地域再生と地球環境2008年01月31日 例えば、民家もまばらな房総半島の先端近い農村。今も道路工事が続けられている。新しい道路が田畑を貫き、既設の道路を横切りながら真っすぐに延びていく。山間にあるどこかの集落の人たちが車で町に出やすくなるのかもしれない。田舎には一軒で車を2台持つ家も少なくない。宅配便もすぐに届く。道路のお陰で確かに田舎の生活も便利になった。だがこれが国として目指す姿だったのか。地方の過疎化はとどまるところを知らず、ローカル鉄道は廃止され、乗り合いバスも今は無い。だから車が無ければ生活できない。これが地方の実態である。ガソリンは必需品、その価格高騰は生活を大きく圧迫する。 我が国にあっては、省庁ごとの縦割り計画の寄せ集めが国家予算である。その仕組みの中で利権誘導に汲々(きゅうきゅう)とする政治家と官僚。国全体としての目指す青写真は無く、政治のリーダーシップも無い。その結果がいかんともし難い我が国の現状である。一昔前建設省、運輸省、農林省などと呼ばれていた各省庁、これらの名前を思い浮かべるだけで「もうゴメン」と言いたくなる。 今この人たちが、暫定税率の期限切れでガソリン価格が下がればそれだけで我が国の環境への取り組み姿勢が国際的に問われる、と言っている。ガソリンが高ければ車に乗らないだろう、それが環境対策になると。原油の異常な高騰も国の立場ではありがたいということか。一方では税率を維持しその財源で車のための道路を引き続きつくるのだと言う。それが地域のためだと。いずれも庶民の生活実感と乖離(かいり)し、目指す国の姿につながるとも思えない話である。そこには相変わらず国全体の将来像が何も無い。地域再生と地球環境とを国土造りの座標軸にすえればローカル線の維持再生や、貨物輸送の貨車化など車社会の見直しそのものが一つの視点になるはずだ。(啄木鳥) PR情報バックナンバー |
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