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2008年1月31日 (木)

News & letters 57

奇妙な裁判の第1段階(第一審)終結について

昨日私が原告の名誉毀損損害賠償の裁判の第一審の判決が出たので、まだ判決文を見ていないが論評をする。
この裁判は被告の町会議員田島毅三夫を相手にはしているが、実質的には裁判所が開いてである。
被告は反論らしい反論は何もしていない。
相手は最初から裁判所であった。裁判所が議員活動を公権力の行使であり、国家賠償法の適用がある、だから国家賠償法でやれという間違った理論を前面に出してきたので、裁判所対原告という構図となった。だから、はじめから判決文の内容はわかっていた。


国家賠償法でやれば、この名誉毀損事件で勝つ方法とすれば、私の方ではごく簡単なものであった。
私が町長を相手に公務員(特別公務員)によって名誉を毀損されたので賠償せよ、と言う訴えを起こし、東洋町長の代理人を立てて、その訴えをその通りです、と認めたら、それで終わる。東洋町は加害者に損害賠償を求めることが出来る。

しかし、私としては、そのようなやり方は好ましくないし、フェアーではないと思うのでそうしなかった。

そして何よりも、議員の発言など議員の活動を「公権力の行使」であるとして、国賠法の適用を認めてきた裁判所の論理が許せないのである。
これは、公権力の行使の概念を完全に誤解したもので、モンテスキューの三権分立に遡って、憲法の趣旨(議会と行政の違い)にいたるまで、まるで近代の法や権力についての学説を無視したものである。結論から言えば、議員の身分に付属する権限の行使(議会での質問権、立法権)と法の運用による公権力、しかもその行使とを同列視する謬論なのである。立法権は、権力とそれを規制する法体系の形成に関わる権力であって、その権力を行使する行政権力とは峻別されねばならない。これは、モンテスキュー『法の精神』以来の三権分立の大原則なのだ。
国賠法で言う「公権力の行使」というのはまさに行政権力の行使のことなのであって、議員にはあずかり知れぬ世界のことなのである。
議員に公権力の行使が認められるとしたら三権分立はその根底から崩壊し、現憲法は言うもがなおよそ近代の憲法の精神は消滅するであろう。

このような教科書段階のレベルの理論闘争がかかった裁判所を相手にした裁判であるので、私としては簡便な方法による勝利を望まない。

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