政府の教育再生会議が、これまでの三次にわたる提言実施を促す新機関を内閣に置くよう求める最終報告を決定し、福田康夫首相に提出した。
これを受けて首相は、再生会議に代わる教育改革推進機関を設置する意向を表明した。政府は今月下旬にも有識者と関係閣僚でつくる新機関を発足させる方針だ。
再生会議が発足したのは一昨年十月である。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、教育再生をその象徴としたかった安倍晋三前首相の肝いりだった。官邸主導で安倍色の強い改革を目指す意図がうかがえた。しかし、安倍氏の退陣後は後ろ盾を失い、その存在感は急速に薄れたといえよう。最終報告で教育再生会議の役割は終えたが、尻すぼみの幕切れとなった印象はぬぐえない。
教育改革に「熱意」を見せてきたとは言い難い福田首相の姿勢を見透かすように、最終報告は「最も重要なことは、提言の実行とフォローアップだ」と強調した。
提言は総花的で具体論にまでは十分踏み込んでいない。このうち「直ちに実施に取りかかるべき事項」としては、教科化を含めた徳育の充実や、ゆとり教育の見直し、英語授業の大幅増加や九月入学の促進による大学・大学院改革など二十七項目を列挙した。しかし、徳育の教科化については文部科学相の諮問機関である中央教育審議会は消極的な姿勢を崩していない。
また「検討を開始すべき事項」では、学力向上策として小中九年制一貫校の制度化や飛び級による「六・三・三・四制」の弾力化など九項目を掲げた。戦後続いてきた教育の抜本改革を目指すものだが、論拠は不十分で先送りされた感は否めない。
ただ学校現場ではいじめや学力低下が深刻化しており、教育再生は喫緊の課題だ。首相が新機関設置を明言したのは、国民の関心の高い教育問題について、引き続き「官邸主導」で取り組む姿勢を示すことで政権浮揚につなげたい狙いもあるのだろう。
教育は国家百年の大計だけに政治的思惑から離れて知恵を出し合うことこそ求められよう。長年教育行政の方向性を示す役割を担ってきたのは中教審であり、新機関との関係がはっきりせず、その位置づけが釈然としないのも気がかりだ。
改革や見直しは大切だが、現在の教育体制を根底から変えるようなテーマについては慎重な議論を重ねる必要があろう。拙速に実行に移せば教育現場は混乱し、しわ寄せを受けるのは子どもたちであることを忘れてはなるまい。
生活保護を受けている母子家庭で、別れた夫から子どもの養育費が払われないケースが多い。厚生労働省は元夫へ徴収の働きかけを強める方針だ。
離婚などによって母子家庭が増えている。生活保護の母子家庭は二〇〇六年度で約九万世帯と、一九九五年度比で約八割の増だ。このうち元夫が養育費を支払っているのは一割程度にすぎないという。扶養能力の有無もあろうが、あまりに少ない。
保護世帯で扶養義務が履行されない場合には、自治体が費用を徴収できる。協議が調わなかったら、家庭裁判所が負担額を決めることになっている。だが、現実にはほとんど実行されていない。裁判所への申し立て手続きが煩雑で、市町村などにノウハウが蓄積されていないからという。これでは、養育費の支払いが増えるわけがない。
今回の厚労省の方針は、〇八年度に手続きを円滑に進めるための手引を作成し、市町村などに示して徴収を促すことで母子世帯の収入増と保護費の削減を図る狙いだ。具体的内容は今後検討する。
保護世帯に限らず、養育費の確保は厳しい生活を送る母子家庭にとっては重要な問題だ。元夫から養育費を受けているのは離婚母子家庭全体の二割程度と、これまた少ない。大きな原因が、養育費の取り決めをしないまま離婚するケースが多いことだ。理由としては「相手に支払う意思や能力がないと思った」「相手とかかわりたくない」など。女性側があきらめないきめ細かな支援策が欠かせない。
離婚しても子どもの養育は親の義務であり、支払えるのに拒むなどもってのほかだ。徴収強化を元夫の自覚と、未払いに甘い社会の土壌を変える契機にしたい。
(2008年2月2日掲載)