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一二月

 一日 本日から冬季日課。〇六〇〇起床、乾布摩擦、朝晩は軍装  着用。

 四日 寒気増し、短艇に薄氷張る。凍りついた櫂を握り緊めて漕ぎ出すときの冷たさ

 六日 比島沖海戦から帰還された石田恒夫主計少佐(元本校教官、  前大和主計長、現第二艦隊副官)の講話あり。「同海戦におけ  る三四期生の活躍ぶり。生徒は先輩に負けぬ士官たるべく努力  せよ」と。

  七日 被服点検あり。

一〇日S 本日から外出二直制となり、当直は午前中のみ、非直は  区域制限なしとなる。

一一日 本日から温習時間中外套の着用許可。

一三日 前夜来就寝中二度も起床。警報対応の影響で、この頃から

  〇七〇〇起床が常態となる。

一四日 風冷たく非常に寒し。あかぎれや霜焼けで甲板掃除、衣類の洗濯など辛い。

二一日 某生徒の記録に「初めて号令なしに巡検用意を許され真に  嬉しかりき」との記述あり。入校式の夜以来、巡検前後の寝室  では一号生徒から厳しく仕込まれるひとときで、勝手に着替え  て寝床に入ることは許されなかったのである。

二三日 午後、分隊対抗短艇競技。

二五日S 大正天皇祭。〇二三〇〜〇五〇〇警報退避。  

二六日 数学考査あり。

   温習後半一号生徒全員による道場ストーム。「貴様ら最近  緊張の弛みが甚だしい。今夜は徹底的に鍛え直してやるから覚  悟しろ」……この夜何十発喰らったか知れず。

二七日 午後長時間空襲退避、敵数編隊襲来、B二九が一機海中に撃墜されるを目撃す。

二八日 退避中壕内で熟睡練習、夜は防空服装のまま就寝。

二九日 本日をもって今年の授業終了。 銃器点検あり。

三〇日〜一月六日 年末年始特別日課

三〇日 〇六〇〇〜〇七〇〇大掃除(温習室)。

    〇八〇〇〜一一三〇特別大掃除 一三〇〇校内点検。

三一日 〇七四五外出。

昭和二〇年一月

一日 四方拝。夜半および未明戦闘用意。〇六〇〇起床、軍歌、  吟詠。〇七二〇食堂にて雑煮、冷たく固い餅。〇八〇〇軍艦旗掲揚、遥拝式、御写真奉拝。一〇〇〇食事、外出。

 二日〜四日 課題研究作業「大東亜戦争の史的考察」

 二日 分隊対抗野球決勝。

 三日 元始祭。松本幸四郎一座歌舞伎鑑賞。演目は「戻り橋」、「菅原伝授手習鑑」、「乗合船」。午後、倶楽部にて分隊会(一部)。おはぎ他菓子豊富。(二部は四日)

   三号のネームプレート左胸に着け替え(これまで右胸)。一応、一人前ということか。

 五日 課題研究発表会。 

 六日 〇九五〇軍艦旗掲揚、軍容査閲、始業式。

    一三〇〇訓育始め:部対抗短艇競技・棒倒し。  

七日S〜一八日 厳冬訓練:(連日警報対応のなかで日程を      こなす。「なし」は、就寝中警報の影響による中止。)

   一部:七日武道  八日駆足  九日武道 一〇日短艇

    一一日なし 一二日なし 一三日武道 一四日短艇

    一五日武道 一六日駆足 一七日武道 一八日短艇

  二部:七日駆足  八日武道  九日短艇 一〇日武道

    一一日なし 一二日なし 一三日短艇 一四日武道

    一五日駆足 一六日武道 一七日短艇 一八日武道 

 九日 午後 敵編隊来襲、わが荒鷲の体当たり攻撃の崇高な姿を  目の当たりにす。

一一日 敵遂にルソン島に上陸の報道あり。

一三日 一二一五総員集合、同期生の不祥事件発覚、関連の所持品検査。一五四〇〜一七一五道場に正座して指導官訓話(不祥事件につき)。 

一四日S 倶楽部にて三七期最初の学年会(当直は午前、非直は午  後)。

一五日 〇九〇〇卒業普通科練習生見送り。

  一八〇〇懲罰免生処分発表。「三号はいつも空腹」の試練に耐えかねた悲劇。

一九日 午後 分隊対抗武道競技。

二〇日 午後 剣柔道大会、三船久蔵九段(柔道)、中山博道師範(剣道)の模範演技に感嘆す。

 

垂水への移転

一月一〇日 昼 当直監事から、「生徒隊は二月上旬、神戸市垂水へ移転」の旨達しあり。

二〇日 生徒隊垂水移転に関し校長訓示、「安全な環境での教育継続が至上命題」と。

二二日 本日をもって東京での授業は一応終了。訓育時短艇、品川  を去る名残に学校敷地九号埋立地を一周(一部)。

  明日以降、移転関連特別日課となる。

二三日 横須賀方面見学(一部)。移転準備作業(二部)。

  記念艦三笠見学。

  横須賀鎮守府に伺候、長官塚原二四三中将の訓示を受く。

  海軍工廠:工廠長・会計部長訓示。薄暗い工場で塵埃にまみれ  て敢闘する少年工の姿が胸を打つ。

  渋谷部隊:比島沖海戦で中破し凄悽な姿の戦艦長門を見学、   渋谷艦長の訓示に感銘。

  横須賀航空隊:司令官加藤少将訓示、隊内にて昼食、大型爆撃  機「連山」その他研究中、試験中の新鋭機多数あり。

二四日 移転準備作業(一部)。横須賀方面見学(二部)。

二五日〜二八日 寒風のなか、移転荷物を品川駅へ搬出せるも、鉄  道不通その他の理由により一旦持ち帰って開梱するなど、予定  通りに進捗せず。その間に、

短艇を出し築地分校まで遠漕、  

 品川第一衣糧廠見学、                 

臨時外出(空襲による交通機関混乱のため帰校遅刻者多数を出すも情状酌量さる)、等のことあり。

二九日 移転式。午前、積込作業。午後、宮城にお別れ言上のためB班外出。(A班は三〇日)。大内山の松の緑を仰ぎ、丸の内のビル街を眺めて、帝都の健在を祈ること切なり。

三〇日 午前中で毛布等の積み込み完了。 午後入浴、身回り整理。

  一七五〇御写真奉送。

  一八〇〇残存職員・定員分隊・練習生隊に見送られて出発。   品川校は、我々にとって生徒生活の原点であるだけに感慨  一入。 一九一二品川発車、冷え込む夜汽車で西下。

三一日 一三一〇垂水着、直ちに丘上の校舎に入る。淡路島を望む   風光明媚の地。兵庫県立・神戸経済専門学校[現神戸商科大学]、  同神戸第四中学校、同神戸第一商業学校(この二校は現在星陵  高等学校)の校舎を借用(現神戸市垂水区星陵台四丁目)。

  教室の板敷きに畳を敷いて寝る。夜電灯なし。

二月

 一日 起床時から軍装、〇八〇〇軍艦旗掲揚、宮城遥拝、御紋章  奉掲式。                                       

  開校式、校長訓示「一、落着いて勉学に励むべし。二、全てに  海軍生徒の意気を示すべし。三、校舎設備を愛護すべし」    総員で垂水駅南側の「海神社」に参拝。

 一日〜六日 校舎整備作業。 便所・洗面所不備、生活用水の出  悪し。当初は食事も温習室でとり、その間配食・食器洗い全て  三号がなす。当地は東京にも増して寒し。そのうえ当地でも毎  夜警報発令。

 四日S 垂水で初の外出、外套着けず山野跋渉。警報で帰校、

  頭上をB二九編隊数十機通過。

  (外出区域は四月に至るまで当時の須磨区に限定さる)。 

  藁布団入り、寝心地多少良くなる。

 七日 雪。三号総員講堂にて授業開始。

  比島の戦局重大危機に瀕し、マニラでは市街戦展開、を知る。

一〇日 大掃除、校内点検、十日ぶりでバス。

一二日 本日から班別の授業となり落ち着く。

 

春待つ 三号後期

二月八日 朝、雪合戦。

  このあと早朝行事、三月末までに次の通り実施された。 

  二・一七大掃除、二・二一校外駆足、二・二二軍歌、二・二三生徒呼集・駆足、三・三大掃除、三・九騎馬戦、三・一六陸戦隊用意・校外駆足、三・一九生徒呼集:軍歌(一部)陸戦隊用意・校外駆足(二部)、 三・二〇陸戦隊用意・校外駆足(一部)軍歌(二部)、三・二一、三・二二両日生徒呼集・棒倒し、三・二四大掃除。                  

一〇日 訓育時、泥濘の坂道五キロの駆足個人競走(一部……二部は一三日)                     

一一日S 紀元節。昼食に赤飯、牛肉、奈良漬、紅白饅頭、蜜柑が出て大ご馳走。

  一二一〇外出員整列。塩屋の旧ジェームス邸を倶楽部「養正  館」として設営しあり(一・二・三号共用)。

  三号で外出の帰校時刻を切った者あり。同期生として連帯責任  なりと全員制裁を受け、そのうえ夜の校庭で散々駆け足をさせられる。

一二日 移転以来寒さと粗食のせいか我々三号の些かいじけた言動につき、当直監事、甲板士官、一号生徒から屈辱的叱言を浴びせられる。 

一三日 生徒懲戒申し渡し(一一日の件・禁足二週間)。

  夜 佐藤指導官訓話:「昨日のことで自信を失うな」と愛情籠  もる激励をされ、軍歌「軍人勅諭」を歌わせて一同を元気づけ  られる。

一四日 木村忠雄主計大尉着任披露。(以後教官の異動多くなる  三月末まで一括記載)。

  二・一六山田渉主計大佐着任、二・二〇置塩頴軍医長退庁、

  二・二二石川徹文官教官着任、二・二四萬袋潔副官退庁、

  二・二八山口卯三郎少佐以下三官着任、三・五青木主計大尉以  下三官着任、三・八中村軍医少佐・塩沢技術大尉以下着任、    三・一四小谷太郎・杉山績・岡本圭次郎・吉川英夫・上田修一郎各教官退庁(橿原分校へ)、三・一六頃槙原秀夫主計中尉着任、   三・二六井手弘教官退庁、三・三一松枝美久・石川昌・角田誠  各教官退庁。

一五日 夜 映画「日本ニュース」、「熱風」。

  以後、二・二三「日本ニュース」、「フクチャン潜水艦」、「怒りの海」、三・三「馬」、三・二四「ラバウル航空隊」、「土俵祭」。

一六日 夜 生徒呼集。「敵機動部隊本土に接近、艦載機関東地区を  銃爆撃」の報道あり。

一九日 この週、部外教授(経済学舞出・岸本、民法我妻・吾妻)東京から出張され集中講義。

二一日 銃器点検あり。 敵遂に硫黄島に上陸す。

二四日 一三二〇軍艦旗掲揚、一三三〇〜一六〇〇分隊点検……

  …眼を動かさず、気迫を籠めて、極度の緊張。

二五日S 午前 吹雪を衝き兎狩り。戦果なし?

二六日 日課の一部改正。この日からカバン(糧嚢)を肩に掛けて  課業整列、昼の裸体操復活。  寝室にチェストを入れる、五人  に一個。

 

三月

 一日 本日から外套、手袋着用せず。夕、総員体重秤量。

 二日 佐藤教官による軍制、一通り終わる。

  (以後三月末までに次の通り授業内容の変更あり。)

  三・九 舛田教官・経済史、吉川技術中尉・力学 開講。

  三・一三 上田教官の歴史、蜷川教官に替わる。

  三・一四 吉川教官の数学終了、二二日から蔵田技術大尉。

  三・二六 角田技術大尉の無機化学終了、四月七日から後藤  技術中尉による有機化学。

 二日 学年訓育・石井指導官訓話、「軍紀厳正とは為すべきことを積極果敢に為し、為すべからざることは寸毫も為さざること、  に尽きる」と。

 三日 午後、明石で短艇訓練、一カ月半ぶりに櫂を握る。(一部  ……二部は一〇日)

  父兄に学校から通知。「当分の間面会は校の内外を問わず禁止、  大愛を以て諒承されたき旨」各分隊監事名。

 四日S 先週外出で再び遅刻者を出したため、三号全員謹慎して外出を遠慮。午前:随意温習、午後:学年会。「三号は寒さや粗食や不祥事にめげず、明朗にやっていこう」と決議。その後、体操。

 七日 物理考査あり。

一一日S 三号のみ外出(二号生徒乗馬訓練、一号生徒は明日からの卒業試験準備)。

一三日 桑原教頭訓話、「帝都大空襲被害につき」。

  夜半、空襲、垂水で初めて総員退避。

一七日 未明、神戸大空襲。夜空を焦がす惨烈な光景を目の当たり  にす。

二〇日 一三三〇剣柔道進級申渡式。

  一八一五〜二一一五石井指導官訓話:我々の自覚を促し、生徒  の心掛け「稚心を去れ、以下三十七カ条」を示して懇々と諭さ  る。

二一日S 春季皇霊祭。現分隊最後の分隊行軍、飯盒炊爨。

二二日 一号生徒送別棒倒し。送別連合茶話会。

二三日 第二回数学考査。一号生徒伊勢参宮のため不在。

二四日 訓育時、体操徒手・鉄棒検定。

  井上隊監事訓話、「気品と理想と抱負を以て進め。食べもののことなどに執着する勿れ」と。

二六日 一号生徒の赴任先発表。

  送別試合 野球:教官対一号生徒、蹴球:一号対二・三号

二八日 夜、新分隊編成発表。 三二個分隊の体制となり、各八個  分隊ずつ第一部〜第四部と称す。

二九日 特別大掃除、校内点検、卒業式及び見送り建て付け。高野先生の軍刀術講話。一九〇〇〜分隊会、随意就寝。

三〇日 軍艦旗掲揚 〇九二〇第三五期生徒卒業申渡式。恩賜は   杉山盛雄・坂本克郎両生徒。

  一一〇〇昼食祝膳。一三〇〇新候補生出発見送り、感激的な 「帽振れ」この半年日夜殴られ叱咤されながらも、ここまで  育ててくれた一号生徒に対する惜別の感極まり、涙滂沱。

  一四〇〇分隊編成替え、伍長・伍長補任命、分隊移転。

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