延岡工高の松元教諭

延岡工高の松元教諭

 身近にいる旧満州からの引き揚げ者の証言などを基にした教育実践例を延岡市にある県立延岡工業高校の松元史年教諭(46)が3日、東京で開かれた日教組の教育研究全国集会の分科会で報告した。引き揚げ者の存在を知らず、休み時間になっても手記を読み続ける生徒もいるなど、教科書だけに頼らない歴史教育の1つの取り組みとして注目されそうだ。

■日教組教研集会で報告

 松元教諭の取り組みは昨春、同校の歓迎会で男性講師(68)に旧満州からの引き揚げの話を聞いたのがきっかけだった。

 終戦直前の1945年8月9日に旧ソ連軍が満州に侵攻してきた当時、6歳だった男性講師は家族と避難を始め、敗戦国民としておびえながら何とか奉天(現瀋陽)にたどり着いた。しかし、周囲では避難してきた人々が飢えや病気で次々と倒れ、男性講師自身も病気で死線をさまよった。奉天で1年近く過ごす羽目となり、引き揚げ船が出る港近くの街に向かうときには、乾パンをかみ砕くこともできなかったという。

 松元教諭はすぐに男性講師に授業への協力を依頼、原稿用紙100枚を超える手記を用意してもらって、担任する1年生のクラス(40人)にその抜粋集を配った。さらに日本軍に置き去りにされた開拓団に関するテレビの特集番組なども教材に使って生徒に教えた。

 生徒たちは戦争の悲惨さにショックを受けた。これまで自身の経験をほとんど話すことがなかった男性講師の心境に思いをはせ、「軍が住民を残して日本に帰ってきたのは許せない」「悪い思い出は簡単に話せない。昔の経験があるから今の源ちゃん(講師の愛称)がいると思う」などの感想文を寄せたという。

 沖縄戦における住民の集団自決に関する教科書記述が問題となる中、「沖縄戦に限らず今、戦争の真実はねじ曲げられようとしているのでは」と危ぐしているという松元教諭。「身近な人の話であれば子どもたちの共感が高まる。そうした証言を掘り起こす作業が歴史教育では大事だということを再認識した。今後も続けたい」としている。


=2008/02/04付 西日本新聞朝刊=