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一汁一菜と言ったのに肉や魚、江戸時代の官官接待が判明

2008年01月28日

 江戸時代に全国の大名の動きを監視するため幕府が派遣した「巡見使(じゅんけんし)」への鳥取藩の接待について詳しく記した古文書約70点が、鳥取県智頭(ちづ)町にある当時の大庄屋(おおじょうや)の屋敷で見つかった。同町教委が28日、発表した。「官官接待」の様子が赤裸々に浮かび上がり、藩側の気苦労が伝わってくる。(徳永悠)

写真石谷家住宅で見つかった「御巡見様御用御窺帳」。巡見使が升について尋ねた場合の答えについては、「面談可申入事」(相談に来なさい)と指示が書き込んである

 大庄屋は鳥取藩の命令で接待にあたった。その屋敷の国登録有形文化財「石谷家(いしたにけ)住宅」で昨年、当地で9回接待したうちの5回分の史料が見つかった。

 このうち1761(宝暦11)年の巡見使(約110人)について詳細な記録が残っていた。

 「御巡見様御用御窺(うかがい)帳」は、「三殿(さんとの)」と呼ばれた正使と副使2人を、地元の村の代表が案内する際の想定問答集。大庄屋が事前につくって藩に提出、藩側は模範回答などを朱文字で書き込んで送り返していた。

 それによると、入牢人(じゅろうにん)(囚人)の有無を聞かれたときは、治安の良さをアピールするため「いない」と答えることにしていた。米を量る升についての質問では、藩内で幕府規定の升を使っていなかったため、「(事前に)相談に来なさい」と藩が大庄屋に指示する書き込みがあった。

 また、大庄屋が接待の仕方を調べるため、隣の津山藩(現在の岡山県津山市など)に送った使者の報告書には、津山藩が同じ巡見使に出した食事の献立が書かれていた。役職別に朝、晩、夜食の計7食分が記され、幕府は「一汁一菜」でよいとしていたのに、タイやクラゲなどの刺し身のほか肉料理、煮物なども出していたことがわかった。

 智頭町誌編さん専門員の村尾康礼さんは「視察を前に、ぴりぴりした藩側の心境が伝わってくる」。東京大学史料編纂(へんさん)所の山本博文教授(日本近世史)は「献立の内容がわかったのは珍しい。藩の下請けで接待を担った大庄屋の動きが具体的に分かる貴重な発見だ」と話す。

 古文書は2月1〜29日(水曜休館)に石谷家住宅(0858・75・3500)で公開される。

      ◇

《津山藩で巡見使の正使、副使に晩に出された献立(抜粋)》

刺し身(タイ、ヤマメ)

御汁(タイ、シイタケ、青昆布)

御香物(奈良漬け、ナス、タクアン)

おひたし(ミツバ)

平皿(煮物、ボラ、肉、クワイなど)

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