川井: | ドリコムさんに入ってからもバリバリのプログラマですか?
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新井: | そうです。
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川井: | やっぱりJavaですか?
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新井: | はい。入社してからすぐ、ブログが社内の情報共有に使えるんじゃないかという話になって、すでにできていたブログエンジンをベースに開発しました。本当は他のプロジェクトにアサインされる予定だったのですが、このプロジェクトが面白そうだと思ったので、2週間くらいでできるからやらせて欲しいと言ったところ、それだったらという感じで始まりました。
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川井: | そうなんですか。それは無茶苦茶ですね。
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新井: | それが当社の主力商品1つになっている「ドリコムブログオフィス」なのですが、結局、2週間くらいでプロトタイプを作って、2ヶ月くらいで製品版を作りました。
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川井: | それでも早いですよね。それで売れたんですか?
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新井: | いえいえ、それがなかなか売れないんですよ。ブログの認知度がまだ低かったですから。ブログを知っていれば、情報発信のしやすいブログが社内の情報共有に役立つということが分かってもらえやすいのですが、そもそも「ブログって何?」という話から始まるので。半年くらい作るのが早かったねというような笑い話をしていました。それからほどなくブログも認知度があがってきて、少しずつ売れるようになってきました。
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川井: | だんだん会社も会社らしくなってきたんじゃないですか?
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新井: | そうですね。ただ、入社して4ヶ月くらいで、執行役員をやってくれって言われました(笑) ただ、その時に「執行役員」という言葉を初めて聞いたので、「そもそも執行役員って何?」という感じから始まりました。
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川井: | 経営をやりたかったんですから、それでも嬉しかったんじゃないですか?
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新井: | それはそうですね。密かに、入社して1年くらいで取締役になりたいと思っていましたから。でも4ヶ月でとは正直思ってもいませんでした。
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川井: | 執行役員になって何か変わったんですか?
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新井: | それが、なって1ヶ月も立たないうちに、内藤が「上場する」と言いだしたんです。ガイアックスもKlabも上場を目指しつつもなかなか苦労しているのを見ていたので、そんな簡単なものじゃないぞと苦笑していました。でも、1年半後には実現しました(笑)
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川井: | すごいスピードですよね。
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新井: | 上場すると言い出してからが無茶苦茶、大変だったんですよ。
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川井: | 管理面ですか? それとも業績面?
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新井: | 上場に向けて立てた売上目標を達成するのが一番大変でした。もうずっと会社にいりびたりで、1週間に一度、家に帰れるかどうかという感じでした。
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川井: | 執行役員自ら、稼働して、売上を立てていたってことですか?
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新井: | はい、自ら先頭を切って。あと、そのタイミングで東京進出をしました。開発部隊では僕一人だけ上京しました。少し前から東京に営業拠点はあったんですが、東京の案件がほとんどだったので、東京にも開発部隊を作りたかったんです。家は京都のままだったので、上京してきてしばらくはそのまま会社に泊まり込みでした。
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川井: | じゃあ、エンジニアの採用はいちから始めたんですか?
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新井: | そうなんです。みんな、自分で面接して採用しました。僕は人見知りが激しくて、そういうのが苦手なので大変でした。入社した人から「面接の時はすごく怖かった」なんて言われたこともありました。精一杯頑張っているつもりなんですけど(笑)
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川井: | ちなみに、この時点ではまだ学生なんですよね?
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新井: | そうです。ただ、東京に出てくるときに休学しました。
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川井: | ご両親は何か言わなかったんですか?
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新井: | ずっと親の言うことを聞かない子だったので。高校のときなんかは「アルバイトをしたい」と言って駄目って怒られた翌日にアルバイトの面接に行ったり、バイクの免許も駄目だって言われた翌日に取りに行っていましたからね。
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川井: | 親が諦めたっていうことですかね?
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新井: | そうですね。大学に入ってからはほとんど家にも帰ってもないですし。
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川井: | でも、上場の時は喜んだんじゃないですか?
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新井: | どうなんでしょうね(笑)
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川井: | 他に大きな動きなんかはありましたか?
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新井: | 東京に出てきてから、急激に人数が増えて2回事務所を移転しました。最初は神谷町で、半年後は赤羽橋。そしてさらに1年後に今の恵比寿です。
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川井: | なんとなく渋谷に向かっているような・・・
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新井: | いえいえ(笑)
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川井: | エンジニアの比率はどれくらいですか?
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新井: | 最初は、役員以外は全員エンジニアでした。東京に出てきてからは、営業も積極的に採用しました。それでもしばらくは7割エンジニアみたいな感じだったんですが、今はグループ会社も入れると半分くらいの比率です。
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川井: | 技術的にはRuby on Railsも取り入れていらっしゃると思いますが、どんな歴史を辿ってきているのでしょうか?
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新井: | まだRailsが知る人ぞ知る時期から取り組み始めました。ある時、京都の学生アルバイトの1人が「うちの会社はやりたいことをやらせてもらえない」って言っていたんです。それで詳細を聞いたところ、「Ruby on Rails」というRubyのフレームワークをB2Cの開発に使いたいのに使わせてもらえないと言うんです。当時は、B2CサービスはPHPで作っていて、今までの蓄積があるのにそんなに簡単に乗り換えられないというのが意見の大半を占めていたんですが、あまりに言うのでみんなでRailsを試してみました。そうしたらちょっとコードを書くだけで動くものができたりして、面白かったんですよ。僕自身もWebプログラムって7〜8割は無駄なコードだと思っていたんですが、Railsではその多くの部分がフレームワークの規約になっていてそもそも書かなくていいのですごく効率的です。エンジニアってみんなそういう面白いものや効率的なことが好きですから、気がつけば盛り上がってました。
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川井: | なるほど。
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新井: | それで、どうせ社内で使うなら、その技術が世の中で一般的に使われていないと面白くないよねという話になって、「Award on Rails」というRailsのプログラムコンテストを開催しました。
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川井: | 今は、開発のどのくらいの割合がRailsなんですか?
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新井: | エンジニアの数としては、メインで使っているのは全体の3分の1くらいです。B2CのサービスはほとんどRailsです。B2BはJavaがメインですが、B2Cとして作ったものをベースに応用する場合にRailsを使うこともあります。
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川井: | どっちにしても、まだこちらからRailsでやりましょうって言わないと、難しいですよね。
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新井: | やっぱりJava受けがよいです。顧客も安心感があるんでしょう。
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川井: | Railsはこれからも広げていこうという感じですか?
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新井: | そうですね。僕達が考えていた以上に、Railsが盛り上がってきた感じもしますし。
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