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2005.03.09

東京大空襲より重慶が心配な毎日新聞

一九百四五年三月十日に東京大空襲が行われた。米軍による、非戦闘員である老人・女子・子供など、一般人を巻き込んだ無差別攻撃であり、一晩で10万人以上の死者が出た。六十年の節目を迎える今年も、各地で様々な追悼集会が予定されている。拙ブログも戦死された犠牲者の方々に、深い追悼の意を捧げたい。

そのような中、毎日新聞の「近事片々」というコラムで、米軍の行いを非難するという形をとりながら、日本人に日中戦争の行いに対して反省を求める、とも取れる一文が紹介された。

近事片々:東京大空襲

10日で東京大空襲60年だ。朝刊で、米軍事史家はB29の焼夷弾(しょういだん)爆撃は軍事的には無益でも、事実として戦争終結に寄与したと言う。また、その後の軍事技術の進歩で、米軍は人命尊重の対象を「自国民」「敵の非戦闘員」「敵の戦闘員」の順で広げてきたという。

大空襲当時、米側には米国民の犠牲最小化という実務的な懸念が主で、被災者の死傷など倫理問題は中心になかったという。今も昔も戦争は生き残り最優先が絶対か。

広島・長崎に米側の反応が鈍い理由だ。最初の無差別空爆は日本の重慶(中国)空爆だと言うかも。人は被害を嘆くが、加害は忘れたい。平和の条件作りは歴史の不断の反省と全体感を求める。(毎日新聞 2005年3月9日 13時33分)

まず、日本の新聞社であるのなら、素直に心より自国民の犠牲者の方々への追悼の意を述べてもらいたい。戦争の事実は当時の機密文書の公開や、当事者の懐述などで明らかになりつつある。まして、歴史認識が大きく歪められている我が日本国において、発表する記事には慎重に慎重を重ねてもらいたい。

そして、冒頭に書いたように、この記事は米軍の行いを責めているようでありながら、日本の中国への謝罪を強く求めている文章だと感じる。それは、引用文中で強調文字にした「最初の無差別攻撃は~不断の反省と全体感を求める」の部分に現れていると思う。

不断の反省:
中国(韓国もだが)から、何度同じ、かつ理不尽な謝罪を求められても反省し続けろ、ということか。

全体感を求める:
上記の反省に異を唱えるなと言うことか。

歴史を学ぶ、とは教育の重要な過程であり、日本国に生きてゆく為にも重要な行いである。それだけに、正しい歴史認識の下、勉強する必要がある。既存メディアに、どうしても認識して欲しいことがある。それは、私の(我々の)祖父母、先祖は残酷な人殺しでは絶対無いし、悪辣な(性)犯罪者でも絶対に無いということだ。

最後に、重慶の爆撃について参考リンクを付けておく。

重慶爆撃:Web正論
日本軍による重慶爆撃について、具体的なことをお教え頂きたいのです。

ウォーバード
重慶爆撃:War Birds

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