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世界唯一の「母子ミイラ」の謎に迫る(下)

 映像を分析した同大産婦人科の金善行(キム・ソネン)教授は「あと5分から10分持ちこたえれば、赤ちゃんが生まれていただろう。現代ではこのような状態になっても、真空圧力によって胎児を取り出す“バキューム” を用いて簡単に出産できる」と話している。

 今回映像を得られたことにより、「坡平尹氏ミイラ」に関するこれまでの研究成果を整理し、当時の状況を再現できるようになった。この母親は朝鮮王朝中期の政治的な実力者だった尹元衡(ユン・ウォンヒョン)の甥の娘と考えられ、身長は153センチで、年齢は20代だったとみられる。「丙寅年の閏10月」、太陽暦に直せば1566年12月に、出産のために実家へ帰った。そして真冬のある日、陣痛を起こしたため、しゃがんだ状態で分娩を試みた(これは朝鮮王朝時代の分娩方法だった)。

 1‐2時間にわたって激しい陣痛が続き、出産の最後の段階まで来ていたが、そこで子宮が破裂し、大量の血が出た。母親はそれから30分以内に死亡した。また、子宮の破裂により、胎児を押し出す力がなくなったため、胎児も母親の体内にとどまったまま死んだ。その後埋葬された母子の遺体は、厳しい寒さのため腐敗しなかった。また、遺体を納めた木棺に服を何枚も入れたため、棺の中は腐敗を促進する酸素の量も少なかった。さらに木棺の外側に灰をかけて埋葬したため、外部の空気が棺の中に入らず、その結果、母子の遺体は数百年間もミイラとなって保存されていたものと考えられる。現在、ミイラは高麗代医学部の実験室で冷凍保存されている。

 金漢謙教授は「『ナショナル ジオグラフィック』など、海外の著名な雑誌や外国の学者たちが、世界唯一の“母子ミイラ”に大きな関心を寄せている」と話している。

金哲中(キム・チョルジュン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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