2007年03月22日

東京大空襲訴訟

http://www.saitama-np.co.jp/sakitama/2007/03/0311.html
埼玉新聞2007年3月11日付 さきたま抄米軍機による東京大空襲は六十二年前の、きのう未明だった。東京の下町を中心に十万人以上が死亡、二十七万の家屋が焼失した▼この空襲を長く人々の記憶にとどめようとしてきた作家早乙女勝元さんが著作の中で紹介した一節が忘れられない。焼夷(しょうい)弾で夜空が赤く染まり、近所の人が亡くなったり逃げ惑ったりする地獄図の中で、父親が少年の早乙女さんに「勝元、よく見ておけ。これが戦争というものだ」と強い口調で語ったという▼戦争で死ぬことが「お国のため」とされた時代である。早乙女氏の父親は、目前の空襲で、戦争が戦地も銃後も無関係に、いかに多数の一般の市民まで巻き添えにするものかをわが子に伝えたのだ▼その六十二年前の空襲で親や兄弟を失った被災者たちが九日、国に損害賠償や謝罪を求めて集団提訴した。原告は県内にも七人。国に求めた賠償額は一人平均千百万円である▼戦災孤児などとして過ごした六十二年間にはとても見合う額とはいえないが、高齢になった被災者が、人生にけじめをつけようとするような決意で、救済を忘れた、あるいは知らなかったようなふりをした国に責任を求めずにはいられなかったかは、よく分かる▼今回の提訴はまた、今も戦闘が続くイラクなどの被災者が、やはり数十年にわたって苦しむであろうことを知らせたに違いない。

− 2007年3月11日付本紙
posted by milou at 19:38| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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