時の焦点
「東京大空襲」原告提訴
去る三月九日、「東京大空襲訴訟原告団」(一一二名)が、「戦争の後始末をきちんとせよ」と国の謝罪と補償を要求して東京地裁に提訴しました。
六十余年前の戦争末期、東京は米軍のB29や小型機の連日の猛爆で壊滅状態でした。特に三月十日の「下町大空襲」は、烈風下の「焼き尽くし爆撃」で二時間半で十万人以上が殺され、百万人以上が家を失い、親・家族を失った「戦災孤児」の苦難の道が始まりました。
戦後、日本政府は軍人・軍属には国家補償をおこったものの、これら民間人の空襲犠牲者には「国との雇用関係にない」、「犠牲者は…等しく受忍せよ」と一顧だに与えていません。犠牲者の氏名はおろか死者の数の調査さえもやっていません。それどころか、一九六四年にはこれらの無差別爆撃の指揮官カーチス・ルメーに「航空自衛隊の育成に尽力した」と勲一等旭日大授章まで授与しています。
裁判所への提訴の前夜墨田区内で開かれた、この「訴訟を支援する集い」には多数の参加者が集い感動的な集会となりました。被団協の代表が「よくぞ立ち上がって下さいました」と感激して連帯共闘の決意を述べ、前田哲男氏らからは、日中戦争中の数年間にわたる日本軍の重慶爆撃(裁判開始)で五万人以上の犠牲者を出した加害責任と、近代戦での都市爆撃の非人道性が明らかにされました。
原告団は平均年齢74歳。最高齢88歳。「人生最後のチャンスとして、法の下での平等、人間の尊厳を守る」決意を披瀝します。
戦争末期の大空襲は大阪・名古屋・神戸・横浜等の大都市から、地方の中小都市にも及び、徹底的な破壊がなされました。
いま、侵略戦争を美化し、憲法改悪、「戦争への道」をひた走る安倍内閣の下で、謝罪と補償を求め、空襲の実相を広めようと、これらの原告たちがたち上がったことはきわめて大きな意義をもっています。(巽)
2007年4月15日 『不屈』 中央版 №394