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男の言い分、女の言い分(32)代理出産・女性編 |
2008/02/05 |
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あるこぢんまりとしたクリニックの婦人科外来を訪れる機会があったが、若い女性でごったがえしているのに驚いた。ほとんどの女性が不妊治療のために来ているらしい。短い時間に受付の電話は何度も鳴り、事務の女性は「体外受精をご希望の場合は……」などと応対している。体外受精という言葉が、ここでは、そして今ではこんなに一般的なのだと、また驚いた。
体外受精児が世界で初めて誕生したのは、1978年。マスメディアの第1報は、「試験管ベビー誕生」だったと記憶している。それまでSFの世界で使われていたその言葉を、記者はここぞとばかりに使ったのだろう。だが、実情にそぐわないという批判から、すぐに体外受精という言葉に改められた。
そのときも倫理的にどうなんだ?という論争はあった。そして当時の私の感想は、「そんなにしてまで、自分と血のつながった子どもが必要なのかな」だった。
しかし月日は流れ、今や体外受精は、不妊治療選択肢のスタンダードのひとつだ。そして私も、体外受精を試みる人たちを、「そんなにしてまで」とは、もはや思わない。
しかし「代理出産」については今でも思う。そんなにしてまで、自分と血の繋がった子どもが必要なの?と。体外受精児が世界で初めて誕生したときと、ほぼ同じ感想だ。子どもが出来ないなら出来ないで、子どもがいない人生というものを、神から与えられたのだと思えないのだろうか、と。
倫理的に反対というよりも、いさぎよくないから見ているだけで疲れる、と感じるわけである。
しかし、この「神から与えられた…」という言い分を、自分が自分に言うのならともかく、私が他者に言うのは、傲慢というべきだろう。私にそんなことを言う権利はない。
というわけで、私の態度だが、
賛成しない。
応援しない。
駄目とは言えない。
生まれた子どもは、絶対に差別しない。
答えになっていないかもしれないが、これくらいしか答えられない。
(加納かがり)
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