オーギュスト&ジャン
『ピクニック』撮影中のジャン・ルノワール (C) Photo CNAC/MNAM Dist. RMN - (C) Droits réservés/distributed by DNPAC |
1894年 | 9月15日、パリのモンマルトルで生まれる。 この時、父親のオーギュストは53歳。 |
1897年 | 家政婦のガブリエルに連れられ、デパートの無料上映で、初めて映画に接する。 |
1915年 | 第一次世界大戦で脚に銃撃をうけ、生涯痛みに苦しむ。 母アリーヌ、56歳で死去。 |
1916年 | この頃チャールズ・チャップリンをきっかけに映画に興味を持ち始め、特にD・W・グリフィスなどのアメリカ映画に熱中する。 |
1919年 | 父オーギュスト、78歳で死去。 |
1920年 | 父の最後のモデルを務めたアンドレ=マドレーヌ・ユシュラン(通称デデ、のちに女優としてカトリーヌ・ヘスリングと名乗る)と結婚。 |
1921年 | 息子のアランがコレットで生まれる。 妻や弟クロードらと共に、父の勧めで始めた陶器の制作を、コレットで続ける。 |
1924年 | 妻を映画に出演させるため、『カトリーヌ』(監督アルベール・デュードネ)を製作。 『水の娘』(主演カトリーヌ・ヘスリング)で初監督を務める。兄ピエールと息子アランも出演。 |
1926年 | 『女優ナナ』(主演カトリーヌ・ヘスリング) |
1931年 | 『牝犬』 |
1936年 | 『ピクニック』(主演シルヴィア・バタイユ) 『どん底』 |
1937年 |
『大いなる幻影』 『ラ・マルセイエーズ』(主演ピエール・ルノワール) |
1939年 | 『ゲームの規則』ジャン本人も出演する。 |
1940年 | 当時のパートナーであったディド・フレールと共に、大戦を逃れてアメリカに亡命。 |
1944年 | ディドと結婚。 結婚式には証人として、ガブリエルが出席する。 |
1945年 | 『南部の人』 |
1946年 | 『小間使の日記』 |
1949年 | カトリーヌ・ヘスリングとの離婚が成立。 インドで初のカラー映画となる『河』を撮影。 カリフォルニアに新居を建てる。新居には父の作品《狩姿のジャン》(本展出品)を飾り、庭にコレットのオリーブの木を植える。 |
1952年 | 兄ピエール、67歳で死去。 イタリアで『黄金の馬車』を撮影。 |
1954年 | 『フレンチ・カンカン』でフランス映画に復帰。 |
1956年 | 『恋多き女』(主演イングリッド・バーグマン) |
1959年 | ガブリエル死去。 父が晩年を過ごしたコレットを舞台に、『草の上の昼食』を撮影。 |
1962年 | 父について語った回想録『わが父ルノワール』刊行。 |
1969年 | 弟のクロード、68歳で死去。 |
1971年 | 批評家アンドレ・バザンの遺稿を、フランソワ・トリュフォーが編集し、「ジャン・ルノワール」を発行。フィルモグラフィーは、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェットといったヌーヴェル・ヴァーグの映画監督が担当。 |
1974年 | 口述筆記による自叙伝『ジャン・ルノワール自伝』を刊行。 |
1975年 | アカデミー賞の特別名誉賞を受賞。 授賞式では、イングリッド・バーグマンが代理で賞を受け取る。 |
1979年 | 2月12日、カリフォルニアの自宅にて死去。享年84歳。父と兄が眠るフランスのエソワの墓地に埋葬される。 |