日教組が集会場に都内のホテルを予定していたが、ホテル側が約束を破って使用を拒み、集会が中止になった。裁判所の命令も無視しての対応だ。「集会の自由」を守れなくて信用が築けるのか。
日教組は毎年、教師や教育研究者が集まって教育の諸課題について研究発表したり討論する「教育研究全国集会」を開いている。ことしは二日から三日間、東京都内での開催を決めていた。
昨年三月、初日に記念講演などを行う全体集会の会場として一流とされる「グランドプリンスホテル新高輪」の大宴会場を申し込んだ。ほかに適当な会場がないためで、夏までに契約、会場費半分を支払った。
ところが、ホテル側は十一月、一方的に契約解除を伝え、費用も返金してきた。日教組は契約解除撤回を求めたが、ホテル側が応じなかったため、十二月に会場使用について東京地裁に仮処分を申請した。
東京地裁は「大宴会場を使用させなければならない」と決定を出した。ホテル側は同地裁に異議を申し立てたが認められず、東京高裁での抗告も先月、棄却された。
ホテルが主張した理由は「右翼団体が集まって街宣活動し、騒音にさらされる。別の顧客や周辺に迷惑がかかる」などだった。しかし、地裁は「ホテルは予約申し込み段階で周辺への影響を分かったはずだ。契約の解除はできない」と判断した。
日教組の教研集会は過去にも四回、会場使用をめぐって訴訟になっている。会場はいずれも公共施設で、裁判所が使用を命じることで集会は開かれた。中止は前代未聞だ。
日教組は警視庁に警備を要請し、承諾を得ていた。ところが、ホテルは一日の最終交渉でも「法令を守らないことになるが、企業としての判断だ。大宴会場は別の企業に貸し出した」と拒否を貫いたという。
三度出された裁判所の命令を無視してまで混乱を避けようとするホテル側のその“企業判断”は正しいのか。社会から支持が得られるとは、とても思えない。
たとえ、主義主張の違いがあったとしても、表現や思想信条、集会の自由は、民主主義社会で守らなければならない最も大切な権利だ。
周囲で右翼が騒ぐおそれがあるからといって、会場の使用を拒んでいたら、民主主義社会が崩れてしまう。法令も守らなければならない。
客側に問題がない以上、警察と協力して妨害者を排除しながら客に集会を開かせることがホテル本来の務めだ。信用とは、その積み重ねによって築かれるのではないか。
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