オーマイニュースで渋井さんのレポートしているこの記事。
目的は「死」なのだが、どこかぼくらの普段の生活に似ているような、そんなものを感じる。新しい日常、といってもいいかも知れない。
それがたとえ「自殺」という目的であっても、人間はこの世の中でその目的を持って生きて行かざるを得ない、というこの矛盾。それがこの記事には凝縮されているように感じる。
まるで、帰らないことがわかっている旅行にでも行くように、自殺者の群れば黙々と自分の死を作るための、今までとは違った日常をつむいでいく。「死出の旅路」とはよく言ったものだ。それは生きている人間がこれから向かう、新しい「旅」なのだ。
そして、今という現実ではその「旅」の準備をする。それ以外にすることはないかのように、その目的に向かって、まっしぐらに進む。
どこか、海外旅行に最初に行ったときを思い出す。このまま旅行に出たら、帰れないのではないか?という、きっとぼくの心の中にある1/1000くらいの小さな不安。この自殺者たちの今の行動と、その決行の瞬間は、きっとそういうものとすごく似ている。
赤穂浪士が吉良邸討ち入りをするまでの、着々とした準備の様子も、この記事の自殺者たちの行動も、なんだかとても似ている。目的はみんな違うのは当たり前だが、結局は人間のすることなんて、生きている以上、やがて訪れる「死」に、ああでもない、こうでもないと、理屈をつけ、今日を生きる、なんて程度のことなんじゃないんだろうか?
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