阪急電鉄、宝塚歌劇をつくったことで知られる小林一三(いちぞう)(一八七三〜一九五七年)という実業家にはかねてから興味を持っていた。私鉄沿線の住宅地開発、ターミナルデパート、少女だけの歌劇団。これまでにない発想で手がけた事業は次々に成功し、都市住民の新しいライフスタイルを生んだ。
実はその活躍は関西だけでなく、東京でも大きな足跡を残している。阪急電鉄での実績を買われ、第一生命を創業した矢野恒太(岡山市出身)や渋沢栄一に請われて田園調布の都市開発に参画。今日の東急電鉄の基礎を築いた。
また、経営が悪化していた東京電燈(現在の東京電力)を立て直したほか、東京宝塚劇場の開設を機に東宝を創設。日比谷、有楽町を映画館や劇場が集まる一大娯楽街にした。
これほど東京の街づくりにかかわっていたとは驚きだ。「清く、正しく、美しく」というおなじみの宝塚歌劇のモットーも、東京進出のころにできたという。一月二十五日が命日で昨年が没後五十年だった。
小林の著書「私の行き方」(PHP文庫)に、その処世訓が記されている。「生き方」でなく「行き方」とした点に、行動する経営者の思いが込められているようだ。
そして強調するのが「平凡なる日常生活の大切さ」であり、若者に「平凡な事を忠実に繰り返して、結局は非凡なる結果を挙げるように心がけて欲しい」という。
「平凡こそ非凡」と説く小林の言に、自らの「行き方」を考えさせられる。(東京支社・八木一郎)