南京事件70年-数字の争いを超えたい |
2007年12月15日(土曜日)付 |
70年前の12月、中国を侵略していた日本軍は、直前まで国民党政府の首都だった大都市、南京を陥落させた。日本軍は中国兵士を捜し回り、その過程で多数の捕虜や一般市民も殺した。 南京事件である。南京大虐殺とも呼ばれる。その様子を記録し、展示する現地の大虐殺記念館が2年がかりで改装され、一般に公開された。 大幅に拡張された展示スペースには、従来の約6倍にあたる3500枚もの写真が掲げられたという。むごい写真に驚きの声が上がり、目をそむける人々も、食い入るように見る人々もいた。 今年は、日中が全面戦争に突入した1937年から70周年にあたる。中国ではさまざまな記念の催しが計画され、南京大虐殺についても多くの映画が制作されると伝えられた。反日感情の再燃が心配されていた。 だが、中国当局もそれを意識していたのだろう。それらの映画は公開されず、記念館の開館式典にも、党や政府の大物指導者は顔を見せなかった。 新しい記念館の壁などには「30万人」という犠牲者数が書き込まれている。中国での戦犯裁判で確定した数字、というのが中国側の公式見解だ。しかし、これにはさまざまな見方があり、日中間の感情的な対立も招いている。 日本の専門家の間では、数万人説や「十数万から二十万人」説などがある。私たちも30万人はいくらなんでも多すぎると思う。だが、一部では虐殺自体を否定する暴論まで語られている。新記念館に掲げられた数字は、そうした日本の論議への怒りを表してもいるようだ。 事件から70年を経たが、日中相互の反発やわだかまりは縮まらない。和解へ歩み出すことの難しさを痛感する。 殺戮(さつりく)の状況は、現場にいた日本軍の兵士らも日記などに書き残している。日本政府も「南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」と認めている。 数字の探求は専門家に任せるべきだ。実は中国の学者の間にも、一つの数字にこだわらず、より実証的な研究を求める声がある。冷静な学術研究を通じて、いずれ数字は変わっていくのではないか。 両国の政治にとっていま大事なのは、この事件を日中間の障害とせず、和解に向けて手立てを講じていくことだ。 過去にも、そんな取り組みはあった。村山、小泉首相は盧溝橋を、橋本首相は旧満州の瀋陽を訪ね、歴史を直視する姿勢を見せようとした。橋本氏は南京訪問すら検討し、下見も行われたが、実現しなかった。中国側の数字を正式に認める形になるのを懸念したのだろう。中国政府にはそうした実情も理解してほしい。 このまま放置するわけにはいかない。福田首相は70年の節目に、追悼と和解への思いを語ることはできるはずだ。そうした積み重ねが、やがて数字の壁を越え、和解への扉を開くに違いない。 |
言行不一致を地で行く朝日新聞らしい記事ですね。
南京で殺害した人数は30万人だと大々的に報じておきながら、今更多すぎると言い、ではどれ位ならやったと言えるのかは触れない、根拠も挙げない、しかし大虐殺と呼べるものをやったのはまごう事無き真実だと言うのですからそんなものをどうやって信じろというのか?
そもそも以前に述べたように朝日は当時日本で、いや、世界で最も記者を南京に派遣していた新聞社であり、僅か40平方km足らずの地に80名も派遣しており、日本兵に護衛されながら農地へ向かう婦人らの写真や、賑わう市の様子などをアサヒグラフなどに多数掲載しているのに、それほどの大騒動が起きていながら誰一人そちらの証拠写真を撮っていないし見てもいないというのは余りに不自然すぎやしませんかね?
普通ならこの事件に対して朝日は誰よりも正確かつ膨大な証拠資料と証人を保有していたはずであり、下手な研究者などよりも遥かに真実に近い位置にいたはずですが、不思議なことに事実だと言いながらも自身では証拠写真一枚出さないんですよね。
かつての毒ガス騒動などを思い起こせば分かるように、事実確認もせずに反日として使えるネタであればと安易に飛びつくような新聞社がこれほどの恵まれた状況を用いないわけが無く、それなのにやらないというのは実はやれないのが本音であるということです。
最近は30万人という有り得ない数を中国側が強調し、更にはアメリカなどが鵜呑みにする呆れた状況も手伝って嫌悪感を示す日本人も多くなってきましたし、大虐殺を事実だとする学者や研究者の出鱈目ぶりも尚拍車をかける要素になっていますからね。
例えば、今月発売の平凡社新書403笠原十九司著『南京事件論争史』という本がありますが、この中で作者笠原の呆れた主張を少し取り上げてみましょうかね。
笠原は百人斬りの裁判が原告の請求棄却に終わったことを司法の場において「百人斬り」が事実であったと決着が付けられたと大嘘を展開しています。
実際には本多勝一の著述が「一見して明白に虚偽であるとまで認めるに足りない」との判断と、民法724条の除斥期間が経過しているということから請求が棄却されたのであり、「百人斬り」は紛れもない事実だなんて判断は下されていません。
更に面白いのが、自分は「百人斬り」が嘘であると言う訴えが証明されなかったから「百人斬り」は事実であるという飛躍論を用いていながら、虐殺否定派が肯定派の出した写真の嘘を暴いて否定の根拠にするのはトリックであると意味不明な論理を展開しているんですよね。
百人斬りの裁判を見れば分かるように事実認定をするには、訴えた側がソレが事実であると証明する義務があり、それを仕切れなかったから同裁判は請求棄却という形になったのですし、大虐殺にしたって「ある、これが証拠だ!」と偽写真を出したのが最初なら、それを否定されれば当然根拠の喪失、事実認定は不可能となるんですが、それは認められないようです。
しかも、日本でインターネットで自分のことを調べると誹謗中傷が沢山乗っているが、外国では優秀な研究者として認められているだの、「良心的な日本人だ」といわれるだのって言っていますが、要するにそれは朝日新聞社の個人版が笠原十九司って人間であるってだけの話ですよね?
毎年あれ程多くの嘘を、特に日本を貶める為のものを吐き散らす朝日新聞や朝日と手を結ぶサヨクが中韓北やそれに同調する外国人から全く同じ評価を受けているのとどこが違うというのか?
まぁ、戦争やってる最中に「戦闘の帰趨が決したにも関わらず投降の勧告すらしないまま、これらの中国軍将兵に襲い掛かり、その多数を殺害したのである」だから兵士に対する殺害も虐殺だなんて言ってのけるような平和ボケしたというか偽善と自分を絶対視した頭じゃそんなものなんでしょうかね?
どこの世界に「もはや趨勢は決したから投降しろ!」なんてドンパチやってる中で叫ぶバカがいたら間違いなく狙撃の的にされますし、無力な群れとなって南京城内外を徘徊したなんて中国兵を書いてますけど、その無力な群れが夜な夜な徘徊して中国人の少女らを強姦し、日本兵のせいにするために殺していたんですが、そんな悪質なゲリラ活動をする連中のどこが無力なんだか?
南京戦において日本軍は包囲した段階で降伏を迫っており、それを拒否されれば、後は勝つか負けるかにならざるを得ない、そうなってからってことも分からないんですからねぇ。
ましてや南京城内は映像にも残っているように夥しい数の中国兵が衣服を脱ぎ捨てて便衣(中国の平民服)に着替えて潜伏していると分かっているのにハーグ陸戦条約などを持ち出して便衣兵狩りなどの行為をした日本を非難し、一方で中国側のこれらスパイ行為やゲリラ行為などの同条約違反は完全に無視ですからね。
最も、当時の日本は日中どちらの宣戦布告も無いままの事件であり、戦争ではないので戦時国際法の適用はしないとの判断を下しており、これを個人の判断で法律違反だと断定して書籍に載せて非難するのが妥当であるかは非常に疑問ですけど。
まぁ、余りに酷い本だったものでかなり割愛したつもりでも長くなってしまいましたが、そもそもの大虐殺の定義がこのように曖昧で、日中間どころか日本国内でもバラバラでは話がまとまるわけはありませんし、こんな出鱈目な識者がのさばっているんですから何時まで経っても状況が改善されるわけがありませんよ。
朝日が本気で改善を望むなら、まずは自身が過去を見直し、姿勢を改めろってことですね。
(誤字修正 2008年1月1日14:25)