北海道経済 今月の視点【2007年06月号】旭川青年大学、25年間の軌跡

今月視点

【2007年06月号】 西田 勲

旭川青年大学、25年間の軌跡

私事で恐縮だが、4月9日から病気で入院している。以来、多くの人たちに励まされつつ、リハビリに取り組んでいる。残念なのは、私が理事長を務めている旭川青年大学が4月26日に開いた今年度の開講式を、発足以来25年間で初めて欠席したということだ。開講式は滞りなく行われ、その後、女優・小山明子さんに夫で映画監督の大島渚さんの介護の体験についてご講演いただいた。

旭川青年大学とは、社会の各界で活躍する方々を旭川にお招きして、お話を聞く会で、旭川市民文化会館で毎月一度講座を開いている。今年もおかげさまで定員1600人の募集を完了している。

講演内容の抜粋は毎月のように本誌にも掲載しているが、ナマの声には文字では伝えきれない力がある。講師の表情、身振り、息づかいなどを目の当たりするためか、講演内容は長い歳月が流れたあとも記憶に深く刻まれているものだ。

思えば、当時旭川しんきんの旭川東支店長だった池田勝美さんの「私の故郷・深川は小さな街なのに市民大学がある。旭川ならもっと立派なものができるはず」という一言がなければ、旭川青年大学も生まれなかった。そのころは私もまだ40代。旭川青年会議所の仲間だった大谷博さんや山田洋さんに声をかけて、張り切って準備に着手、学長は当時、旭川商工会議所会頭だった小檜山亨さんに引き受けていただき、開校が決まった。小檜山さんに「うまく行かなかったらどうする」と問われて、思わず「私が責任をとります」と答えたのを今も覚えている。とはいえ当初はなかなか学生が集まらず、運営委員に学生募集のノルマを課し、グラフに書いて達成率を競わせたこともあった。

第1回の講座は1983(昭和58)年の4月1日。講師はNHK解説委員の家城啓一郎さんと俳人の楠本憲吉さん。以来、小山明子さんに至るまで延べ300人の講師にご登場いただいた。これまでに受講した学生は延べ32万人を超える。

そのころは市民大学のブームだった。深川のほか全道各地で同じような組織が作られ、全道的なネットワークもできたのだが、その後ほかのまちでは会員減や財政難を理由に次々と活動を休止してしまった。旭川青年大学だけがいまも存続しているのは、毎回多くの学生さんが足を運んでくれることに加え、歴代の運営委員長や事務局を預かる今泉美幸さんを中心に、私利私欲のない多くのボランティアが活動を支えてくれているおかげだ。開校から現在に至るまで旭川市が毎年補助金を支給してくれていることも、大きな助けになっている。

うれしいのは、この25年間、多くの学生のみなさんに喜びや励まし、刺激を与え続けることができたということだ。体の障害や病気のために意気消沈していたある学生さんは、医師・鎌田實さんの「がんばらないけど、あきらめない」という講演を聞いて以来、人生の見方が変わり、体の調子も良くなったという。著名人の話を一緒に聞くことで、家庭での会話が増えたという夫婦・親子の会員も多い。

これまで危機と言えるようなものはひとつもなかった青年大学だが、課題をひとつ挙げるとすれば若返りだろう。当初は文字通り「青年」だった学生もいまやシルバー世代が中心になった。今後は電子メディアに慣れ親しんだ若い世代にももっと加わってもらい、「ナマの声」の力強いメッセージを受け取って欲しいと願っている。

もちろん、私を含むシルバー世代にとっても、「ナマの声」は知的な刺激に富んでいる。ウルマンの「青春」という詩に、こんな言葉がある。「青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方をいう」「60歳であろうと16歳であろうと人の胸には驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心・人生への興味の歓喜がある」

これからも旭川青年大学で「青年の心」を持ち続けたいと思う。