徒然な日々に

その日の個人的出来事や、見たニュース、記事から思った事、感じた事を徒然と…

◆ プロフィール

folke

Author:folke
怠惰な社会人。
画像はウチのトイプードル(ウサ耳Ver)

◆ 最近の記事

◆ 最近のコメント

◆ 最近のトラックバック

◆ 月別アーカイブ

◆ カテゴリー

◆ 友達申請フォーム

この人と友達になる

ならまずは自分の過去を見てみれば?
15日付けのasahi.comの記事から

南京事件70年-数字の争いを超えたい
2007年12月15日(土曜日)付
 70年前の12月、中国を侵略していた日本軍は、直前まで国民党政府の首都だった大都市、南京を陥落させた。日本軍は中国兵士を捜し回り、その過程で多数の捕虜や一般市民も殺した。

 南京事件である。南京大虐殺とも呼ばれる。その様子を記録し、展示する現地の大虐殺記念館が2年がかりで改装され、一般に公開された。

 大幅に拡張された展示スペースには、従来の約6倍にあたる3500枚もの写真が掲げられたという。むごい写真に驚きの声が上がり、目をそむける人々も、食い入るように見る人々もいた。

 今年は、日中が全面戦争に突入した1937年から70周年にあたる。中国ではさまざまな記念の催しが計画され、南京大虐殺についても多くの映画が制作されると伝えられた。反日感情の再燃が心配されていた。

 だが、中国当局もそれを意識していたのだろう。それらの映画は公開されず、記念館の開館式典にも、党や政府の大物指導者は顔を見せなかった。

 新しい記念館の壁などには「30万人」という犠牲者数が書き込まれている。中国での戦犯裁判で確定した数字、というのが中国側の公式見解だ。しかし、これにはさまざまな見方があり、日中間の感情的な対立も招いている。

 日本の専門家の間では、数万人説や「十数万から二十万人」説などがある。私たちも30万人はいくらなんでも多すぎると思う。だが、一部では虐殺自体を否定する暴論まで語られている。新記念館に掲げられた数字は、そうした日本の論議への怒りを表してもいるようだ。

 事件から70年を経たが、日中相互の反発やわだかまりは縮まらない。和解へ歩み出すことの難しさを痛感する。

 殺戮(さつりく)の状況は、現場にいた日本軍の兵士らも日記などに書き残している。日本政府も「南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」と認めている。

 数字の探求は専門家に任せるべきだ。実は中国の学者の間にも、一つの数字にこだわらず、より実証的な研究を求める声がある。冷静な学術研究を通じて、いずれ数字は変わっていくのではないか。

 両国の政治にとっていま大事なのは、この事件を日中間の障害とせず、和解に向けて手立てを講じていくことだ。

 過去にも、そんな取り組みはあった。村山、小泉首相は盧溝橋を、橋本首相は旧満州の瀋陽を訪ね、歴史を直視する姿勢を見せようとした。橋本氏は南京訪問すら検討し、下見も行われたが、実現しなかった。中国側の数字を正式に認める形になるのを懸念したのだろう。中国政府にはそうした実情も理解してほしい。

 このまま放置するわけにはいかない。福田首相は70年の節目に、追悼と和解への思いを語ることはできるはずだ。そうした積み重ねが、やがて数字の壁を越え、和解への扉を開くに違いない。

 言行不一致を地で行く朝日新聞らしい記事ですね。

 南京で殺害した人数は30万人だと大々的に報じておきながら、今更多すぎると言い、ではどれ位ならやったと言えるのかは触れない、根拠も挙げない、しかし大虐殺と呼べるものをやったのはまごう事無き真実だと言うのですからそんなものをどうやって信じろというのか?

 そもそも以前に述べたように朝日は当時日本で、いや、世界で最も記者を南京に派遣していた新聞社であり、僅か40平方km足らずの地に80名も派遣しており、日本兵に護衛されながら農地へ向かう婦人らの写真や、賑わう市の様子などをアサヒグラフなどに多数掲載しているのに、それほどの大騒動が起きていながら誰一人そちらの証拠写真を撮っていないし見てもいないというのは余りに不自然すぎやしませんかね?

 普通ならこの事件に対して朝日は誰よりも正確かつ膨大な証拠資料と証人を保有していたはずであり、下手な研究者などよりも遥かに真実に近い位置にいたはずですが、不思議なことに事実だと言いながらも自身では証拠写真一枚出さないんですよね。

 かつての毒ガス騒動などを思い起こせば分かるように、事実確認もせずに反日として使えるネタであればと安易に飛びつくような新聞社がこれほどの恵まれた状況を用いないわけが無く、それなのにやらないというのは実はやれないのが本音であるということです。

 最近は30万人という有り得ない数を中国側が強調し、更にはアメリカなどが鵜呑みにする呆れた状況も手伝って嫌悪感を示す日本人も多くなってきましたし、大虐殺を事実だとする学者や研究者の出鱈目ぶりも尚拍車をかける要素になっていますからね。

 例えば、今月発売の平凡社新書403笠原十九司著『南京事件論争史』という本がありますが、この中で作者笠原の呆れた主張を少し取り上げてみましょうかね。

 笠原は百人斬りの裁判が原告の請求棄却に終わったことを司法の場において「百人斬り」が事実であったと決着が付けられたと大嘘を展開しています

 実際には本多勝一の著述が「一見して明白に虚偽であるとまで認めるに足りない」との判断と、民法724条の除斥期間が経過しているということから請求が棄却されたのであり、「百人斬り」は紛れもない事実だなんて判断は下されていません。

 更に面白いのが、自分は「百人斬り」が嘘であると言う訴えが証明されなかったから「百人斬り」は事実であるという飛躍論を用いていながら、虐殺否定派が肯定派の出した写真の嘘を暴いて否定の根拠にするのはトリックであると意味不明な論理を展開しているんですよね。

 百人斬りの裁判を見れば分かるように事実認定をするには、訴えた側がソレが事実であると証明する義務があり、それを仕切れなかったから同裁判は請求棄却という形になったのですし、大虐殺にしたって「ある、これが証拠だ!」と偽写真を出したのが最初なら、それを否定されれば当然根拠の喪失、事実認定は不可能となるんですが、それは認められないようです。

 しかも、日本でインターネットで自分のことを調べると誹謗中傷が沢山乗っているが、外国では優秀な研究者として認められているだの、「良心的な日本人だ」といわれるだのって言っていますが、要するにそれは朝日新聞社の個人版が笠原十九司って人間であるってだけの話ですよね?

 毎年あれ程多くの嘘を、特に日本を貶める為のものを吐き散らす朝日新聞や朝日と手を結ぶサヨクが中韓北やそれに同調する外国人から全く同じ評価を受けているのとどこが違うというのか?

 まぁ、戦争やってる最中に「戦闘の帰趨が決したにも関わらず投降の勧告すらしないまま、これらの中国軍将兵に襲い掛かり、その多数を殺害したのである」だから兵士に対する殺害も虐殺だなんて言ってのけるような平和ボケしたというか偽善と自分を絶対視した頭じゃそんなものなんでしょうかね?

 どこの世界に「もはや趨勢は決したから投降しろ!」なんてドンパチやってる中で叫ぶバカがいたら間違いなく狙撃の的にされますし、無力な群れとなって南京城内外を徘徊したなんて中国兵を書いてますけど、その無力な群れが夜な夜な徘徊して中国人の少女らを強姦し、日本兵のせいにするために殺していたんですが、そんな悪質なゲリラ活動をする連中のどこが無力なんだか?

 南京戦において日本軍は包囲した段階で降伏を迫っており、それを拒否されれば、後は勝つか負けるかにならざるを得ない、そうなってからってことも分からないんですからねぇ。

 ましてや南京城内は映像にも残っているように夥しい数の中国兵が衣服を脱ぎ捨てて便衣(中国の平民服)に着替えて潜伏していると分かっているのにハーグ陸戦条約などを持ち出して便衣兵狩りなどの行為をした日本を非難し、一方で中国側のこれらスパイ行為やゲリラ行為などの同条約違反は完全に無視ですからね。

 最も、当時の日本は日中どちらの宣戦布告も無いままの事件であり、戦争ではないので戦時国際法の適用はしないとの判断を下しており、これを個人の判断で法律違反だと断定して書籍に載せて非難するのが妥当であるかは非常に疑問ですけど。

 まぁ、余りに酷い本だったものでかなり割愛したつもりでも長くなってしまいましたが、そもそもの大虐殺の定義がこのように曖昧で、日中間どころか日本国内でもバラバラでは話がまとまるわけはありませんし、こんな出鱈目な識者がのさばっているんですから何時まで経っても状況が改善されるわけがありませんよ。

 朝日が本気で改善を望むなら、まずは自身が過去を見直し、姿勢を改めろってことですね。

 (誤字修正 2008年1月1日14:25)

テーマ:社会ニュース - ジャンル:ニュース

( ´,_ゝ`)プッ
反論できなくなると「酷い本」のレッテル貼りですか、頭の悪い方ですなあww
2007/12/23(日) 17:38:49 | URL | [ 編集]
folke
 え〜っと、内容ちゃんと読みました?

 反論できなくなるとレッテル張りって…「酷い本」である理由についてはその単語が出るまでにちゃんと理由を列挙しているんですがそれでは足りない、何百ページにも渡る本を一言一句取り上げて否定しきらないと反論しきれてないってことでしょうか?

 つまり貴方の感覚では酷いか否かはその本にどんな事が書かれているかではなく、全てがデマか否かで決まるってことですかね?

 だとしたら貴方の場合、頭が良いとか悪いとか以前に小学校で常識と言語の基礎を身に付け直すことをお勧めしますよ。

 学術書である新書において、エントリー内で書いたように多くの嘘を書き、法を用いて片方を非難しながらもう片方にはそれを適用しない不公平さを恥らいも無くやってのけ、身内擁護の為の詭弁を書き連ねるなど、どれほどお手盛りをしても到底学術書とは言えない本を「酷い本」と述べることがレッテルだと言うのであれば、是非とも酷くない、私の主張がレッテル貼りであるという証明をしてみせてください。

 百人斬り裁判、証明義務の発生理屈、良心的日本人、投降の呼びかけ、スパイ活動とゲリラ活動、国際法と今回のエントリー内に記した酷い本である理由だけでもこれだけありますから、是非とも次回はありふれた捻りの無い顔文字や定型煽り文ではなく、名前を名乗っての論理的な反論をお待ちしてますよ。

 そういうものであればこちらにとっても非常に有意義ですから大歓迎です。
2007/12/24(月) 02:26:41 | URL | [ 編集]
Apeman
はじめまして。

>南京で殺害した人数は30万人だと大々的に報じておきながら

これはいつのどの記事のことを指しておられるのでしょうか?
1984年以降の記事をasahi.comのデータベースで「南京&虐殺&30万」をキーワードに検索したところ、もっとも古いのは南京大屠殺紀念館の開館を伝える記事で、そこには

>新華社電によると、開館式典のあいさつで張耀華市長は「日本の侵略者が南京に達した1937年12月13日から6週間に、30万人以上の市民と捕虜兵士が殺害された。悲劇を二度と繰り返さぬよう中日両国民はこの出来事を決して忘れてはならない」と述べた。

とあるだけです。中国側の主張を伝えたことをもって「報じた」ということになるなら、産經新聞は「南京大虐殺の犠牲者は40万人」と報じたことになってしまいますが…
1991年1月19日夕刊の「窓・論説委員室から」には、石原慎太郎の南京事件否定発言を受けて、次のように書かれています。

>歴史学者の秦郁彦さんは「今となっては正確な被害統計を得ることは、理論的にも実際上も不可能に近い」と前置きして、被害者は4万人前後と推定している(中公新書『南京事件』)。

すでに15年以上も前に秦郁彦説を紹介しています。

もっとも、私が調べたのは84年以降の記事の一部だけなので見落としがあるのかもしれません。何月何日にこう報じた、というソースをご存知でしたらご教示願います。

>それほどの大騒動が起きていながら誰一人そちらの証拠写真を撮っていないし見てもいないというのは余りに不自然すぎやしませんかね?

軍は当然報道を検閲していました。毎日新聞から「不許可写真」の写真集がかつてでていましたが、敵兵の戦死体が写った写真ですら不許可になっているのです。捕虜を集団で殺害する場面、まして民間人を殺害する場面を撮影することなど許可するでしょうか? 従軍記者の何人かは戦後に虐殺の目撃をちゃんと証言していますよ。最近発売された本でいえば、『南京事件と三光作戦』(森山康平、河出文庫)に今井正剛記者への聞き取りが収録されています。
2008/01/12(土) 15:51:55 | URL | [ 編集]
folke
 Apemanさんに問われた点についてお答えさせて頂き…ってなんか政治家の国会質問の答弁みたいですね(笑

 冗談はこれ位にしてまじめに答えさえてもらいますが、まず言い方という意味で言えば確かに報じてというよりも正しくは紹介となるのかも知れませんが、騒動の発端は本多勝一の『中国の旅』及び『南京の旅』であり、そこでは30万人の民間人虐殺ということが書かれていましたよね?

 ここに何の疑義も挟まなかった、或いは異論がある事を併記しなかった時点で朝日はこれが事実であると読者が認識することを理解して意図的にやっていた…もしくは朝日自身が30万人の民間人大虐殺という言を真実だと信じていたということになりませんか?

 実際、何も知らない人間が朝日新聞であの連載を読んだ結果、日本はそんな大虐殺をしたんだと大騒ぎになったわけですし。

 ならばそれは中国側の説を無批判に垂れ流していた、つまりは一方的な見解を事実だと報じていたと言えるのではないでしょうか?

 詳しく知りたい場合は上記した本多勝一の二作が朝日文庫として今も出版されていますし、有名作品ですので近隣の図書館にもあると思いますので買うなり借りるなりしてご確認を。

 次いで写真についてですが、不許可というのは『掲載が不許可』なんですよね。

 だからこそ撮った写真に不許可の判が押されるのであって、そこで撮影が妨害されたり、撮った写真を処分されたりではなかったのであり、後々出版することができたわけです。

 まして死体の写真が新聞への掲載不許可になるのは何時の時代だって当たり前の話ですよ?

 読者の精神衛生上よろしくないのは勿論、そんなものをちゃぶ台においてあって子供が見てしまったらどれほどのトラウマを植えつける事になるか考えてみてください…軍人じゃなくたってそんな写真は掲載させるのに待ったを掛けますよね?

 まぁ、今時のゴシップな週刊誌は普通に垂れ流すことがありますけど、昨年話題になった相撲部屋のリンチ殺人事件で写真ではなく絵が掲載されるに留まったように、常識的問題としてそういうのは載せちゃいけないって話に過ぎません。

 それに、虐殺の事実を軍がひた隠しにしていたのであればまず為すべきは軍の作戦に礼賛の態度であった朝日ら日本のマスメディアではなく、嘘や捏造写真を世界中に垂れ流していた外国人記者や宣教師らに対してでなければ意味が無いと思いませんか?

 自国の記者に対してだけ検閲や撮影の制限ではまさに『頭隠して尻隠さず』でしかなく、その場凌ぎにしかならないわけでいずれは国民にもバレますから、幾らなんでも情報の専門家さえいる軍隊でそんなバカな話が罷り通るとは思えませんし、そんな状況においても出所の怪しいものばかりが蔓延り、決定的証拠と呼べるものが未だ存在しないことにむしろ疑念を抱くのは人として当然の反応ではないでしょうか?

 実際、ライフに当時掲載されたものもヤラセや日本軍と関係無いもの、匪賊討伐を虐殺だとキャプションをしたものなどでしたよね?

 また、河出の『南京事件と三光作戦』は1975年に出された単行本をろくに手直しや現在判明している事実との照らし合わせをせずに、昨年末にあった南京事件70年のイベントに合わせて出した(2007年11月20日初版発行)だけの低俗本です。

 中を見れば分かりますが、1980年代に嘘だと証明された『兎狩り』などの話が何の補記も無いまま事実だと掲載されている始末です。

 私は同書について中身の全てを確認してはいませんが、1975年に出されたということ、現在ソレをろくに手直しもせずに出したのが河出書房であること、上記したように既に歴史的事実と整合性を欠いた内容があるにも関わらず修正せずに事実だと言い張り続ける作者のスタンスなどを鑑みて今一度内容の確認をされては如何でしょう?

 他にも同書は便衣兵を陸自のレンジャー(同書では「レインジャー」)部隊と同じだと記していたりと、著者らが本当に歴史や軍事に精通している人間であるかすら疑わせる記述もありますので、短慮に事実だと鵜呑みにするのは非常に危険です。

 ましてや証言だって未だに売名や構って欲しくてなんて浅薄な理由で嘘を吐く人間が後を絶ちませんし、朝日では確か1985年だったと思いますが、渡河作戦に際しての毒ガス散布写真と一面を飾った写真とそれを持ち込んだ作戦に参加した元将校とやらの証言が嘘だったことや、済州島で慰安婦狩りをしたという吉田清治の話が嘘であったことなど、この手の証言では兎角自称加害者という名の嘘吐きが出回っていますから、この手の本での証言を単純に信用するのは如何なものかと思います。

 何より、ご指摘の今井記者の証言は遥か昔の話なのにまるで音声付きの映像を再生しているかのような精緻な描画がされ過ぎている(会話内容や状況描画が過去の記憶にしては余りに細かすぎる)点や、元朝日新聞支局で虐殺から一家族を救った話や本人が複数回虐殺の場を目撃したと言う話を何故か一緒にいた朝日記者の誰一人として知らぬなど、非常に不自然な点が多いんですよね。

 当時南京の特派員だった足立和雄氏によれば「あれ(今井記者)は自分で見て記事を書く人ではなかった。人から聞いたことを脚色するのがうまかった」ということだそうで、これまた情報ソースとしては信憑性に乏しいですよね?

 随分と長くなってしまいましたが、これでご納得頂けると幸いです。
2008/01/13(日) 13:50:31 | URL | [ 編集]
Apeman
>まず言い方という意味で言えば確かに報じてというよりも正しくは紹介となるのかも知れませんが

ここは重要なところですよ? 新聞社が自らの責任で「報じる」ことと、誰かの主張を伝えることとを区別しないのであれば、産經新聞は40万人説を「報じた」ことになります。あなたが「そうだ、その通りだ」とおっしゃるのであれば、この点についてはこれ以上こだわりませんが。

>騒動の発端は本多勝一の『中国の旅』及び『南京の旅』であり、そこでは30万人の民間人虐殺ということが書かれていましたよね?

借りるまでもなく買うまでもなく両方ともうちにあります。
朝日文庫収録の『中国の旅』230、238ページには「約三〇万人」とありますが、「民間人」とは限定されていません。『南京への道』の346ページには「現在の南京市の常識では、日本軍によって当時虐殺された捕虜や市民の総数を三〇万人としている」とあります。いずれも「民間人三〇万人」ではありません。むろん、連載当時どうなっていたかまでは調べていませんが、Folkeさんが「連載当時には民間人三〇万人となっていた」とする根拠をご存知なら、ご教示ください。

>ここに何の疑義も挟まなかった、或いは異論がある事を併記しなかった(後略)

思いません。集会の参加者数に関する「主催者側発表」と同じでしょう。
そもそも『中国の旅』の時点では南京事件論争などなかったという意味で「異論」などありませんでしたし、他方東京裁判で20万ないし10万人という犠牲者数が認定されていたことを記憶していた人間なら、「異論」があることは承知のうえで記事を読んだでしょう。
それともあなたは、『蔣介石秘録』を掲載した産經新聞は、犠牲者40万人と言うのが「事実であると読者が認識することを理解して意図的にやっていた」もしくは産経自身が40万人大虐殺「という言を真実だと信じていたということに」なると思いますか? これについても、あなたが「そう思う」とおっしゃるなら、これ以上はこだわりません。

> だからこそ撮った写真に不許可の判が押されるのであって、そこで撮影が妨害されたり、撮った写真を処分されたりではなかったのであり

ええ、しかしそれは戦死者の屍体の場合です。私がうかがっているのは、戦死者の屍体ですら掲載させない軍が、捕虜を集団殺害している場面の写真撮影を黙って見過ごすだろうか? ということです。あるいはカメラマンが自主規制してしまうだろうとは思わないか? ということです。

> まして死体の写真が新聞への掲載不許可になるのは何時の時代だって当たり前の話ですよ?

えっ? いまの日本にも新聞への検閲があるのですか?

>それに、虐殺の事実を軍がひた隠しにしていたのであればまず為すべきは

ええ、ですから内務省は海外から輸入される新聞、雑誌を検閲していました。また外国人記者や宣教師が「捏造写真」を垂れ流したという事実はありません。軍はもちろん、南京にいた欧米人が虐殺等を記録し抗議してくるのを苦々しく思っていましたが(現に上海の通信施設は検閲していました)、欧米人に手を出せば外交問題になるのは目に見えていましたから我慢していただけです。

> 自国の記者に対してだけ検閲や撮影の制限ではまさに『頭隠して尻隠さず』でしかなく

ですから海外からの情報が国内にはいるのも検閲していたわけです。もっとも「頭隠して尻隠さず」だったというのはその通りです。偕行社が『証言による南京戦史』を連載したとき、その編集者の一人加登川幸太郎(敗戦時陸軍中佐)は、事件当時陸軍大学校の学生だった時分にも噂は伝わってきた、と述べています。

>決定的証拠と呼べるものが未だ存在しないことにむしろ疑念を抱くのは人として当然の反応ではないでしょうか?

旧軍が残した戦闘詳報や、参戦将兵の陣中日記が証拠にならない、と考えておられるのでしょうか?

>1980年代に嘘だと証明された『兎狩り』などの話

誰がどう「嘘」だと「証明」したのでしょうか?

>今一度内容の確認をされては如何でしょう?

私は最近出版されて入手しやすいものをあげただけで、今井元記者は自身でも同趣旨のことを書き記しています。
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20070226

あなたこそ、ご自身の情報ソースを見直してみられてはいかがでしょうか?

>他にも同書は便衣兵を陸自のレンジャー(同書では「レインジャー」)部隊と同じだと記していたりと、著者らが本当に歴史や軍事に精通している人間であるかすら疑わせる記述もあります

それは中国軍ではなく、日本軍の第59師団について言われていることですね。敵中深く潜入するため「便衣」を来たというのですから、任務の性質としてはレインジャー部隊と似ている、と説明するのは一般向けの書籍としては問題ないと思いますが?

> ましてや証言だって未だに売名や構って欲しくてなんて浅薄な理由で嘘を吐く人間が後を絶ちませんし

具体的に指摘していただかないと反論のしようがありません。反論のしようがない主張は主張として意味がないでしょう。吉田証言云々などは南京事件とは関係ありませんね?

> 当時南京の特派員だった足立和雄氏によれば

それは田中正明がソースじゃないんですか? 「嘘をいった人間もいる」を根拠に証言を否定するなら、田中正明が紹介した情報は全否定されねばなりませんね?

>随分と長くなってしまいましたが、これでご納得頂けると幸いです。

いや、全然納得がいきません。
2008/01/13(日) 15:06:20 | URL | [ 編集]
folke
 大抵の部分は引用している直後の部分で説明していますよね?

 まず、新聞は事実を知らせる媒体であり、情報の裏づけを取るのは記者の義務である、なのにそれをせず、一方の主張を垂れ流したのは報じたと言えると言っているのです。

 せめて東京裁判で認定されている人数はもっと少ないとか、例えとして出しているような主催者発表のような文言を括弧付けで記載するなどの客観的な情報が記載されていたならば別ですが、そうではなかったし、ご自身書かれているように「異論」がある事を知っていれば30万人って変じゃないかと言えるでしょうが、既に戦後20年以上、南京からは更に幾星霜という状態ですから知らない人間は少なくありませんでしたし、だからこそ大勢の人間が信じて大騒ぎになったのだと言うことをご存じないのでしょうか?

 それと、もし例え話でなく産経が同じ様な報道をしていたというのなら、それは同罪でしょうね。

 別に私は産経の信者ではありませんので事実や自分の考えを捻じ曲げてまで産経を擁護する気などサラサラありません。

 あぁ、次の民間人のみとなっている部分は単純にこちらのミスですので謝罪します。

 民間人のみだったらこれまで私がしてきた便衣兵や捕虜の殺害はあっただろうという主張とも反してしまいますし。

 撮影については死体の写真も幾枚も撮るほど人の死に慣れた記者らがそこだけ自粛するというのは論拠に欠けた憶測ではないでしょうか?

 ましてApemanさんのように今井記者の発言が事実であると考えるのならば、そんな捕虜の管理もろくにせずに小隊単位で一度に100人以上もの虐殺を城内で平然と行っていながらそれを記者が誰も撮影していないし出来なかったというのは逆に不自然すぎませんか?

 それに検閲が今でもあるのかって、そういうのは揚げ足取りにしても酷すぎませんか?

 私はApemanさんが「そこは各出版社や新聞社の良識、モラルの話であり、各社の整理部などが掲載すべきか否か判断しているから掲載されないのだ」と一々書かなければ理解できないような方だとはここまでの文章を読む限りとても思えないのですが…

 人の口にとは立てられない…如何に検閲をしたところでApemanさんが書いている中佐の話のようにどうしたって秘密なんてのは漏れてしまうものですし、欧米とはまだ当時は交流がありましたからそちらからも話は入ってきます。

 だからこそ逆にそんな中途半端なやり方をしただろうかと言っているのですし、それに何よりこの点に関しては大虐殺があったと証言している記者の中でも撮影の禁止があったと言うような話をしている者はいなかったと私は記憶しているのですが。

 決定的証拠についてはまぁ、先の民間人とのみ記載したこちらのミスで誤解させてしまった部分もあると思いますが、記者の話なんですから当然写真もしくは映像という意味です。

 次の便衣兵の文章はアレではレンジャー部隊=便衣を着た部隊と受け取られかねず、Apemanさんのように「任務の性質で見ると似ている」というような説明を一筆入れねばならないと、逆に一般向けの書籍だからこそ思うのですが、そこは見解の違いなんでしょうか?

 偽証については何故か割愛してますけど、毒ガス戦の元将校A氏(こちらは文春文庫で稲垣武氏が出版した『朝日新聞血風録』に裏話が載っています)について朝日自身が出鱈目であったと認めていますし、吉田証言は単に戦争犯罪に関する偽証の例として特に有名だから挙げたに過ぎません。

 他には1984年8月4日に朝日新聞の夕刊一面に『南京大虐殺 日記と写真もあった』という見出し記事(宮崎の元兵士と書かれていますね)や中帰連の人達の話が偽証としては有名なところでしょうか?

 そういえばこの中帰連の中で兎狩りの話がありましたね。

 44大隊所属の元中尉小島隆男の証言として1993年7月1日のこれまた朝日新聞に「私は中国人を強制連行した」という見出しで記事が載りましたが、これまた直ぐに嘘だと暴露され、当人達もその事実を認めていました。

 戦術名としてのウサギ狩りは別ですが、ここで話題にするのは当然それによる労働者狩りの意味ですし、先にApemanさんが挙げた『南京事件と三光作戦』に出てくる労働者狩りをしたという証言も同じ59師団所属で中帰連の人による話ですね。

 そして最後の足立和雄氏の話は…

 http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=1452

 こちらで詳しく紹介されていますが、原点は小学館文庫の阿羅健一氏著『「南京事件」日本人48人の証言』からですね。
2008/01/13(日) 18:45:19 | URL | [ 編集]
Apeman
>例えとして出しているような主催者発表のような文言を括弧付けで記載するなどの客観的な情報が記載されていたならば別ですが

ええ、ですから私がとりあげたどの記事をとっても「中国側主張」であることははっきりわかるように書いてあったのですが?
要するに私としては「朝日新聞も産經新聞も、中国側の主張を中国側の主張として伝えた」と考え、あなたは「朝日新聞は三〇万人説を報じ、産經新聞は四〇万人説を報じた」と考える、ということで決着ということでしょうか?

> まず、新聞は事実を知らせる媒体であり、情報の裏づけを取るのは記者の義務である

原理原則としてはその通りでしょうが、例えば産經新聞がテイケイの数えたという沖縄県民集会参加者数を独自に裏取りしたというはなしは聞いたことがないんですね。写真に写っているのは本当にその人数なのか、プラス写真に写っていないところ、時間に参加者はいなかったのか、を。
さらに科学報道などでは「雑誌『ネイチャー』にかくかくしかじかという論文が掲載された」といった体裁のものが多いわけですが、新聞社は自ら追試を行なうなどして「ウラを取る」必要があるとお考えなのでしょうか?

>既に戦後20年以上、南京からは更に幾星霜という状態

敗戦と南京事件は7年半しか隔たってませんが。まあそれはよいとして私はよく否定派の方から「戦後の日本は東京裁判史観を教え込まれてきた」「自虐史観を教え込まれてきた」などと言われるのですが、だとすれば当時の日本人が南京事件や東京裁判についてよく知らなかったというのは解せないはなしですよね? 一体どちらが正しいのでしょうか?

あともう一つ、遅くとも1991年の時点で朝日新聞が秦郁彦説を紹介しているという点についてコメントいただいてないのですが、これについてはどうお考えですか? なにしろ17年も前ですから、「今更多すぎると言い」というのはあたらないと思うのですが?

> 民間人のみだったらこれまで私がしてきた便衣兵や捕虜の殺害はあっただろうという主張とも反してしまいますし。

いいえ、別に反しません。あなたがどうお考えかと朝日がどう報じたかはまったく独立の問題ですから。
要するにあなたも、朝日新聞(および関連メディア)が「南京大虐殺=民間人三〇万人虐殺」であると報じた事実はない、とお考えということでよろしいですね?

> 撮影については死体の写真も幾枚も撮るほど人の死に慣れた記者らがそこだけ自粛するというのは論拠に欠けた憶測ではないでしょうか?

通常の戦闘による戦死体と、捕虜の集団虐殺や民間人の殺害ではまったく意味が異なるとは思いませんか? 現に杉山陸相、畑教育総監はじめ、岡村寧次、阿南惟幾など当時の陸軍の中枢にあった人々はみな尋常ならざる事態が起きていたことを認識していたわけです。

>そんな捕虜の管理もろくにせずに小隊単位で一度に100人以上もの虐殺を城内で平然と行っていながらそれを記者が誰も撮影していないし出来なかったというのは逆に不自然すぎませんか?

どこがどう「不自然」なのか、さっぱりわかりません。あなた、武装した集団が人殺しをしている場面に行き当たった時、気軽に携帯で写真を撮れますか?

> それに検閲が今でもあるのかって、そういうのは揚げ足取りにしても酷すぎませんか?

あなたが今日の新聞の事なかれ主義(それにしたって屍体の写真が一切使われないなんてことはありません)と検閲とを同列に並べるようなことをおっしゃるからでしょう。

>欧米とはまだ当時は交流がありましたからそちらからも話は入ってきます。

今日とはわけが違いますから、海外からの情報は相当程度シャットアウトできたんですよ。

> だからこそ逆にそんな中途半端なやり方をしただろうかと言っているのですし

好んで中途半端をやったのではなく、単にそれ以上のことができなかっただけです。

>それに何よりこの点に関しては大虐殺があったと証言している記者の中でも撮影の禁止があったと言うような話をしている者はいなかったと私は記憶しているのですが。

わざわざ撮ろうとするカメラマンがいなかったからでしょ。その代わり、「カメラマンとしてどうして写真を撮らなかったか」と聞かれて「写真を撮っていたら、恐らくこっちも殺されていたよ」と答えることしかできなかった、と証言しているカメラマンはいますよ。人間として当然の反応だと思いますが。
http://www.geocities.jp/yu77799/satou.html

>記者の話なんですから当然写真もしくは映像という意味です。

世界史上のさまざまな虐殺事件のうち、現在進行形で虐殺の場面が写真に残っているものって、どれくらいあります? そんなのはむしろないのがふつうだと思いますが?

> 偽証については何故か割愛してますけど

あなたのおはなしはどれも具体的なソースがないからですよ。何年何月何日にこれこれと報じ、その後何年何月何日に訂正記事が出た、とおっしゃってくれればこちらも簡単に確認ができるのですが。いずれにしても南京事件とは関係ありませんね。

>他には1984年8月4日に朝日新聞の夕刊一面に『南京大虐殺 日記と写真もあった』という見出し記事(宮崎の元兵士と書かれていますね)や中帰連の人達の話が偽証としては有名なところでしょうか?

その朝日の記事が別に偽証でもなんでもなかったことについては、秦郁彦の『昭和史の謎を追う』(文春文庫)上巻の192ページ以降をご参照ください。
中帰連のメンバーはほとんどが南京攻略戦には参加していないのでこれまた南京事件には関係ないのですが、「中帰連の証言=嘘」と決めつけるひとこそ沢山いるものの、その具体的な証言が具体的に嘘であると立証されたケースは寡聞にして知りません。

>44大隊所属の元中尉小島隆男の証言として1993年7月1日のこれまた朝日新聞に「私は中国人を強制連行した」という見出しで記事が載りましたが、これまた直ぐに嘘だと暴露され、当人達もその事実を認めていました。

少なくとも「当人達もその事実を認めていました」は事実に反するんじゃありませんか?
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/04/usagigari.htm

> こちらで詳しく紹介されていますが、原点は小学館文庫の阿羅健一氏著『「南京事件」日本人48人の証言』からですね。

そこで今井記者について語られているのは、単に当時の報道原稿の書き方についてでしかありませんね。戦後の回想についてはなにも触れていません。
また足立記者自身、虐殺現場を目撃していることも(しかしもちろん当時は記事にならなかった)証言されています。
2008/01/14(月) 12:52:17 | URL | [ 編集]
Apeman
>最近は30万人という有り得ない数を中国側が強調し

folkeさんはお若い方とお見受けしましたが、「最近」というのはどれくらいのタイムスパンを考えておられるのでしょうか?
60年前の南京軍事法廷での判決において、すでに約34万人という犠牲者数が出てきます。ご存知のように、この裁判を主催したのは国民党中国ですが。
また「30万」という文字が刻まれた南京の大虐殺記念館が出来たのは1985年で(すなわち、日本でマボロシ派が活動を始めた後)、中年のおっさんの私でも「最近」とはちょっと呼ばない時期です。「アメリカなどが鵜呑み」というのも具体的な根拠がないですよね? 昨年アメリカで製作された映画『Nanking』のプレスリリースでも犠牲者は「20万人以上」と東京裁判の事実認定に準拠した数字が使われていました(アメリカ人ならば自然な発想でしょうね)。
2008/01/15(火) 09:17:25 | URL | [ 編集]
folke
 まず、テイケイの話はテイケイの数えた数が県民大会の全貌、或いは真実だと産経が報じていましたか?

 私の知る限りでは、例えば10月17日の産経の記事『沖縄県民大会参加者「約1万8000人」 自民歴史教育議連』では議員の会の主張を記事のタイトルに据えながらも主催者側は11万人と発表していること、都内の警備会社(原文ママ)が航空写真を拡大して数えた結果が参加者は視認可能部分で1万8179人であること、日本会議熊本が1万3037人だと調査報告をしていること、県警は4万人と述べていることなどから導かれる結論として11万人は幾らなんでも誇大だったんじゃないのかと述べているだけの客観的な報道だと思いますし、また産経は最初の報道時にも関係者情報として参加者は4万2000〜3000人程だったという話があることを持ち出していましたし、テイケイの数にしたって上記の自民歴史教育議連の件や、ネット上で数えた人間がやはり1万8000人ほどだと主張しているなど写真についても数種類の数を上げていますが、これが中国の言い分を垂れ流しただけの朝日の件と全くの同質ですか?

 ま、単に11万人の発表という意味であれば産経、朝日双方が「主催者発表」の文字を入れていなかったものがあったとかで叩きあいをしていたというのは覚えていますがね。

 それと南京と関係ないと人の話を蹴る態度を見せながら、自分はあちらこちらに話が飛んでいるのは二重基準ではないんですか?

 裏取りにしても話を極論にし過ぎです。

 そもそも中国の旅は撫順炭鉱に勤務していた久野氏からの抗議に対して本多勝一本人が「私は中国の言うのをそのまま代弁しただけ」「抗議は中国に」と返事を書いており、自らが公正な記者として記事を書いたのではなく、中国共産党のスポークスマンとして記事を書いた宣伝者であることを認めていますし、新聞倫理綱領の『正確と公正』、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。」との条文から激しく逸脱している(1971年11月5日朝日夕刊に掲載された通算23回目、南京事件のその2で注1として書かれている内容はまず最初に第三国はおろか中国共産党さえもが否定する43万人という国民党主張を持ち出し、その次に東京裁判で認められたのが11万人と言う説明を持ってくることで少ないという印象を与えるようにしてから、これは少な過ぎると実際に書いて切り捨て、最後に中国側の主張を丸呑みしているだけの洞富雄説[30万は「南京対外文化協会」、34万は「南京地方法院」の主張であること自著『南京事件』で記している]をさも事実であると誤認するように書いている)ことを問うているのですし、先に挙げた産経の記事の例のように複数の証言や資料からの推察を意見として載せるならまだしも、同連載では異見を全否定して中国の弁をそのまま垂れ流すだけで、新聞記事とは到底言えないと言っているのです。

 折角注意書きがあったってそこで裁判の判決という国際的な見解を否定(しかも20万ではなく、より少ない「11万人」だけをわざと用いるなどかなり悪質)し、中国側の主張を更に紹介して30万という説を補強していてはどこも『正確と公正』じゃありませんし、そんな片方の主張をただ流すものがネイチャーの論文掲載と同質の問題だと本気で思っているのですか?

 もしもそうであるならこれ以上の論は無駄でしょうね、根本的に新聞などのマスメディアに対する認識や求めるものが異なるわけですから。

 次いで否定派の云々はこれまでの私のエントリーでも絶無だと主張しているわけではないし、私がそれが絶対の理由だというような主張をした覚えもありませんので今の議論に余り関係ない気がするのですが、敢えて答えるならGHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムという名の日本人に罪悪感を植えつける洗脳工作が存在していたこと、そしてその一環として実際にNHKのラジオ放送「真相はかうだ」(別名「真相箱」)が作られ、その中で南京での虐殺の話がされてたことや、70年代以降には教育の場でも教師が『指導資料』などと言った名のものをつくって『中国の旅』を必読文献などと指定して子供達に教えていたという話がありますので、全否定はどうかと思うとだけ述べておきます。

 因みにこの真相箱の製作にも朝日は邦字紙として唯一協力をしており、朝日の存在こそがその手の洗脳工作の存在を証明する最大の証拠と言えるかもしれませんね。

 秦氏の見解について確かに当時の社説担当者が野村吾朗氏からの質問状に「秦氏の論が現時点では妥当だと考えている」と答えていますが、それだって元々は同年1月3日の石原氏の南京大虐殺否定論を叩いて在米華僑の30万人説を支持していると判断される内容の社説を書いたが為に「朝日は30万人説を支持するのか?だったら30万人虐殺を裏付ける証拠を出せ!」との苦情が殺到して主張を変えねばならなくなった(この結果2月2日の社説で先の現時点では妥当という台詞が使われた)だけで、中国に対して明確に、自らの主張として社説でそれは多すぎるぞと反発する意見を述べるようになったのはここ最近(2007年7月7日にも社説で多すぎると述べている)だと考え用いたのですが、違いますか?

 死体の撮影に関して私は全く載ることは無いなんて一言も言っておらず、むしろ垂れ流されることもあると書いていますし、実際その後に偽証の一つとして記した1984年8月4日朝日新聞夕刊の『南京大虐殺 日記と写真もあった』で掲載された南京虐殺の写真の一つは沢山の生首が写されたものです。

 何よりも私は最初から撮影そのものを妨害されてはいなかっただろうとの考えに沿って普段マスメディアでそれら残虐な写真が余り載らないのは良識・モラルから各社が極力抑えているのだろうと言っているに過ぎず、その証拠に私の同コメントでは最後に時津風部屋の件を良識として載せていないことの一事例として挙げた後に「常識的問題としてそういうのは載せちゃいけないって話」と掲載するしないは検閲の有無以前に倫理の問題であると言うことをハッキリ明記しており、虐殺場面の撮影に検閲もしくは圧力があったと言う自分の見解と現代の話をごっちゃにして「現代にも検閲があるのか?」と話を混同させたのはそちらがちゃんとこちらの文章を読んでいないか、或いは悪意を持って歪曲したかのどちらかでしょう?

 ましてや撮るのを武器をちらつかせたり言葉で恫喝したりという形で妨害されたとか、撮ろうとした、または撮ったが為に殺された記者がいたなどと言う証言ならまだしも、個人的な雰囲気についての感想を語ったに過ぎない話一つで「撮れなかった」と事実化するのは幾らなんでも突飛過ぎやしませんか?

 その手のものでよければ河野公輝カメラマンの証言を太平洋戦争研究会のスタッフが聴取して綴った文章、これはApemanさんが証拠資料として用いているHP『南京事件−日中戦争 小さな資料集』にも記されている証言の続き(同HPに以下は未記載)に、「河野さんは、その瞬間(捕虜の首を切り落とす瞬間)を撮影した。占領して万歳を叫ぶ場面よりも、こういった残虐場面のほうを、むしろ熱心にとった。」「(百姓だからやめさせようと別の記者が)絶叫して立ちはだかったが、兵隊たちはそれを押しのけて、殺した。」「俺(河野氏)は病いコーモーで、(虐殺写真を)パチパチ撮りまくったさ」というものがあります。

 因みに括弧内は引用部だけでは意味が分からないだろうと思って私が足した説明ですが、このように証言だけで事実化するのならば同氏は写真を大量に、それも捕虜の処刑のような残虐な場面を好んで撮っていたにも関わらず軍人達は誰もそれを気に留めずに好きに撮影させ、それどころか記者が処刑を妨害しようとしても殺されてなどいないということになり、記者たちは虐殺場面を見ていたけど、虐殺写真は軍の圧力によって誰も撮ることは出来なかったというApemanさんの主張に反していますし、そもそも記者の存在しない場所や時代に行われていたような虐殺と、世田谷よりも狭い範囲に、それも100人以上(当時朝日だけで80人程もいた)の記者が集まっていた状況で起きたと言われる30万人規模の虐殺とを全くの同列に認識して写真がないのが普通なんて発想が通用すると?

 小島証言はより正確には8000人強制連行の嘘が露呈したですね。

 戦友会と小島隆男のやり取りについては下のアドレスで紹介されていますが、朝日に採り上げられて以来テレビで8000人の強制連行を主張して現場に赴くドキュメントまでやっておきがなら、話し合いの場で「嘘ではないか」と問われて反論できず、更に問い詰められると「自分は聞いただけで確認していない」と証言を一転させた上に8000人という数についてもマスコミが数字を膨らませたという種の発言をしています。

 ここでは一応連行作戦自体は事実だと主張していますが、そもそも「自分は情報を聞いただけで一切確認していない」と述べている時点で「私は強制連行をした」という当初の証言が嘘であったと認めているわけですし、同氏の記事は兎狩りの否定意見は全て下っ端だから自分が参加した作戦の名前も内容も知る訳が無いという呆れるばかりに出鱈目な論を展開(名前は兎も角、直接実行した作戦の内容を知らないなんて事があるわけが無いし、おまけに先の対談をした戦友会会長は盛岡予備士官学校の同期生であり、中尉への昇進もほぼ同時であるが、その会長に問い詰められた時は予備隊の行った作戦だから44大隊の人間が知るわけがないと全く違う言い訳をしている)していますし、他にも西野留美子氏の『元兵士たちの証言 従軍慰安婦』と本多勝一の『天皇の軍隊』では所属部隊も階級もバラバラ、結婚年月まで違うとあっちこちで言をコロコロと変えており、とてもではありませんが同人による単独の弁解なんて一番信用出来ませんよ。

 http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/chinese-renko/kojima-takao.html

 足立証言は便衣兵として数十人が処刑されたという話ですね。

 しかし同氏は便衣兵掃討の過程で「やりすぎはあったかもしれない」との認識を持っていたようですが本多勝一が代弁した南京大虐殺、つまりは中国が述べる軍民30万人からそれ以上の無差別虐殺については否定し、先に挙げた小学館の『「南京事件」日本人48人の証言』において「明らかに捕虜だとわかっている者を虐殺はしていないと思います」「先日も朝日新聞の役員に会うことがあったのでそのことを言ったんだが。大虐殺はなかったことをね」と証言しており、それが無差別な大虐殺であったという認識はしていません。

 最後に、話が全く別のところに飛んだり、別のエントリーに移ったりと、一向に貴方の言いたい事が見えないし、何時までも話が終わらないのでいい加減無闇矢鱈に話を広げず要点を纏めてもらえませんか?

 当初の朝日の報道姿勢についてのテーマを放り投げて延々あっちはどうだこっちはこうだと相手をしろと言われても流石にそんな余裕はありません。
2008/01/29(火) 02:44:42 | URL | [ 編集]
Apeman
まずは遅ればせながらお見舞い申し上げます。

> まず、テイケイの話はテイケイの数えた数が県民大会の全貌、或いは真実だと産経が報じていましたか?

だったら、朝日新聞は南京大虐殺についての中国共産党の主張が「全貌、或いは真実だと」報じていたのですか?

> それと南京と関係ないと人の話を蹴る態度を見せながら、自分はあちらこちらに話が飛んでいるのは二重基準ではないんですか?

朝日新聞に対するあなたの態度が一般化可能なものなのかどうかを問題にしているのです。あなたが南京事件についての朝日新聞の報道にのみ特殊な基準を適用しているのかどうかを確認するには、他の話題についての報道、他紙の報道をとりあげざるを得ないでしょう。目的はあくまで、南京事件についての朝日の報道についてあなたが書いたことにかかわっています。

> 裏取りにしても話を極論にし過ぎです。

そうでしょうか? 例えば本多氏が『中国の旅』を書いた時点では、日本における南京事件研究は洞富雄氏がごく部分的にしているだけ、というのが実情でした。戦犯裁判当時をのぞけば、戦後の日本ではほぼ第一報に近かったわけです。現在は発見されている旧軍関係資料もその多くが未発見で、かつ検証のため大挙して渡中し現地調査ができるような状況にもありませんでした(国交回復前ですから)。しかしあなたは朝日が独自に「検証」したうえで記事を書くべきだったと主張しているわけです。これこそ「極論にし過ぎ」ではないのでしょうか?

>自らが公正な記者として記事を書いたのではなく、中国共産党のスポークスマンとして記事を書いた宣伝者であることを認めています

ジャーナリストが一方の当事者の主張を「そのまま」伝えたら「スポークスマン」ということになるのですか? 犯罪報道などをみれば警察発表の垂れ流しなどいくらでもありますが。中国共産党の主張をあたかも自身の主張であるかのように伝えればそりゃ「中国共産党のスポークスマン」と言われてもしかたないでしょうが、これまでわれわれの間で確認された限りでは、誰が読んでも「中国はそう主張している」のだということがわかる表現が用いられています。まして、日中間での情報流通が非常に増えている今日ならともかく、それまでほとんど情報がなかったことがら(この場合、南京事件についての中国側の認識)を「代弁」することのどこに問題があるのか、さっぱりわかりません。まさか、folkeさんは「日本人は、中国人が南京大虐殺についてどう考えているかをずっと知らないままでいればよかった」などと思っておられるわけではありませんよね?

>報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。

つまり中国側が犠牲者を三〇万人だと主張しているなら、「記者個人の立場や信条」でもって勝手に情報を隠蔽せずに、中国側が何を主張しているかを伝えるべきである、ということになりますね?

>まず最初に第三国はおろか中国共産党さえもが否定する43万人という国民党主張を持ち出し、その次に東京裁判で認められたのが11万人と言う説明を持ってくることで少ないという印象を与えるようにしてから

紹介の順番が逆だったら、あなたは「多いという印象を与えようとした」と文句を言うんじゃないですか? 何度か述べましたが、「中国の旅」の連載は南京事件研究などほとんどない状況で書かれたのです。その段階で、国民党の主張や東京裁判の事実認定をそれとして伝えたからといって、なにが問題なのですか? 他に挙げるべき数字があったのですか?

>これは少な過ぎると実際に書いて切り捨て

新聞紙面は確認していませんが、現在入手可能な『中国の旅』では「これは明白な証言にもとづくものだけなので、事実より少ないとみる研究者もいる」と書かれており、誰が読んでも「少な過ぎる、というのは諸説の一つ」であることがわかるようになっています。新聞掲載当時は違っていた、という情報をお持ちならご教示いただければ幸いです。

>洞富雄説[30万は「南京対外文化協会」、34万は「南京地方法院」の主張であること自著『南京事件』で記している]をさも事実であると誤認するように書いている

同じく『中国の旅』では「洞富雄著『近代戦史の謎』の分析は、三〇万人、あるいは三四万人説を事実に近いとみている」と書かれており、誰が読んでも「三〇万人、あるいは三四万人説は洞富雄という研究者の分析」であることがわかるようになっています。それをそのまま「事実であると誤認」したとすれば読者の責任だと思いますが? 新聞掲載当時は違っていた、という情報をお持ちならご教示いただければ幸いです。

>同連載では異見を全否定して

連載当時「異見」なんてありましたか? 少なくとも東京裁判の「11万」という数字は紹介されていたわけですよね? それ以外に、本多氏が当然とりあげるべきだったのにとりあげなかった説があるとおっしゃるのであればご教示いただければ幸いです。

>しかも20万ではなく、より少ない「11万人」だけをわざと用いるなどかなり悪質

なぜこれが「悪質」なのかさっぱりわかりません。「20万」より少ない事実認定もあることを紹介しているんですから、むしろフェアであるというべきではないのですか?

>そんな片方の主張をただ流すものがネイチャーの論文掲載と同質の問題だと本気で思っているのですか?

もちろん思ってませんよ。しかし「ネイチャーにかくかくしかじかの論文が掲載された」という報道とはそれほど大きく隔たっているとは思いませんし、まして「検察によれば」云々の報道とは基本的に「同質」だと言ってよいでしょう。

繰り返しますが、本多氏の連載にクレームをつけるのであれば、「その当時、どのような選択肢がありえたか」をふまえて行なうべきです。連載当時、他に紹介すべき説としてどのようなものがあったのでしょうか?

>GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムという名の日本人に罪悪感を植えつける洗脳工作が存在していたこと

そもそも「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という用語は江藤淳が用いたものなので、GHQがそうした名称の計画を立てていたかのような書き方は、あなたの基準に従えば極めて問題ですね。それはおくとして、そんな「洗脳工作」が存在しかつ成功していたのだとすると、本多氏のルポが話題になるなんてことはありえなかったはずだと思うのですが、いかがでしょうか? 『中国の旅』が話題になったのは、ほとんどの日本人が南京大虐殺のことなんて忘れてたからじゃないんですか?

>秦氏の見解について(中略)だと考え用いたのですが、違いますか?

違いますか? と尋ねられても当初のエントリにはそんなことはひとことも書かれていなかったのですから、後出しで「違いますか?」と尋ねられたら「違います」としか返答のしようがありません。

>在米華僑の30万人説を支持していると判断される内容の社説を書いた

これまでの実績に照らすと、Folkeさんの「判断」には疑問が多いですね。調べてみましたが、1991年1月3日づけの社説には「30万」などという数字はありません。当該部分を引用してみましょう。

>12月26日付の「ニューヨーク・タイムズ」に、日本人にとっては衝撃的な全面意見広告が掲載された。日本刀をふるって中国人の首を切り落とそうとしている旧日本軍人の写真入りで、「南京大虐殺で死んだ同胞をしのび、石原慎太郎に反論する」と訴えた中国系米国人団体の広告である。
> ○国会は「歴史決議」を
> 米国の雑誌とのインタビューで「南京虐殺事件は中国人の作り話」と語った石原氏の発言が、歴史を無視した暴論であることは明らかだ。重大なことは、教科書問題や藤尾発言など、歴史をゆがめて過去の日本の過ちを軽視したり無視しようとする試みが、繰り返し政権党内から出てくることだ。

どこをどう読んだら「30万人説を支持していると判断される」のかさっぱりわかりません。「判断」できるのは「中国人の作り話」説を否定している、ということだけです。どうもあなたが朝日新聞に要求する水準に比べて、あなたが朝日新聞を批判する際の検証の基準が随分と低いように思うのですが、いかがですか?

>死体の撮影に関して私は全く載ることは無いなんて一言も言っておらず、むしろ垂れ流されることもあると書いていますし

ただし「今時のゴシップな週刊誌は普通に垂れ流すことがありますけど」という書き方ですね? 「死体の写真が新聞への掲載不許可になるのは何時の時代だって当たり前の話」とおっしゃってもいたはずです。

> 何よりも私は最初から撮影そのものを妨害されてはいなかっただろうとの考えに沿って

だからその根拠は何なんですか? 以前にもお尋ねしましたが、あなたは武装集団が無抵抗の捕虜を殺害する場面に出くわしたとき、平気でそれを撮影できますか? 逆にあなたがその武装集団の指揮官だとして、平気で写真を撮らせますか? ビルマで民主化要求デモを取材していた日本人カメラマンが殺害されたのはつい去年のことなんですけど。

>その手のものでよければ河野公輝カメラマンの証言を太平洋戦争研究会のスタッフが聴取して綴った文章

で、あなたはその証言をどう評価しておられるんでしょうか? あなたは「それほどの大騒動が起きていながら誰一人そちらの証拠写真を撮っていない」とおっしゃったんですから、河野証言はホラだということになりますよね?

>小島証言はより正確には8000人強制連行の嘘が露呈したですね。

つまり強制連行それ自体が嘘であったことが「暴露」された、という主張は撤回する、ということでよろしいですか?

>更に問い詰められると「自分は聞いただけで確認していない」と証言を一転させた上

あなたの提示したURLのページでも「聞いただけ」とされているのは人数であって、自分が参加したという証言まで撤回しているわけではありませんね?

>名前は兎も角、直接実行した作戦の内容を知らないなんて事があるわけが無い

そんなことはありませんよ。末端の兵士は小隊長、中隊長が命じることをやるだけで、連隊や旅団といったレベルでどのような計画になっているか、なんてことは知らなくてもちっともおかしくありません。

>とてもではありませんが同人による単独の弁解なんて一番信用出来ませんよ。

「弁解」が「信用できません」というなら、「虐殺」「強制連行」「強姦」等々を「やらなかった」「みなかった」という証言だって留保付きで評価する必要がありますね?

>足立証言は便衣兵として数十人が処刑されたという話ですね。

いいえ、違います。足立氏は「青年男子で残っているとすれば(…)軍人か便衣隊だと思われていた」と語っており、日本軍の主観的認識と客観的意実にズレがあった可能性をきちんと認めています。そもそも中国軍が「便衣」で戦闘行動を行なったという記録が南京ではほとんどありませんよね?
今井記者について足立氏が語っているのはあくまで「当時の報道原稿の書き方」についてであって、今井氏の戦後の回想についてはなにも語っていない、ということについてはよろしいですか?

>いい加減無闇矢鱈に話を広げず要点を纏めてもらえませんか?

ひとことでいえば、あなたのエントリにはいい加減な記述がいっぱいある、ということです。まだまだごく一部を指摘しているだけですが。

2008/01/30(水) 10:26:38 | URL | [ 編集]












管理者にだけ表示を許可する


トラックバックURL:

◆ カレンダー

12 | 2008/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

◆ カウンター

無料ホームページ ブログ(blog)

◆ ブログ内検索

◆ RSSフィード

◆ リンク

このブログをリンクに追加する

◆ Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ


copyright 2006-2007 徒然な日々に all rights reserved. powered by FC2ブログ. designed by ダイエット.
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ