらない。大学関係者や文科省は利権が絡んでいるので増員を維持するために必ず巻き返しに出てくることが予想されます。それに対して現場の弁護士の意見を代弁できるのは日弁連だけ。日弁連が増員反対を主張しなければ増員路線がそのまま続いてしまう可能性が高い。法相も見直しを表明しているし今が絶好のチャンスです。もし法務省が合格者数減員を主張して、文科省や大学関係者が増員維持を主張した場合、M氏が仮に日弁連会長ならどういう立場に立つのでしょうか。日弁連は現在の増員路線が誤っているとは考えないが法務省が合格者数減員を主張しているので日弁連としてもそれに従うとでもいうのでしょうか。法務省が反対だから我々も反対などといった受け身の姿勢で減員を実現できるのでしょうか。仮に増員路線が正しいと考えるのならたとえ法務大臣が増員路線を批判した場合でも日弁連は増員路線は正しいんだと言って直ちに法務大臣を批判しなければならないはずです。しかしM氏は鳩山発言や法務省の見直し検討について正しいとは言っていない。一方で誤りだとも言っていない。M氏の公約も増員維持とも減員とも受け取れるような極めて曖昧なものです。仮に見直しの結果、増員維持という結論になったとしても公約違反にならないようになっています。また、会長選の間にころころ発言を左右させるなど信用性に欠けるように私には思えます。
そして仮に合格者数減員を主張するとすれば今までの日弁連執行部の増員容認路線をどのように総括するのでしょうか。あなたもご承知の通り、数年前の臨時総会で採決を途中で打ち切って3000人案を強行採決しました。反対派の一部に対しては懲戒請求までした。その際、執行部からは賛成の理由についてあなたが主張するような説明はありませんでした。あなたの論考も一つの推測にすぎません。そもそもどういう経緯で3000人という数字が決まったのか中坊氏も久保井氏も現在に至るまで何も公式の場で説明していません。彼らには審議会でのやりとりやなぜ3000人に決まったのかなどについて会員に説明する責任があると考えます。そしてM氏や執行部は3000人案ついては少なくとも法曹需要の目測を見誤ったという点について明確に誤りであったと認める必要があるのではないでしょうか。一旦3000人案を容認しながらまた減らすというならそれについて総括をし、なぜこのような路線変更をするに至ったかについて真摯に検証しその責任の所在を明確にすることが不可欠だと思います。(T氏のようにやたら戦争の話を持ち出すのは好きではありませんが)今まで戦争に批判的だった人が急に戦争推進派にたち、敗戦後また「いや私は実は戦争に反対だった」などと言って戦争を批判する。そして誰も責任を取ろうとしない。残念ながら日弁連はかつての我が国の為政者と同じことを繰り返そうとしているように思えます。増員推進であろうが反対であろうが自らが行った政策の事後検証と責任追求は不可欠です。でなければまた同じ誤りを繰り返すことになります。増員政策について仮にM氏が路線変更したとして、執行部派の人間は今まで通り執行部に居座るというではあまりに無責任です。物騒なことを言うようですが時代が時代なら切腹ものですよ。
一般にある政策や路線を変更する場合は政権交代というかそれまでの政権を引きずっていない人にリーダーが変わらないと路線変更は困難ではないでしょうか。前の権力者から推薦された人がリーダーになってもしがらみがあるので根本的に変革は無理なのでは。M氏が現執行部の推薦を蹴って今までの執行部の方針は間違っていたと公式に認めるなら話は別だけどその可能性はまずない。今までの路線を変更するためには今までの執行部と繋がりのない人がリーダーにならなければならない。小泉氏の構造改革路線を後継した安倍氏はその修正を図ることはできずに選挙で敗れて結局退陣しました。あなたはM氏の方がT氏よりリーダーとしてふさわしいと言いますが、私に言わせればT氏がリーダーにふさわしいか以前の問題としてM氏は路線変更のためのリーダーとして不適格だと考えます。理由は現執行部から推薦されて立候補した人だから。あなたは勿論ご承知だと思いますが、M氏は中坊氏や久保井氏の子分で彼らのために汗を流してきた人。今まで「司法改革」で汗を流してきた事に対するいわば論功行賞として彼が次期会長の候補者として執行部派から推薦されて立候補したと私は判断しています。。そのようにしがらみがありまくりの人が今までの路線を否定することなんかできるのでしょうか。2年前H氏が会長に就任しました。彼が会長になってやったことといえば新人の日弁連会費減額と新人採用のお願いのFAXを流したり怪しげなパンフレットを送り付けてきたことぐらい。要するに彼もそれまでの歴代会長と同様、今までの執行部から推薦されて会長になったので路線変更ができなかった。そしてさしたる成果もないまま任期を終えようとしている。M氏がH氏と同じようにならない保証はどこにもありません。
話題は逸れますが今は日弁連会長選真っ只中です。執拗に訪問や電話での勧誘がありますが相変わらずの情実選挙です。「誰々先生にお世話になったから」「同じ会派だから」などといった理由で支持を求めてくる。特に単位会の会長選については全く政策など二の次です。大阪についていえば7つの派閥でほぼ全てが決まる。副会長のポストまで会派の数に合わせて設定する(そもそも7人も副会長が必要なのでしょうか。任期もたった1年で何ができるのでしょうか)。はっきりいって田舎の村長選挙と変わらない。一部の老人が好き勝手に振る舞い、若手の意向は全く反映されない。新会館建設についてもそうでした。若手の間では執行部や上の期の弁護士に対する不満が渦巻いています。長期政権は必ず腐敗すると言いますが弁護士会についても例外ではないのかもしれません。若手の多くは経済的に楽ではない。にもかかわらず弁護士会は相も変わらず高額な会費を徴収し湯水のように消費する。現状のままだとそのうち愛想を尽かされて弁護士自治崩壊にならないとも限りません。法科大学院生の中には弁護士会への強制加入制度は廃止して任意加入にすべきだと主張する学生もいます。経済的に苦しくなるであろうこれからの法科大学院出身の弁護士が多数を占めるそう遠くない将来、弁護士自治は持つのだろうかと思います。まあその頃には今の執行部の人達は既に引退しているので他人事なんでしょうね。
短くコメントを書くつもりでしたが相当長くなってしまい失礼しました。
投稿 通りすがりの1人 | 2008年2月 5日 (火) 00時12分