主に中学・高校で発生する「人気のヒエラルキー」。俗に「1軍・2軍・3軍」「イケメン・フツメン・キモメン(オタク)」「A・B・C」*1等と呼ばれるグループにクラスが分断され、グループ間交流がほとんど行われなくなる現象。未だ根強い影響力を持つインドの階級制度、「カースト制度」に酷似していることから名付けられた。
→学校カースト
「スクールカースト」は、言葉の定義からして「学校」に場を限定しているが、「職場」「恋愛市場」といった環境においても(学校ほど頻著ではないにしても)「人気のヒエラルキー」は存在する。こうしたすべての「人気のヒエラルキー」に対し、「広義のスクールカースト」としてこの用語を適用する場合もある。
スクールカーストにおけるヒエラルキーは、「人気」を軸に構築される。「人気」とは、「特定の人間関係市場における、その人間の市場価値」である。中高生にとっては、「一緒にいて面白いこと」「外見的魅力に優れていること」「運動能力が高いこと」が至上の価値を持ちやすいため、スクールカースト上位層は、自然とそういった者で占められることになる。
一般にスクールカーストは、「コミュニケーション能力」を軸に構築されていると思われがちである。しかし、スクールカースト上位階層者の中には「他者をモノのように扱う自己中」「カオを武器に浮気を繰り返す」といった行動に走る者も若干名含まれており、コミュニケーションという概念ががもともと自分とは異なるカテゴリへの理解・協調・対話能力や他者(の気持ち)への想像力を包摂することを鑑みても、彼・彼女等を含めて一概に「コミュニケーション能力が高い」と言い切ることには違和感を感じる。ここはやはり、「コミュニケーション能力」ではなく「人気」により階層が形成されていると考えたほうが適切であろう。
このような「人気」に直接影響を与える能力を、ここでは「対人能力」(≒自己主張能力)と呼び、「コミュニケーション能力」(≒相互共感能力)とは区別して考えたい。
スクールカースト環境においては、下位層の人間ほど
といった理不尽な不利益に見舞われる確率が高くなる。最下層の「アチュード」に分類された者への仕打ちは熾烈を極め、彼・彼女達はもはや人間扱いすらされない。また、これら被害により間接的に引き起こされる「人間不信」「対人恐怖」「コミュニケーション機会格差」の問題も深刻で、あまりにも酷い場合は「不登校」「自主退学」「加害者への復讐」「精神病」「自殺」等に追い込まれる場合すらある。また、その後の人生においても人間関係に対するトラウマのために、仕事や恋愛に大きな影響を与える場合もある。この問題は、教育界でも問題視されているが、若者社会内部の問題であるため指導が難しく、未だ有効な解決策は見出されていないのが現状である。
余談だが、1999年にアメリカで起きた「コロンバイン高校銃乱射事件」は、スクールカースト被害者のルサンチマンが爆発したものであったとする説もある。
スクールカーストのヒエラルキーは、新クラス編成後はじめの1ヶ月でほぼ固定され、よほどのことが無い限り、序列が変化することはない。このためこの年代の学生は、「クラス換え」「進学」といった節目節目に、「中学デビュー」「高校デビュー」「大学デビュー」(短期的視点からみると「夏休み明けデビュー」もある)を試み、次の環境で少しでも上位階層に身を置こうとする。「デビュー」の際に払われる努力はあまりにも過剰であり、学校という場の非常に強力な同調圧力が伺える。
「キャラ強制圧力」とは、クラス全員が作り上げる「場の期待感」が、個人に特定のキャラを演じる圧力となって働き、そこからの逸脱を許さない「空気」を作り上げるという現象である。これにより、「友人とキャラが被る恐怖」「自分に割り振られたキャラに納得できない」といった問題が発生することとなり、個人に強いストレスとして作用する。この圧力により、個人は容易に「キャラ換え」することが困難になり、スクールカースト階層は、より一層固定化されたものとなっていく。
オタクが人気者になれない理由
ジョック - Wikipedia
純粋なココロ 2.0 - 愛と青春と幻想のスクールカーストMAP
純粋なココロ - コミュニケーション能力の義務教育化について考えた(1)
オタク専門学校3 間違った盛装
MegaroGolith2004 仁義無き同窓会〜凶気の桜
白田秀彰の「インターネットの法と慣習」 第20回 意思主義とネット人格・キャラ選択時代 : Hotwired
目に映る21世紀: <新しい社会運動>の可能性:(4)試案・ほんとうに<あたらしい>社会運動とは何だろうか? ――自尊心とコミュニケーションの(経済)格差を超えて――(前編)
若者の包括的な自立支援方策に関する検討会(第7回) 参考 これまでの議論の整理
[ II−2 問題状況、背景、原因(特にいわゆるニート、ひきこもりの問題について) ] 最近の若者の間では、対人評価の軸がコミュニケーション能力の高低という軸に単純化しており、特に思春期以降の若者には、コミュニケーション能力の不足からダメージを受けたり、コミュニケーションの輪から外れることへの過剰な恐怖感を感じたりする者が多いのではないか。この背景には、社会全体がコミュニケーション能力を重視しすぎているということもあるのではないか。
[ II−2 問題状況、背景、原因(特にいわゆるニート、ひきこもりの問題について) ]
(キーワード編集者注:ここでいう『コミュニケーション能力』とは、このキーワード中で言い換えた『対人能力』のことだと思われる)
*1:http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20041002#p2参照