■「死の臨床格闘学」 / 香山リカ
どこかで書いたことがあったと思うが、僕はかつて熱狂的なプロレスファンであった。金曜夜8時のワールドプロレスリングと土曜夜8時の全日本プロレス中継は、中学時代の僕にとって欠かすことのできないTV番組であり、ひどい時なんか一日中好きなプロレスラーのことばっかり考えてぼーっとしているような、ほんとにしょうもない中坊だった(苦笑)。
まあ、そんな熱に浮かれたような季節はすぐに過ぎ去ってしまい、現在の僕はプロレス会場に足を運んだり、プロレス関連の雑誌を買い漁るなんてことはとっくにしなくなっているのだが、それでもプロレス界で何が起こっているかは今でも気になる。こんな言い方をしたらマニアなプロレスファンからは怒られてしまうかもしれないけど、僕はコンビニに並ぶプロレス雑誌の表紙を見ることで、今のプロレス界のことを大雑把に掴んでいるつもりでいる。多分、全く試合を見ない今でも、現役のプロレスファンとある程度までは話を合わせることができるんじゃないかな…。そして、僕みたいな男達はけっこう多いはずだとも思う。

残り火が燻っているようなプロレス者の僕にとって、一番関心があることは旧知のレスラー(…って僕が一方的に向こうを知ってるだけだけどね(笑))が、今どういうポジションで、どんな活動をしているのかということである。プロレス界ってのは、ほんとに生き馬の目を抜くような世界で、かつての団体のエースがそこを退団して独立団体を興すなんてことが頻繁に起こる。それにつれて団体間を大勢の人が行き交い、数年も見ないとマット界の勢力地図が大きく変わっていたりするものなのだ。そんな岐路の場面でレスラー達が何を想い、何故そんな行動をとったのかを考えることは、壮大な時代小説を読むようでなかなか面白い。そこには表に出たリング上の闘いよりもはるかに人間臭いドラマが潜んでおり、虚構を取り去った生身の人間としてのレスラー像が見えてくる。
そう、いつの日か僕にとってプロレスは、試合そのものよりもプロレスラーの人間性やその背後に潜むものについて考えるものとなってしまったのだ。だから、今でも時々書店の本棚でプロレス界の内幕を書いたものや、レスラーの人間性に焦点を当てたレポなんかを見つけると、ついつい衝動買いしてしまうのだ。

この本は、21世紀を待たずしてこの世を去ったジャイアント馬場という巨人の「死」を受け、プロレスという世界に漂う「死」と、そこから浮かび上がってくる現代社会における「死」という問題について考察を行った異色のエッセイ集である。著者はテレビでも良く見かける香山リカ。いやあ、太いセル眼鏡をかけてテレビに出てくる美人精神科医のこの人が、筋金入りのプロレスファンだとは夢にも思わなかった。
これは、プロレスという虚構の世界に喩えて現在の社会に巣くう病理を解説した本という見方もできれば、精神医学者の書いた異色のプロレス本という見方もできる。で、僕がこの本をどう読んだかといえば、圧倒的に後者のほうだな。

この本の中軸となっているのは、全日本プロレスという老舗プロレス団体の御大で誰もが認める名レスラーだったジャイアント馬場の「死」という事件である。この日本マット界を揺るがす「死」の影は、多くのレスラーに影響を与えることとなった。全日本プロレスの主力選手の殆どを引き連れて新団体を旗揚げした三沢、秋山。たった2人だけで全日本プロレスに残った淵、川田。全日本プロレスで育った後、馬場と袂を分けたのだが再び古巣に舞い戻った天龍、大仁田。そんなレスラー達それぞれの心情を、香山さんは精神科医ならではの切り口で鋭く読み解いていく。

この本を読むと、最近のプロレス放送を見なくなった僕にとっても、全日本プロレスがいかに不思議な磁場を放つ存在かってことがよくわかる。そして、馬場の「死」が様々なレスラーたちにいろんな影響を及ぼしたこともよくわかる。馬場の「死」と引き換えに全日マットへの復帰を果たした天龍源一郎は、まるで勘当同然に家を飛び出した息子が頑固親父の死を悼むかのようにも思えるし、大仁田の復帰だって馬場の「死」なくしては考えられない。
ジャイアント馬場とジャンボ鶴田がこの世を去り、主力選手の殆どがいなくなってしまった時、全日本プロレスが消滅するのは時間の問題だと思っていた人は多いだろう。だけど、全日本には次々とレスラー達がやってきて、今では以前と変わりないような盛り上がりを取り戻してしまった。崩壊寸前の老団体にしか見えなかった全日本プロレスの、いったい何に魅せられて彼らは集まってきたのだろうか。それは馬場の「死」が作り出した強力な磁場としかいいようがないのではないか。
ジャイアント馬場の「死」という現実は、プロレスという虚構の世界においては、リアルな幻想として現実を突き抜けてしまっているのだ。全日本プロレスのマット上には今でもジャイアント馬場が生き続けている。
プロレスラー達の生き方、進むべき方向を決める嗅覚は、一般の人たちのそれと比べてかなり鋭く研ぎ澄まされているように思うのだが、そんな彼らは、馬場の死後、全日本プロレスが放つようになった強力な磁場をいち早くキャッチしたのだと思う。そうでもなければ、全日が崩壊の危機に見舞われていた一時だけ参戦した新崎人生なんてレスラーの行動を理解しようがないではないか。

香山リカは、そもそもこの本をプロレスに喩えた精神分析論として書いたようだ。だから、プロレス寄りの僕の読み方ははっきり言って“邪道”だと思う(苦笑)。だけど、こういう複雑な人間ドラマや、時としてリングでのファイト以上にリアルな現実を垣間見るのはとても面白く、香山リカさんのプロレスへの接し方は、何だか僕とすごくよく似ているように感じるのだ(勿論、僕はとてもこんな見事な分析はできないけれど…)。話は20年以上昔のハル園田なんて選手のことまで及んでいるから、香山リカという女性はかなり昔からプロレスを見続けてきたことがわかる。最近はプロレス誌を買ったり試合会場に足繁く通うなんてことはなくなってしまったようだが、それでもこの人がプロレスという夢の空間から完全に身を引いてしまうことはないだろう。
何を隠そう、僕がそうだからだ。一旦プロレス熱から覚めてみると、日常生活の場面とプロレスとの接点は殆どないことに気がつく。一般的な日常生活においては、橋本と武藤が闘うかどうかを話題にするよりも、松井がメジャーリーグで通用するかどうかの方がはるかに普遍的な話題だ。え、ボブ・サップ?冗談じゃない。あれはプロレスじゃないよ。一体彼の背後にどんなドラマが見えるというんだ?
プロレスっていうのは、音楽のジャンルで喩えるとブルースみたいなポジションだと思う。プロレスという異界の出来事は、自ら欲しないとその情報は殆ど入ってこない。だけど、一旦あの味を知ってしまったプロレス者は、人生の折々においてそこで何が行われているか気に止めてしまう。そして、異界に生きる男達に己を感情移入させていくことになるのだ。
僕はこの本を読んで、久々に後楽園ホールに全日本プロレスを見に行きたくなってきた。今、全日のメインイベントをとっているレスラーが誰なのか、僕は知らない。だけど、ションベン臭い後楽園ホールのロビーの空気を吸うだけで、それだけで充分なような気がする。

■「死の臨床格闘学」(青土社) / 香山リカ(著)
・2002年3月1日初版発行

(2003年1月26日)

■断固、ピート・タウンゼントを支持する!
今月13日、ザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントがロンドン警察に逮捕された。容疑はこともあろうに児童保護法違反。ピートはインターネット上の児童ポルノの有料サイトにアクセスした。それが児童ポルノ画像の製造、販売、所持の疑いがあると当局に見なされたようである。事情聴取の後すぐに保釈されたが、今月中には再度警察に出頭しなければならないというから、完全に嫌疑が晴れたわけではないようだ。
ピートは、クレジットカードを使って児童ポルノサイトにアクセスしたことは認めているものの、当然だが自分が児童ポルノの愛好家だったことは否定している。彼は現在自伝の執筆作業を進めており、その中で自らが幼い頃に性的虐待を受けたことを告白している。自らそんな忌まわしい体験した彼だから、児童ポルノに対してピートはこれまでむしろ反対の立場を表明してきたのだ。それなのに、今回なぜ自らが児童ポルノサイトにアクセスしてしまったかといえば、彼曰く現在の児童ポルノの実態を調べあげて、自伝の中で現状を告発して問題提議をするつもりだったらしい。つまり、ピートの言い分を信用するなら、自らは善意と信じて行ったはずの行動が、当局からは全く逆の行動として捉えられてしまったというわけだ。

僕は、児童ポルノの有料サイトにアクセスすることが、イギリス国内の刑法においてどれだけの罪になるのかは寡聞にして知らない。まあ最終的には課金した金の何%かは児童ポルノのサイト管理者の手元に行くのだろうから、目的の如何を問わず、お金を払ってアクセスしたことイコール児童ポルノサイトの運営を幇助したと見なされるのも理屈の上ではわからなくはない。ピートに対しても、いくら調査のためとはいえもう少し慎重に行動して欲しかったと言いたくなったりもする。
しかし、それでも僕はどうにも割り切れない気持ちでいっぱいなのだ。だって、どう考えてもピート・タウンゼントは児童に性的衝動を抱くようなタイプの人間ではないと思う。それはフーの残した数々の曲を聴いてもわかるし、プライベートでは女性と結婚して家庭を築き子供もいる男が、醜悪な児童ポルノに熱を上げたりする状況はちょっと考え難いと思う。おまけに、彼は児童ポルノサイトにアクセスしたことは認めていても、画像をダウンロードしたりは一切していないと言っているのだ。現に、彼の家から押収されたコンピュータから児童ポルノの猥褻画像が見つかったという報道もないではないか。つまり、現時点でピートはシロでもクロでもなく、彼が卑猥な動機で児童ポルノサイトにアクセスしたという物的証拠はないに等しいのだ。そんな中途半端な状況でしょっぴいたロンドン警察に、僕はどうにも疑念を禁じえない。

断っておくが、児童ポルノを撲滅するという考え自体には僕も全面的に賛成だ。精神的にも肉体的にも幼い子供たちを大人が性的要求の対象と見なすようなことは、人間が犯す罪の中でも最も汚らわしいものの一つだと僕は考える。日本国内においても、少女のヌードを専門に扱うような店があったり、東南アジアに少女を買いに行くような男が実際に存在すると聞くが、僕はそういった行為を心底軽蔑するし、いっその事そんな連中は法律で厳しく罰するべきだと思っている。
しかし、それと今回のピート・タウンゼント逮捕の正当性はまた別の次元の話だ。思うんだけど、これはある意味60年代に麻薬所持で逮捕されたローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの事件とよく似ていると思う。はっきり言うと、今回の逮捕劇はかつてのブライアンがそうであったように、“見せしめ”の色が濃いのではないか。つまり、充分な物的証拠がなくとも、大物ロックスターであるピート・タウンゼントを逮捕することによって、児童ポルノ撲滅にかける当局側の態度をより強力にアピールしようとするってな思惑が見え隠れする。その為にピート・タウンゼントは“利用”されてしまったのだ。

それと、今回の事件で僕が警察より頭にきているのはマスコミの報道の仕方だ。イギリス国内では逮捕の当日大勢の報道陣が彼の自宅前を取り囲み、タブロイド紙は彼を性的に倒錯した変態おやじさながらに扱った。ピート逮捕の一報は、日本でもスポーツ紙などに大きく取り上げられたが、そこでも扱いは似たようなものだった。
だけど、シロかクロかはっきりしない者に対してここぞとばかりに性的倒錯者のレッテルを貼りまくるマスコミ報道の過熱ぶりは、明らかに度を超していると僕は感じる。この事件に関しては、ピート自身が“俺は児童ポルノの愛好者ではない”と発言し、物的証拠が何も見つかっていないという事実がすべてなのだ。もう一度言うが、ピート・タウンゼントは現時点においてシロでもクロでもない。それを各紙一斉に、まるで魔女狩りでもするかのように嬉々として変態おやじ報道しているのには、げんなりしてしまう。
もっと頭にきたのは、日本のあるスポーツ新聞が、かつてのスコーピオンズやブラインド・フェイスのアルバムジャケットを例にとり、ロックの性的倒錯性とやらを解説していたこと。ロックが市民権を得たとかいっても、結局はこれがこの国の実態なのだ。何か事件が起きると“これだからロックは…”ってな論調が必ず出てくる。もう21世紀だぜ、いい加減目を覚ませよ!

ってなわけで、ピートが児童ポルノ幇助に関与した物的証拠が何もない現在、僕は断固としてピート・タウンジェントの身の潔白を支持する!今回の件に関しては、ザ・フーのボーカリスト、ロジャー・ダルトリーやエルトン・ジョン、元クイーンのブライアン・メイ、それにミック・ジャガーの前妻ジェリー・ホールもピートの潔白を訴えるコメントを出しているけれど、考えてみれば、昔ミック・ジャガーが麻薬所持で逮捕された時にその潔白を訴える運動を展開したのは、誰あろうピート・タウンゼントだったっけ…。今度はそれが逆になったんだなあ。歴史って皮肉ですね…。

(2003年1月25日)

■「トプカ」(淡路町)のムルギーカレー
もう15年以上も昔の話になるのだけれど、かつて吉祥寺に「だんらん」というものすごく美味いカレー屋があった。そこは僕をカレー道の奥深い魅惑の細道(?)に誘った原点ともいうべき店だ。この店のカレーを初めて食べたのは、僕が地方から出てきて大学生になったばかりの頃。カウンターと数卓のテーブル席しかないような小さな店で、厨房にはハクション大魔王みたいな風貌のマスターと(笑)、サリーを着たインド人のような顔立ちの美しい女性がいたことを憶えている。お店の壁には曼荼羅なんかがかけてあって、怪しげなムードに緊張しながら待っていると、出てきたカレーはスパイスの一つ一つがしゃきっと立ったサラサラのインド・カレー。それまで本格的なインド・カレーなんか食べたことがなかった僕は、経験したことのない強烈な辛さに脳天までくらくらしながらも、“この世にこんな美味いカレーがあったのか!”と感動してしまったことを憶えている。
この店には、最初大学のサークルの先輩に連れられて行った。学生時代の僕は、70年代のバックパッカー気取りでアジアの国々を訪ね歩くというサークルに入っており、文化祭の時には、アジア各地を訪ね歩いた体験報告会やエスニック料理の模擬店なんかをやっていた。その模擬店の看板メニューはインド風の野菜カレーだったのだが、レシピやスパイスを仕入れていたのが、何を隠そう「だんらん」だったのだ。だいぶ後になってから知ったことだが、「だんらん」のマスターだった由利三さんという方は、スパイス使いの名手として知る人ぞ知る存在であった。サークルの先輩がどういう経緯でそんなすごい人とコネを作ることができたのかは今となっては謎だが、うちのサークルが作る野菜カレーは数種類のスパイスを用いてプロが書いたレシピを参考にして作られたものだから、当然だけど抜群に美味かった。はっきり言って、学祭の模擬店レベルなんか軽く超えた本格的なものだったと今でも思う。なにしろ、固定ファンがついていて、毎年遠くから食べに来てくれる人もいたぐらいだったのだから…。

その後、「だんらん」は僕が在学中に店をたたんでしまい、サークルと店との関係も途絶えて由利三さんの消息もわからなくなってしまった。
美味かった「だんらん」のカレーも幻の味となってしまったのだが、現存するカレー屋さんの中で、僕が憶えている「だんらん」の味に一番近いと思うのが、「トプカ」の「ムルギーカレー」である。
「トプカ」のある須田町界隈は、手打ち蕎麦が絶品の「まつや」をはじめ、隠れた名店が目白押しという知る人ぞ知るグルメエリア。昼時はビジネスマンで常にごった返している。このお店は本来はインド・カレーの専門店ではなく、メニューを見ると欧風カレーもあるのだが、僕は「ムルギーカレー」しか食べたことがない。カレーの各種ガイドブックを見ても、やっぱりオススメはインド風カレーのほうみたい。その「ムルギーカレー」、以前は確か「インド風チキンカレー・ポミー風」という名前だったはず。うーん、今思うと“ポミー風”ってのはどういう意味だったんだろうか?わからん…(苦笑)。

「ムルギーカレー」は、とにかく香りが強烈だ。カレーが運ばれてくると、クミン・シナモン・カルダモンの混じったシャープな香りが鋭く鼻腔をえぐる。この荒々しい感じが「だんらん」の、そして我がサークルの作っていたカレーと同じなのだ!ああ、懐かしいねえ…(笑)。そしてサラサラのまるでスープのようなルー。ああ、もう最高だねえ!(笑) ムルギーという名前が示す通り、具には鶏肉も入っているのだが、それより数種類入ってる野菜の方が何故か印象に残る。タマネギ・ナス・ニンジン・ジャガイモ・シシトウが明るいブラウンのカレーの中に静かに沈んでいるのは、視覚的にも心地いいインパクトがある。
このカレー、辛いのが苦手な人にはかなり強烈な辛味を感じるだろうが、僕は口から鼻腔にすーっと抜けるブライトな辛さがたまらなく気持ちE〜!のだ。サラサラのルーはライスともよく絡み、夢中で食べてると心地よい汗が頬を伝う。二日酔いなんか一発で治っちゃうぞ(笑)。
それと、ここのもう一つの楽しみは、注文するとすぐに運ばれてくるスープだ。これ、一見野菜が入った普通のコンソメスープに見えるんだけど、実はピリリと辛い。時々知らずにがぶっと飲んで目を白黒させたりしている人を見かけますので、気をつけましょう(笑)。

そういえば、都内のカレー屋さんをレポしたHPに、ここの「ムルギーカレー」を、“少々脂っぽいのが欠点。頻繁に食べたら絶対太る…”なんて書いてる人がいたのだが、ふっふっふっ、まだまだ青いな、君(笑)。確かに度た目は脂っこそうに見えるけど、食べた後は不思議と胸焼けしないでしょ?これは植物性の油を使っているからなのだよ。それと、別のHPの“野菜群が今ひとつカレーソースに馴染んでいないのではないか”という意見にも反論を。多分ニンジンなんかがしゃきっとしたまま入ってることから感じた意見なんだろうけど、これは計算づくでやってるというのが僕の意見だ。実はこのニンジン、さらっと炒めてちょいと味付けがしてあることに気がついたかい?それだけじゃないぞ。具に使われている野菜は種類によって調理方法を少しづつ変えてあるのだ。大雑把に見えて、実はけっこう手の込んだことをやっているのですよ。決して注文と同時に炒めたか焼いたかしたのを、鍋に放り込んでるわけではないのですぞ、君。…って誰に言ってるんでしょうね、俺…(苦笑)。

「トプカ」が幻の名店「だんらん」と関係があったのか、それとも「ムルギーカレー」のレシピが偶然「だんらん」と酷似したのか、それは僕にはわからない。しかし、ここのカレーは僕をカレー道の原点に立ち返らせてくれる貴重な存在なのだ。
それにしても、「だんらん」のマスター、由利三さんは今何処で何をしてるんでしょう?あれほどのインドカレーの名手があっさり引退するわけはないと思うんだけどねえ…。どなたか消息をご存知の方がいらしたら、是非教えていただけませんか?

■「トプカ」
・住所 : 千代田区神田須田町1−11
・電話 : 03-3255−0707
・営業時間 : 月〜金 11:00〜15:30 (17:30〜23:00は居酒屋) 土・日・祝 12:00〜18:00(居酒屋は休み)
・定休日 : 無休
※丸の内線淡路町駅徒歩3分、JR御茶ノ水駅徒歩7分

(2003年1月18日)

■「渋松対談Z」 / 松村雄策+渋谷陽一
これ、僕がお正月休みに一気に読んだ本です。いやあ、笑った、笑った(笑)。渋松対談ってまだやってたんだなあ…。知らない方のために一応説明しておくと、渋松対談ってのは、渋谷陽一が創刊したロック雑誌「rockin' on」で最も長く続いてる連載物で、渋谷陽一と、同世代のライター松村雄策とがロックを題材にいろいろと与太話を繰り広げるというもの。この「渋松対談Z」は96年1月号から02年11月号までの中から選りすぐり(?)の54本を選んだということだから、現時点での最新バージョン渋松ということになる。

僕がrockin' onという雑誌を夢中になって読んでいたのは高校時代。その頃ロック好きの高校生の間でメジャーだったロック雑誌は、これとミュージック・ライフ、音楽専科だった。まあ、他にも各種FM誌や日本のロック専門誌、ヘビメタ・パンクの専門誌なんかもあったけど、ジャンルにとらわれず広くロック全般を扱った雑誌ってことになると、やっぱりこの3誌だろう。その中でもrockin' onは投稿を中心に誌面作りをしているところが面白く、デザイン性も高くてカッコよかったのでよく読んでいた。rockin' onは書いてる人が評論家じゃないから、視点が僕ら一般的なリスナーと同じで感情移入しやすかったのだと思う。特に、当時自分の好きなバンドのことを語り合える友人が周りにいなかった僕みたいな田舎のロックファンには、この雑誌の存在は心強かったはずだ。読み込んでいくとそれぞれのライターの音楽の好みもだんだんわかってきて、好きなミュージシャンに対して“こういう聴きかたもあるのか…”ってなことを気付かされる事も多かったと思う。

で、その頃は、渋松対談に関しては、正直言うと“おっさんがなんか言ってら…”ぐらいの感想しかなかった(苦笑)。そもそも二人がフェバリットとするバンドはレッド・ツェッペリンとビートルズであるように、話題にのぼるミュージシャンは60年代・70年代の人が多く、僕らからすると何だかリアリティにかけるものだったんだな。当時僕の周りではそういうロックを堂々と聴いてる奴はあまりいなかった。そういう奴は爺臭く思われがちだったのだ(苦笑)。ツッパリはもっぱらパンクかヘビメタ、普通のロックファンの間では、U2やポリス、クラッシュなんかが人気があった。ストーンズやスプリングスティーンは何故か別格だったけど…。で、僕もリアルなロックは若手の投稿ライターの記事で読み、渋松はお笑いネタとして読み…みたいな、そんなスタンスだったんじゃないかな、確か。うーん、よく考えるとひどい読み方してるよな、俺…(苦笑)。

で、今久しぶりに単行本になった渋松対談を読んでどう感じたかといえば、もちろん昔と同じように大笑いできるんだけど、それ以上に話の内容になるほど〜っと共感してしまうことが多いことに気がつく。話題の中には、確かにマリリン・マンソンみたいな最近話題のミュージシャンの名前や、ロック・フェス、インターネットなどのトレンディネタ(?)も出てくるんだけど、話の展開やオチは昔とおんなじ(苦笑)。だけど、それが妙にツボにハマって笑えて共感できてしまうのだ。うーん、なんなんでしょうね、これは?

考えてみたんだけど、そしてあんまり自分では認めたくないんだけど(苦笑)、これは僕自身の感性がだんだん“渋松化”してきたと考えざるを得ない。うーん、まいったなあ…(苦笑)。
実は僕、去年の秋に久々にrockin' onを買った。全米ツアーを開始したローリング・ストーンズの最新インタビューや特集記事が載っていたからだ。だけど、久々に手にしたrockin' onはストーンズ関連の記事以外、殆ど読むところがなかった。いや、はっきり言うと扱われているバンドの名前の半分もわからないから記事の内容についていけないのだ。そんな中で、松村さんの書いたジョージ・ハリスンの新譜に関する記事、相も変らぬ与太話を展開してる渋松対談があることに妙に安心したりして…(苦笑)。
それと、rockin' onの誌面作りに昔とちょっと異なる点があることに気がついた。昔はミュージシャンのインタビュー記事がこんなにたくさん入ってなかったぞ。これは海外の雑誌との提携で翻訳物の記事が増えたり、来日する海外ミュージシャンの数が比べ物にならないくらい増えたから、インタビューする機会が増えたためだと思うのだが、その為に誌面の大半をインタビュー記事が占めるようになり、ライターによる投稿記事はほんの少しになってしまっていた。昔はこの逆だったのだ。投稿記事がその大半で、インタビューなんてほんの少ししかなかった。その頃には“架空インタビュー”なんて恐ろしい記事まであったのだ(笑)。これは、このミュージシャンだったらこう答えるだろうと考えて、ライターが空想でインタビュー記事を書くという凄いもの(笑)。だけど、こういうのが結構面白かったんだよなあ。

思うんだけど、特に海外のロック・ミュージシャンをどれだけ好きになれるかってのは、自分がどれだけその人に思い入れられるかってところが大きいんじゃないだろうか。僕なんかも、70年代初めのストーンズのアルバムを聴いて、この時ミックはこう思ってたんだろうな、なんてぼんやり考えたりしてた。rockin' onの投稿記事ってのは、その延長線上にあるものだったと僕は今思うのだ。つまり、それは聞き手のイマジネーションの産物なのだが、今みたいにこれだけミュージシャンのインタビューがたくさん表に出てくると、そういうイマジネーションが抱きづらくなる。だって、自分が考える前にミュージシャンが全部喋っちゃうんだもん(苦笑)。で、聴き手はそれをそのまま受け入れりゃあイイんだもんね。それがいいことか悪いことかはわからないけど、最近のロックファンは、そういう意味でバンドとの接し方が妙に合理的な気がしないでもないなあ…。

まあ、あんまりぐだぐだ言ってると、ほんとにオヤジロック野郎になってしまうので(苦笑)、このぐらいで止めておきますが、渋松の二人からは、明らかに最近の若いライターとは違う、イマジネーション豊かにロックを聴いていた時代の匂いがぷんぷんする。それは、フェバリットとするミュージシャンは違っていても、僕にとってのロックとも同じなんだよな…。そんな人って僕ら世代までには結構多いと思う。そして、僕みたいにビッグネームの特集があるときだけrockin' onを買って、変わらぬ渋松のテンパり具合に妙に安心したりするわけだ(笑)。そんな僕らのために、渋松の二人にはまだまだ老体に鞭打って(笑)、この対談を続けていただきたいと切に希望するっ!。

ちなみに、オビの推薦文をCHABOさんが書いてます。男50、「ロックな香り」にCHABOさんも共感するところ大だったのでしょう。

■「渋松対談Z」 著者 / 松村雄策、渋谷陽一
・発行 (株)ロッキング・オン
・2002年11月28日 初版発行

(2003年1月14日)

■クローン人間!?
昨年末くらいに、ヨーロッパだかどこだかの新興宗教団体が“クローン人間の誕生に成功した”という発表をした時、僕は結構大きなショックを受けた。その後、この団体は最初の約束だった第三者の科学者によるクローン・ベイビーのDNA鑑定を拒否しだし、どうも情宣を目的としたガセネタだったということに落ち着きそうだが、こういう話は今後どんどん出てきそうで僕はすごく怖い。完璧文系人間の僕は、こういう分野の話には全く無知だけど、そんな僕ですら、これは早いとここういう実験を禁止する国際条約を作らないと大変なことになってしまうような気がする。

クローン人間ってのは、人間が遺伝子を操作して新しい生命を生み出すことだという。これ、人道的な見地からももちろん問題だけど、僕はこの行為は人間が犯してはいけない進化の領域に踏み込んでしまっているような気がするのだ。
今のところ、クローン・ベイビーを誕生させると宣言している科学者達は、不妊に悩む人たちに子供を授ける目的でクローン研究をしているという。だけど、一度クローンの成功事例が出ると、それは不妊治療が派生したものという範疇からどんどん拡大解釈されていって歯止めが効かなくなると思うのだ。例えば、今でも出始めているけど、結婚という制度に疑問を感じている女性がシングルマザーという道を選択し、精子バンクみたいなところから最良の遺伝子を受けて自分のクローンを作るようなことや、自分の子供を天才数学者に育てようと思った大富豪が、大数学者の遺伝子を手に入れてクローンを作るようなことが絶対出てくると思う。
そうやって最良の遺伝子を受け継いで生まれたクローン・ベイビーたちは、自分の生い立ちを知った時、自分を、最良の遺伝子を受け継いだ優れた人間と思い込もうとするだろう。だって、自分という存在が、民族の歴史や家系のような過去から繋がる悠久の流れから外れたところで生まれ、両親の愛の結晶ですらないと知ってしまった時、自己のアイデンテティを確立できる最も確実な事実は、この“最良の遺伝子”しかないのだから。
そんなクローン・ベイビーたちが成長して結婚を考えた時、やっぱり自分と同じように最良の遺伝子を受け継いだクローン人間との結婚を考えるようになるのではないかと僕は思う。だって、自分と同じように過去の人類の歴史から遮断されてしまった孤独な哀しい人間として、クローン人間同士がシンパシーを感じあったり、クローン人間が自分の死後を考え出し、“最良の遺伝子”を後世に継ぐことを考えた時に、パートナーにも最良の遺伝子を受け継いだ人間を選びたいという意識が生まれてくるのは当然ではないだろうか。そうやって結婚したクローン人間夫婦は、やがて両親以上に最良の遺伝子を引き継いだ子供を産むことになる。で、この子達はまたクローン人間同士で結婚して子供を生み…。

もうお分かりだと思うけど、そうなってくるとクローン人間と旧来の人間はどんどん差別化されてくる。長い年月の間にはクローン人間は自分たちだけでコミューンを作るようになり、やがてクローン人間独自の文化が生まれたりもするだろう。そして旧来の人間とは更なる差別化が図られ…。うーん、書いててすごく怖くなってきてるんだけど、これは、もはやクローン人間と旧来の人間は同じ種類の人類とは到底言えないと思う。遺伝子操作の末、人間が試験管の中で生み出してしまった、進化の法則を全く無視した新しい種の人間…。そんなことを想像すると、僕はものすごく怖くなるのだ。

だけど、クローン技術を人間に応用することを今のうちに禁止する条約かなんかがないと、何十年か何百年か先には絶対起こり得る話だと思うんだな、俺…。僕は子供の頃SF少年だったんだけど、これと全く同じような筋の話を手塚治虫の漫画だったか、フィリップ・K・ディックの小説だったかで読んだような気がする。そして、その物語の結末は、やがてクローン人間たちが旧来の人間を自分たちより“劣った人間”と見なし、職業上の差別化や結婚上の制約、社会的な区別がどんどんどんどん出てきて、やがて地球上でクローン人間の数の方が多くなり、旧来の人間は保護区で暮らすようになるって感じだったと思うのだ…。ああ、怖い。

やっぱり子供はちゃんとセックスして、きちんと母親がお腹を痛めて生まれてくるべきものだよね。子供ができない両親の苦悩ってのは僕にもよくわかる。だけど、それと進化の法則を無視してクローンを作ることとはまったく別のことであるはずだ。考えてみれば、血の濃さなんかより愛情で成り立つ親子関係、養子縁組や里親っていうのは人間が作り出した素晴らしい制度だと僕は思う。安易な遺伝子操作で無理矢理人工的な繋がりを作り上げてしまうことが人間の英知だとは、僕にはどうしても思えない。

(2003年1月13日)

■「オーベルジーヌ」(四谷三丁目)の欧風カレー
今年初めてのカレー屋訪問は、新春らしく(?)お店の名前が妙に格調高い「オーベルジーヌ」ってことで。この店、前々から名前だけは知っていたけど、僕の場合は職場からだとアクセス的にちょっと面倒臭いところがあり、ついつい足が遠のいていたのだ。
行く前は、そのフレンチ・レストランみたいな名前からイメージしてちょっと気取った感じのお店なのかと思ったりもしていたのだが、実際は全然そんなことはなく、ごく普通の町のカレー屋さんだった。雑居ビルの2階にある店内は、そんなに席数が多いわけではないけれど、年数を経てきたテーブルや椅子がお客を静かに待っていて、とても落ち着いた雰囲気。四谷三丁目というビジネス街の真っ只中で、この店は何年も前からせわしないサラリーマン達のお腹を満たす存在として、街の風景に馴染んできたのだろう。
店員さんは若い人ばかりなのに大変丁寧な接遇で、これもとても好感が持てた。お店に入るとさっと席に通してくれ、オーダーの取り方もきびきびしている。出来上がったカレーを持って来た時も、そっとテーブルに置いてくれる感じでかなり接客に気を使ってることが感じられた。

で、肝心の味のほうなんですが、結論からいうと、同じ系統の欧風カレーの老舗、神保町のボンディと大変よく似ていた。最初に欧風カレー独特の甘みが舌にのった後、じわーっと胡椒系の辛さが追っかけて来るというパターンだ。僕はボンディのカレーが大好きなので当然ここんちのカレーも楽しめた。オーベルジーヌはボンディの暖簾分け(あ、カレー屋に暖簾はないか…(笑))という噂もあるから、大体こういう味だろうと予想はしていた。だけど、注意すると細かいところでボンディとの若干の違いも見受けられたので、今回はそれを中心にレポしてみたいと思う。

僕がこの日オーダーしたのはチキンカレー。カレーソースとライスがセパレートで用意されるところ、ポテトのバター添えが付いてくるところはボンディと同じ。
ただ、ライスがちょっと違う。ボンディもここも、ご飯の上にチーズが振りかけてあって、これが熱いカレーソースをかけるととろっと溶け出し、ルーとうまい具合に混じり合うのだが、オーベルジーヌはチーズの量がボンディより少なめだ。ボンディはまるでチューブから搾り出した歯磨き粉みたいな感じで(笑)黄色いチーズがにょろっとご飯の上にのっているのだが、ここんちは細かいチーズがぱらぱら…という感じだ。ご飯自体もほんのりカレー色に色づいている。これは、ご飯と香辛料を一緒に炊き込んであるからなんじゃないだろうか。これが平皿に平たく盛られて出てくるのだ。カレーソースの色もボンディより明るめな印象。
で、これらの違いが味にどう現れているかというと、カレーをご飯にかけてもチーズがあまりしつこくない。ボンディは溶けたチーズがツーッと糸を引くほどこってりしているのだが、オーベルジーヌは幾分味がマイルド。カレーソース自体の辛味もボンディより抑え目だった。チキンは一度ローストしてあるみたいで、表面の皮のかりっとした感じが美味しい。
そして、ボンディとオーベルジーヌが決定的に違うこと。それはカレーソースもライスもボンディより量が少ないことだー!(笑)これははっきりいって、空腹時の男性にはちょっと物足りないのではないかと思う。まあ、チキンカレーの場合、ボンディの1350円に対してオーベリジーヌが1200円と150円安く抑えてはあるけど…。でも、大盛りは200円増しだから、そうするとボンディより50円高くなるぞっ!…ってあまりにも言ってることがセコ過ぎますね、俺(苦笑)。

まあ、全体的にとても丁寧に作られていて優しいカレーだな、ってのが僕の感想かな…。元気いっぱいのやんちゃ坊主みたいなボンディに対して、オーベルジーヌは女性的なカレーって感じがした。どっちが好きかは、もう個々人の好みでしかないんだけど、僕はどっちかというとボンディのやんちゃでこってりしたカレーの方がタイプかなあ…。

オーベルジーヌは、欧風カレーの名店として少し前まではカレー屋紹介本や雑誌のカレー特集があった時なんかには、必ずといっていいほど掲載されていたところだ。しかし、正直言って、初めて食べた僕としては、あまりにもボンディの味に似過ぎており、美味しいことは美味しいんだけどわざわざここに来るだけの強烈なインパクトは感じることができなかった。都内出張なんかで近くに来た時なんかは別として、ここのカレーを食べに僕がわざわざ四谷三丁目まで来ることはちょっと考え難いなあ…。
実は、僕の場合欧風カレーってのはこの手のパターンが結構多いんだよねえ…。インド風カレーは、一口に美味しいお店と言っても味の傾向が千差万別なんだけど、欧風カレーは、どうもパターンが似てて味のバリエーションの幅が狭いような気がする。店の個性があまり感じられないのだ。
美味しいって基準はほんとに難しいよね…。単に味が好みってだけじゃダメなのだ。心を惹き付けて話さない何か、その店でしか食べられない強烈なオリジナリティがないと、なかなか通いつめるところまでのレベルにはいかないってのが正直な気持ちだ。

そう考えると、やっぱボンディのカレーってのは存在感あるな、と改めて僕は思ったのだった。

■欧風カレー「オーベルジーヌ」
・住所 : 新宿区四谷3−1 福島ビル2F
・電話 : 03-3357-7418
・営業時間 : 11:00〜(L.O.15:00)、17:00〜22:00(L.O.21:30)
・定休日 : 日、祝休
※地下鉄丸の内線四谷三丁目駅より徒歩1分

(2003年1月12日)

■「ガラムマサラ」(京都)のチキンカレー
ここは今回の京都旅行中に見つけた一番の目玉といっても良いかもしれない。京都一乗寺にある「ガラムマサラ」は最高にゴキゲンなカレー屋さんです!

まずなんと言っても、このお店の名物おばあちゃんが最高にファンキー!(笑)。
このお店、ログハウス風のなかなかお洒落な外観で、店内に流れる民俗音楽といい、エスニック調の装飾といい、今流行りのアジア風カフェみたいな感じなのだが、厨房から聞こえてくるけたたましい関西弁の言い争いが、そのこじゃれた雰囲気を見事に打ち砕いてくれる(笑)。「ガラムマサラ」は創始者であるこのおばあちゃんと、その娘さん、そしてその旦那さん?の3人で営んでるみたいだが、3人が3人とも強力なキャラクターの持ち主で、しょっちゅう店の中で賑やかに言い争いをするのが名物らしい。
おばあちゃんは大きく腰が曲がって物を運ぶのも難儀そうなんだけど、それでも一生懸命お客さんのテーブルにカレーや水を運んだりしている。そして娘さんとコック帽を被った旦那にガンガン檄を飛ばしているのだ。話の内容は、どうもカレーを出すタイミングやら、調理の手順やらをめぐっての攻防みたいなんだけど、それはそれはすごい勢いだ。おばあちゃんのでかい声、娘さんのまくし立てる早口、旦那の妙に甲高いトーンの声、3人が3人とも真剣なだけにこの対比が最高に可笑しい(笑)。

肝心のカレーの方も、方々の雑誌で紹介されていてかなりファンが多いらしく、お店にも地元の雑誌で紹介された切抜きがテーブルに置いてあった。
メニューには、野菜カレーやビーフカレー、サモサやマサラチキンなど様々なものが見受けられたが、初めての僕はやっぱり定番のチキンカレーを注文。っていうか、おばあちゃんに「初めてか?」って聞かれた僕は、選ぶ間もなくチキンカレーにさせられちゃったんだよ…(泣笑)。因みにカレーは200円増しで大盛りにしてくれるみたいで隣の男の人は実際にそうしてましたが、その時は“絶対残したらあきまへんで!絶対やで!ぜ〜ったいやでーっ!”ってなことを、おばあちゃんに何度も何度も念押しされるみたい。ど、どういう店なんや〜、ここはー!(笑)。

カレーが来るまで、このお店が紹介された雑誌記事を読んで待ってたんだけど「39種類のスパイスを調合」とか書いてある。おおっ、39ってのはかなりの数だよ。一体どんな味が来るんだよ…と思って、口開けてぼけっとしてると、ファンキーばあちゃんがカレーを持ってやってきた。ご飯とカレーは別々。カレーは赤っぽい茶色だ。とりあえず、カレーをどばっとご飯にかける(僕はちびちびかけるより、この方が好きなのね…)で、一口。え!?もう一口。ええ!!??はっきり言ってこんな味が来るとは夢にも思わなかったぞ!こ、このカレーは“味噌”の味がする…。それも、僕の故郷の福島県は会津なんかでよく味噌汁に使うような濃い赤味噌の味だ。こってりしていてちょっと甘味もあって、なおかつスパイシー。うーん、これは参った。初めて味わう食感だなあ…。一見強引ともいえる組み合わせだけど、この味噌の味が実に美味しい。しかもこれ、味噌そのものは全く入っていないそうなのだ。つまり、野菜と果物をじっくり形がなくなるまで時間をかけて煮込み、自家製のスパイスをふんだんに使って出したここだけの味ってわけだ。とにかくカレーソースそのものに独特のコクがある。スパイスもパンチが効いてるし、これは確かに他では食べられないカレーだわい…。

隣のテーブルにいた女の子達のグループはキーマカレーを注文していて、最近はこれも人気メニューらしい。ただし、これを食べる前にはファンキーばあちゃんの食べ方講座を聞かなくてはならない。これがまた面白くって、僕は堪えきれずに大笑いしてしまったよ(笑)。だけど、ファンキーばあちゃんは大真面目。その関西弁口調がすんごく可笑しいんだ、これが(笑)。因みに、その隣にいた外国人グループの人まで大笑いしてました(笑)。いやあ、こういうおばあちゃんのキャラクターって万国共通なんだろうなあ(笑)。

帰り際、おばあちゃんにお勘定をお願いしたら、「お兄さん、初めてか?」ってまた聞かれた。もう、それは注文の時に言ったでしょうが…(苦笑)。で、改めて初めて来店したことと、東京から来たってことを言ったら、「またきいや〜。うちみたいなカレー、東京じゃ逆立ちしたって食えへんで!」って言われました(笑)。
それにしても、39種類のスパイスを使って意図的にあの味噌みたいな味のカレーを生み出したんだから、あのファンキーばあさん只者ではないぞ…。実は人知れず正体をを伏せたものすごいスパイス使いなのかもしれないぞ!…うーん、その割にはちょいとばかし威厳が足りないが(苦笑)。問題はあの味が偶然の産物だったのか、意図的なスパイス調合の産物だったのか、全く判断つかないところだな(苦笑)。まあ、そんな固いことは言いっこなしで、この際この唯一無二のカレーを味わった方が得ってもんだ。

カレーが好きな皆さん、京都に旅行することがあったら絶対ここ行ってみて下さい。市バスの経路は銀閣寺に行くのと同じやつだから、銀閣寺見物のついでに行くってコースも取れると思います。とにかく、ファンキーばあちゃんに会うためだけでも絶対に行く価値があります。カレーを方々食べ歩いてる僕がオススメする、京都で一押しのお店ですよ!

■「ガラムマサラ」
・住所 京都府京都市左京区一乗寺樋ノ口町8-4
・電話 075-781-3940
・営業時間 11:30〜15:00 18:00〜21:00
・定休日 月(祝日は営業)
※市バスの上終町(造形大学前)停留所下車徒歩4分

(2003年1月5日)

■「パキスタンカレーの店」(京都)のカレー
昨年暮れの京都行は楽しかった。麗蘭のライブはもちろん最高だったけど、何回か訪れて市バスのルートもだんだんわかってきたので、昼間は行動半径が広くなり、いろんなところに行って遊んできた。
で、カレーもばっちり食べてきましたよー(笑)。何てったって2日間の滞在中に3食もカレー食いましたからね、私は。自分でもほんと馬鹿だと思うよ(苦笑)。
だけど、京都は旅行者の僕らからすると高級そうなお店が多いような印象があるけど、もともと大学が多くて若い人が多い街なわけだから、そういう人対象の美味くて安い店だってたくさんあるはずなのだ。実際京都の本屋さんに行くと、そういった人向けのタウン誌もかなり充実している。そんなものも参考にすると、割とレアな情報が手に入れられるんじゃないかな。

で、まず紹介したいのは、京阪丸太町駅の近くにある「パキスタンカレーの店」というカレー屋さん。
そのものずばりのネーミングだけど、このお店は大通りに面していて、大きなラクダの絵の看板があるから初めて行く僕にもすぐにわかった。ガラス張りであったかい陽が射すとても開放感のあるお店だ。何だかちょっとした画廊スペースみたいな作りだなあ、と思っていたら、実際隣接するフロアではほんとにアマチュア芸術家の作品を展示したりしているらしい。
で、ここはその名の通り、店主のご主人が実際に昔中近東に出かけて、お土産にパキスタンのスパイスを持って帰ってきたところから派生してできたカレーだということ。最初はただ辛いカレーにしかならなかったというが、何とかパキスタン人のレシピを手に入れ、苦労の末完成させたのが現在の「ライスカレー」というメニューだそうである。

東京でも湯島の「デリー」を始めとして、インド・パキスタン料理をウリにするお店はけっこうあるけれども、ここんちのはちょっと他とは一線を画すカレーだと思う。まず、盛り付け自体が、大きなお皿に平たくライスをのばし、そこにカレーソースをかけてあるという独特なもの。そのソースはほんとにサラサラ。20種類のスパイスと野菜・肉を煮込んであるらしいが、具は全く形が残っておらず、かなり時間をかけて煮こんであることを伺わせる。
最初に口に入れた時も、あれ!?と意外なほどまろやか。辛さは殆ど感じないくらい。でも、一呼吸おいてじわーっと辛さが沁みてくるんだなあ。そして、さらっとしたソースの中に感じるプチプチした食感。これはなんとザクロの種なんだって。珍しいもの使ってるよねえ。これがちょっと酸味のある味なんで、食べ終わった後には口の中がすっきりするのが感じられた。

メニューはすべてパキスタン料理のレシピを参考にしているみたいで、カレーもオムレットカレーとかチャパティカレーなど、ちょっと興味をそそられる様なネーミングのものがある。
ここは少し先に京都大学もあるし、多分学生の下宿なんかも多いんじゃないかな。普段はここで本を読んだりして時間を潰したりする学生がきっと多いんだろうな。出してるカレーはかなり個性的だけど、なんかすごく自然な感じで京都の町に溶け込んでいるカレー屋さんだと思った。

■「パキスタンカレーの店」
・住所 京都府京都市上京区河原町丸太町東入ル
・TEL 075-222-0544
・営業時間 11:00〜19:00 年中無休
※京阪鴨東線丸太町駅から徒歩5分

(2003年1月5日)

■京都のお土産話
皆さん、明けましておめでとうございます。
いやあ、年末の京都は楽しかった!麗蘭のライブはもちろん最高だったけど、今回は冬の京都の町を歩いて昼間もけっこう充実した時間が過ごせたような気がするなあ。夜は夜で最高のライブが待ってるし、終演後のお酒がまた美味しくって(笑)。大好きな街で誰にも気兼ねなく気ままな時を過ごし、最高に好きな音楽を充分に堪能して、普段はなかなか出会えないゴキゲンな人たちとお酒を酌み交わす。考えてみればこんな贅沢はないよなあ…。家族持ちでありながら、年末は京都に旅立たないと年を越せないような体になりつつある自分が怖いです…(苦笑)。
てなわけで、ライブレポも徐々にアップしていきたいと思っておりますが、昨日の大晦日にまたお酒飲み過ぎて頭が回んないので、今日は京都のお土産話を書いておこうと思います(笑)。

今回の京都行では、どうしても見ておきたいところがあった。京大西部講堂。言わずと知れた関西のロックの歴史を作ってきた伝説の場所だ。世代的に僕は70年代の音楽シーンをリアルタイムで体験することはできなかったけど、Mojo Westとかのイベントで多くの日本のロック・グループが西部講堂に出演し、東京日比谷の野外音楽堂と並んで、ここが西のロックのメッカとして並び称されたことは随分前から知識として知っていた。
なんと言っても、高校時代に衝撃を受けた伝説のバンド村八分のライブ盤が収録されたのがこの京大西部講堂だったことは大きい。アルバムの裏ジャケに印刷されている、瓦葺の趣のある建物の写真を見るにつけ、一度はここでライブを体験したいものだとずっと思っていた。76年のフランク・ザッパや80年代のポリス、ストラングラーズなど、外タレのライブでも伝説化されているものがあるし、80年代中盤からはローザ・ルクセンブルクや東京ロッカーズの過激な連中がここでライブをしていることを知るにつけ、京大西部講堂という空間には、アーティスティックな人たちを自然と引き寄せてしまう強力な磁場があるんだろうと思っていたのだ。
ただ、福島県というロック未開の地に生まれ、学生時代も東京で貧乏暮らしをしていた僕にとって、京都はあまりにも遠かった。実は最近でも、97年12月にカルメン・マキさんが入ったOZの復活ライブが西部講堂で催された時、かなり本気で京都遠征を考えたのだが仕事の関係で寸前に断念した苦い経験がある。なので、ライブじゃなくてもいいからこの機会に伝説の会場を一度目に焼き付けておきたいと、そう思ったのだ。

場所はすぐに見つかった。京都の町は市バスが乗りこなせるようになると一気に行動半径が広くなる。西部講堂があったのは、確か左京区の百万遍という地名のところだったと思う。広い大通りを隔てて、京都大学キャンパスとは反対側の敷地に西部講堂は忽然とその姿を現した。うーん、さすがに趣のある建物…。まるでお寺のようだ。村八分ライブのジャケットに見るように、70年代は瓦屋根にオレンジ色で三つの星印と雲の絵が描かれていたはず。日本的な瓦屋根とこのポップな絵の組み合わせを見た時には凄く斬新な感じがして、高校生の僕はかなり想像力を刺激されたものだ。ただ、さすがにこれは一度色が落ちたと見え、近年になってもう一度塗りかえられたみたいで星の色は黄色だった(雲はなし)。残念ながら講堂の中には入れなかったが、建物内部の壁面にもキッチュなイラストが描かれていて、本当に独特な雰囲気。ジャズ研の学生が練習しているのか、近くの部室から聞こえてくるアバンギャルドなサックスの音色が辺りの空気によく似合っていた。
講堂前の広い敷地では焚き火の後が見られたが、西部講堂での冬場のライブ前はここに屋台が出て焚き火がたかれ、集まってきた人々が暖をとりながらお酒を飲んで談笑するという話を聞いたことがある。どうやらその伝統は今も健在らしい。

ころで、現在西部講堂は「西部講堂連絡協議会」という学生の自主組織が運営を行っているらしい。つまり、大学の施設でありながら大学の学生部あたりが管理運営しているわけではないのだ。本来は自由なはずの大学の施設でも、実は規則でがんじがらめのところばかりなのが現実だが、西部講堂は協議会が認めれば何時までコンサートをやろうが、屋根に絵を描こうが床に穴を掘ろうが自由だという。一般的には反社会的だとみなされる表現活動や、過激な性描写を伴う表現だってOKだ。ほんとうは自由な表現活動を行える文化を育む為には、西部行動みたいな空間が絶対必要だと思うのだけれど…。
西部講堂でのライブでは、今でも隣の人からウィスキーのボトルが廻ってきてそれを回し飲みしたりするらしい。そういうフリーフォームな雰囲気は建物の周りを見ただけでも充分に感じることができた。今度来る時は是非ライブを経験してみたいものだと思いながら、伝説の場所を後にした。

で、お土産話のついでに京都で僕がいつも買って帰るお土産も紹介しちゃおう(笑)。これは祇園七味。唐辛子ですね。何でも、平賀源内の本の中に書かれている現代名黄金という日本一辛いとされている唐辛子を摺って作るらしい。そいで、この唐辛子は名前の通り黄色いから、普通の唐辛子みたいな赤味が全然ないんだよね。だから、料理にどばどばかけても、あーら真っ白いうどんがキムチ鍋に早変わり!なんてことにはならないで済む(笑)。辛いといっても、僕はそれほど強烈な辛さは感じないな。むしろ一緒に入ってる山椒の香りが香ばしいのがお気に入り。今年はそれに加えてもう一つ、現代名黄金だけの一味唐辛子を買ってきた。これは文字通り日本一辛い唐辛子として、雑誌なんかにもよく出てるらしいです。パッケージには“きつう辛おすえ”と書いてあります(笑)。

も一つおまけ。えーと、これは十三やで買ったつげ櫛ですな。え?、誰にあげるかって…そりゃあ、うちの奥さんにですよ(笑)。これで今年も暮れにはまた京都に行かせてね…っていう免罪符をここで作っておくわけです。妻子持ちのロックおやじは人知れぬ苦労をしているのですよ(苦笑)。
あと、カレーもばっちり食ってきました。京都に2日間滞在して3回カレー食った大馬鹿者です、私(笑)。けっこうオススメの店を見つけましたんで、これはまた改めて書いておきたいと思います。

ほいじゃ、本年もよろしく〜♪

(2003年1月1日)

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