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日本 人権 NA_テーマ2
元特捜検事の田中森一さんが語る〜「調書はいかにして作成されるか」
2008/01/30
講師の田中森一さん
 1月27日(日)午後3時よりカトリック清瀬教会(東京都清瀬市)で、弁護士・元東京地検特捜部検事の田中森一さんによる「調書はいかにして作成されるか」と題する公開学習会がありました。以下にその内容の要旨を報告します。主催は、無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会。共催は、カトリック東京教区正義と平和委員会。

◇ ◇ ◇


袴田巌さんの苦しみは想像を絶するものがある

 弁護士となってから2000年に石橋産業事件をめぐる詐欺容疑で東京地検に逮捕され、自らも刑事被告人として小菅の東京拘置所に350日入っていたことがある田中さん(事件は現在、最高裁に上告中)。1年だけでも大変だったのに、同じ東京拘置所に30年も40年も入れられている袴田さんの苦しみは想像を絶するものがある、と語りました。

 田中さんが袴田事件にはじめて接したのは、まだ検事をやっていたときだったそうですが、「チャンは人を殺していない」と袴田さんが息子さんに書いた手紙や、袴田さんが自白したとされる調書の問題点などを指摘した上で、自分も同じ立場になってみて、袴田さんを出してあげたいという支援者のみなさんの気持ちがひしひしと伝わってきたと述べ、喜んでこの場にきました、と語りました。

 また、袴田さんを裁いた元裁判官の熊本典道さんが、無罪の心証をもっていたことを明らかにしたことに対し、「胸を打たれた」と述べ、妻や子の顔を思い出さないことはあっても、袴田さんが死刑判決を受けたときの顔は1日も忘れたことはないと熊本さんが語ったことに触れ、田中さんは自分の場合は手錠をかけられ、公のもとにさらされて恥辱を受けただけであるが、袴田さんの場合は命がかかっていることを考えると、死刑判決を受けたときの表情は裁判官が1日も忘れないような、どんな役者の演技も及ばない、袴田さんしかできない顔があったはずだと語り、私で役にたつことがあれば少しでも役に立ちたい、との思いを吐露しました。

人を死刑台に送ることもできる調書とはなにか

 人を死刑台に送ることもできる調書について、田中さんは次のように述べました。「調書をつくるのは警察や検事。被疑者の話を聞いた人が調書を書く。国策捜査と言われている佐藤優さん、鈴木宗男さん、参院のドンと言われた村上正邦さん、日歯連1億円ヤミ献金の村岡兼造さん、福島県知事の佐藤栄佐久さん、ホリエモン、村上ファンドの村上世彰氏などが異口同音に裁判で調書と違うことを言っている。警察や検察がつくった調書が証拠とされているのは、調書に関する法律の考え方に問題があるからだ」

 田中さんによれば、日本の法律は、日本人は人前で本当のことを言わない、密室で本当のことを言うという考え方が根底にあり、裁判官の前で言ったことと警察の前で言ったことが違う場合、調べの段階で言ったことが本当のことになる、と語りました。ここがほかの国と違うところであり、ほかの国の場合は宣誓したら本当のことをしゃべったとされるが、日本の場合は違うのだそうです。

なにをもって任意とするかは裁判官によって違う

 取調べでしゃべったことが任意であれば証拠となるが、なにをもって任意とするかは裁判官によって違うと述べ、袴田さんの場合、20日間の取調べのあと「お手数をかけました。私がやりました」と言ったとされているが、拷問のような取調べが20日間も続いたらふつうは半狂乱になって冷静な言葉は出てこない、と調書の任意性について強い疑念があることを明らかにしながら、捜査官に対し任意でしゃべったかどうかがポイントである、と語りました。

 参考人の場合も、裁判所で言ったことより警察や検察で言ったことに信用性があることを証明すれば証拠となるので、検事によってつくられた調書を裁判で覆すのは大変であると語りました。調書をつくるとき、検事はテクニックを用いてあとで覆すことのできない調書をつくるそうです。大半はちゃんとした調書を書いているが中には違うことを書いていることがあり、それが冤罪事件になっていると述べ、「人を裁く以上、1つでも間違いがあってはいけないが、志布志事件でも明らかなように、それが今日でもまかり通っている」と状況が変わっていないことを厳しく批判しました。

 調書をつくったら被疑者に読んできかせ、署名をさせるそうですが、裁判所で違うことを言う場合があるので、裁判所で言っていることは嘘でこっちが信用できるようにつくっていくためにわざと訂正の申立をさせる場合があるそうです。

相手はプロ、普通の人は太刀打ちできない

 たとえば、名前の漢字をわざと間違えて書き、そこを訂正させてそれ以外のことは間違いがないと署名させれば、肝心のところが違うと裁判で言っても、検事が「でもあなた、読んで聞かせてもらったでしょ。名前の違いを訂正したでしょ。そんな重要なことなんで申立しないのか、あなた、嘘ついたらいかんよ」と理詰めでくると反論できず、裁判官は検事の言うことを信用するのだそうです。

 よく外の人たちがやってもいないことをなぜやっているというのかと言うが、実際に中で取調べを受けると不思議な心理状態になることを、田中さんは自らの体験でわかったそうです。相手はプロなので普通の人では太刀打ちできない、と述べ、朝から晩まで責められると、気の弱い人などは信念を貫くことがいかに難しいか、実際に体験した者でないとわからないと語りました。

 警察が痛めつけてしゃべらせ、調書はわざととらず、検事のところに連れて行って調書をとるということもあるそうです。形が全部できあがっているので、それを裁判所で覆すのは難しいと述べました。
  
 大きな事件では調べ官が証人として呼ばれることがあるので、捜査日誌を出してくださいと裁判所に言われたときのために、最初から捜査日誌を2冊つくる場合があるそうです。田中さんは、そこまで捜査官にやられたら裁判官はなにも言えない、と述べ、そのようにしてつくられた調書が証拠となって判決が下されている現状があることを明らかにしました。

白紙に署名をするのは「とんでもない」こと

 警察は真っ白な紙に署名だけさせることもあるそうです。簡単に白紙の紙に署名をする人は結構いるそうですが、白紙に署名するのは「とんでもない」と田中さんはその危険性に警鐘を鳴らしました。

 また、調書を読むことになっているが、実際にそこに書かれていることを読んでいるのかどうか、とばして読んだり、内容を変えて読んだりする場合があり、共産党の人などは1枚1枚見せてくださいと言って1枚1枚署名をする人もいるそうですが、普通の人はそこまでできないので、とばしたり、あとでわざと訂正させて信用性のある調書をつくられると、どんなに優秀な弁護士でもそれを覆すことはできない、と語りました。

 たとえば、10枚の調書のうち肝心の1枚を差し替えてあっても署名をしているので同じ枚数でサインをしてあると、絶対そんなことを書いていないと言い張ってもあとの祭りで、裁判官も弁護士も見抜くことはできない、と述べ、アリバイがある場合や、客観的なものがあとに残らない事件は調書だけが効いてくるので、志布志事件や袴田事件のような冤罪事件が起きてくるが、調書をつくった人が本当のことをしゃべるはずはないので、真実は出てこないようになっている、と語りました。

一人ひとりの捜査官と裁判官の良心に訴える

 田中さんは調書について、法律の制度に問題があると述べ、調書をつくる一人ひとりの捜査官や裁判官が良心をもってやれば防げるが、そうでなければ冤罪を防ぐことはできない、と警鐘を鳴らしました。

 袴田事件については「すいませんでした、ですむ話ではない」と断じ、法律の制度を変え、裁判所で言ったことが正しいという法律の制度に変えない限り、冤罪事件はあとを絶たない、と厳しく批判しました。

 しかし、現実には難しい問題であると述べ、捜査会議で被疑者に有利な発言をすると、「お前、バカか」と言われ、出世に響くので、無実だと思ってもそのような意見を言えない雰囲気があるそうです。「犯罪があったら見逃すな」という考えが基本にあり、その考えがある限り冤罪はなくならない、と指摘しながら、1人の無実の者をつくるな、という考えが捜査官の側になければ冤罪はなくならない、との考えを示しました。

信念だけで正義を貫くことはできない
 
 志布志事件の場合も無罪だと思っていた調べ官がたくさんいたそうですが、それを言ったら「おまんまが食べられなくなる」と述べ、検事の場合は弁護士への道があるが警察の場合はそうではないので、それぞれ家庭があり、信念だけで正義を貫くことはできないことにも言及しました。

 田中さんは、犯人を1人も逃がすな、ではなく、犯人でない人を1人も犯人にするな、という考え方に変えない限り、また、イケイケドンドンの人が出世をするような風潮を改めない限り、冤罪はなくならない、と指摘しました。

 法律の制度を変えると同時に、捜査官が良心をもって取り組むことが必要であるが、現実にはそのような行動をとると左遷させられたり、捜査から外されたりする現状があることにも触れながら、一人ひとりの捜査官の良心に訴え、犯人を逃がしてもかまわない、しかし、犯人でない人を犯人にするな、との考えのもと、地道な努力を続けていくしかない、と語りました。

死刑を多数決で決めるのはおかしい

 田中さんはまた、死刑が多数決で決まることについて、「おかしい」と疑問を呈しました。袴田さんの場合、熊本さんは無罪だと思ったが、ほかの2人の裁判官が死刑だったため、2対1で死刑の判決が下されました。田中さんはそのことに対し、「死刑は裁判官全員一致に限ってできるようにすべき」との考えを示しました。

 このことに対し、だれも疑問の声を挙げないことについて、「バナナの叩き売りではない。多数決で死刑にできるのか」と疑問を投げかけながら、熊本さんが勇気をもって発言してくれたために裁判が合議制で、多数決で死刑が決まることが明らかになり、多くの人々の知るところになったと述べ、その勇気ある行動に敬意を表しました。

頑張ってよく生きてきた

 田中さんは自らの1年間の拘置所生活を振り返りながら、「自分は1年奈落の底を見てきた。袴田さんは30年も40年もその奈落の底にいる。ふつうならどうにかなってしまうのに、頑張ってよく生きてきた。わずか3畳の独房に30年も40年も閉じ込められたら、仏様だって耐えることはできない。よく生きてきた。みなさんの力で1日も早く出してあげてほしい」と訴えました。

 袴田事件について、田中さんは「真相はわからない」としながらも、「あの調書は信用できない」と明言しました。「20日間も取調べを受けた人が最初にしゃべった内容が、お手数をかけました。私がやりました、というのはおかしい。人を3人も殺した人がしゃべる言葉ではない」と調書の任意性について強い疑念があることを強調しました。

質疑応答
 
 取調べの可視化の問題について、田中さんは、1から10まで全部やるならよいが、部分的可視化は恣意的に運用される可能性があるので「反対」との考えを示しました。

 自分が調書を取られる立場になったとき注意をしなければならないことはなにか、という質問に対し、田中さんは、「嘘の調書に署名しないこと」と答え、実際はそう思っていてもプロを相手に信念を貫くのは難しいので、ふだんから胆力を鍛えておくと同時に、そういう事態にならないように注意をすることが大事であると答えました。

 裁判官と検事の関係について、田中さんは、裁判官は弁護士から控訴されても出世に響かないが検事に控訴されると出世に響くことや、たとえば量刑で3年を求刑された場合、半分の1年半とせず、1年8ヶ月とするなど、求刑の半分以上の量刑をするといった配慮をする場合がある、と答えました。

 裁判員制度になったら冤罪は増えるかという質問に対し、田中さんは、「増える」と答え、素人の裁判員によって裁判がワイドショー化し、被害者のことだけが報道されると、情の世界になり、被害者優先になって冷静な判断ができなくなる可能性があることを指摘しました。


著作「反転」にサインをする田中森一さん
筆者の感想

 さすがに元東京地検特捜部の検事だけあって、検事が調書をつくるときあとで覆されないようにわざと重要でないところを間違えて被疑者に訂正の申立をさせ、調書に信憑性を持たせるといったテクニックを駆使することなど、関係者でなければわからないことなどを話していただき、大変参考になりました。

 ベストセラーとなった田中さんの著作「反転」の広告などによれば、検事時代の田中さんは「特捜のエース」「特捜の鬼」「辣腕検事」との異名をもち、弁護士に転身してからは、「闇社会の守護神」などと称されているとのことですが、「チャンは人を殺していない」と袴田さんが息子さんに書いた手紙を口にしたとき、田中さんが目を赤くし、しばし絶句する場面があったのを見て、大変人間味のある温かい人柄であるとの印象を持ちました。

 なお、田中さんは長年の夢であった、若者を育成するための「奨学財団」の設立を目指し、その準備として「田中森一塾」を設立しました。詳細については下記HPを閲覧してください。

参考:
「田中森一塾」公式サイト

(ひらのゆきこ)




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