インド旅行に熱中する知人がいる。若いころから出かけてなお飽きないが、往々にして下痢をして帰ってくる 街や村を訪れ、水や生ものも「覚悟の上で」口にする。そうしなければ、かの国の奥深い魅力が分からないからだという。下痢はインドに払う授業料だ、と笑い飛ばす だれも望んだわけではないが、中国製ギョーザ中毒事件も、何かを教えてくれる。「騒ぎ過ぎ」という対日批判は、かの国の農薬被害では少なからぬ人の命まで無残にも奪われているからである。「偏向報道」という常とう句は、中国のマスコミとは政府御用達の宣伝道具、という市民のジョーシキを映しているからに違いない。食中毒という高い授業料を払って分かる隣国の「素顔」である 下痢を覚悟の旅行は、はやりの言葉でいう自己責任である。インドでは列車はドアを開けたまま走ることもあるし、遅れや運休も珍しくないとか。文句があるなら乗るな。便利と危険を天びんに掛け、自己責任で判断するのがインド流の旅と、知人が教えてくれた 食品の表示に頼り切り、時に偽装だ、不正確だと文句を繰り返す私たちが、ひ弱に思えてくる。
|