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2008年1月30日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか?(3)

司法制度改革審議会が、平成1288日に司法試験合格者数3000人を事実上決定するにあたり、大きなターニングポイントとなったのは、同年2月、中坊公平委員が発表した「フランス並みの法曹人口56万人を目指す」という私案であった。

今回の日弁連会長候補である高山俊吉弁護士は、この点をとらえ、「3000人は中坊が勝手にやったこと。当時の久保井一匡日弁連会長は、恥知らずにもこれを追認した」と主張している。果たしてそうだろうか。

元日弁連会長である中坊公平委員は、当時日弁連の事実上の代表として司法制度改革審議会に出席している。子どもじゃあるまいし、日弁連執行部に無断で勝手に「私案」を発表したとは考えられない。また、司法制度改革審議会が3000を事実上決定した直後に、久保井日弁連会長がその受入を表明していることからしても、中坊公平委員が当時の日弁連執行部に無断で行動したとは考えられない。中坊公平委員の私案→年間3000人の合格者→久保井日弁連会長の受入表明→日弁連総会で承認という一連の流れは、中坊公平委員と当時の日弁連執行部の連係プレーと見るべきであろう。

そこで問題は、なぜ、当時の日弁連執行部が、3000人受入に繋がる一連の行動を取ったのか、という点になる。何しろ当時、日弁連の公式見解は1000人堅持であった。したがって、この一連の行動は、これに反対する弁護士から「裏切り」と非難されかねない部分を含んでいる。(小林)

「日弁連はなぜ負けたのか?(1)~(8)」は小林正啓の個人的見解であり、日弁連会長候補者及びその選挙事務所の意見とは一切関係ありません。

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