一つ道
昨日、ウチのお寺の月例の「学習会」を担当し、「歎異抄」の第1条を読んだ。
「往生」というキーワード。一般的には、【死んであの世に逝くこと】と考えられているが、単なる「死後の世界」のこととして考えると、仏教が「生きている」現在と何の関係もないボヤ~~~っとした話になってしまい、生きていくヒントにもパワーにもならない。
浄土真宗の「救い」として語られる「往生」について、かつて、ある先生は、「歩んでいく道が見つかること」「病気とか死という状況をも私の道として歩いていける(引き受けていける)事」というようなニュアンスで話していた。
少なくとも、「救い」とは、「私自身の都合」が満たされる事ではない。「悩み苦しみ」が消えて無くなることではない。思い通りにならない人生の途上で、どう転んでも、歩み続ける道を発見する事、私の本当の「場」をいただくこと、、、、
ナ~~~~~ンテ、「頭」で考えてるだけでは、むずかしぃ。。。。
どれだけ最悪な事が起こり、思い通りにならず、人生に躓いたとしても、何も恨まず、誰かをうらやまず、そこから再び立ち上がり歩き直す為に・・・・・、「基軸」を「私自身の都合」オンリーに置かず、「道理」の世界から「私の現在地」見た状況判断として如実に受け止める。喰らう。噛み締める。
どれだけ善き事が続き、思い通りに事が進み、有頂天になっても、得意にならず、優越感に浸りまくらず、他者を見下さず、謙虚で有り続ける為に・・・・・、「基軸」を「私自身の都合」オンリーに置かず、「道理」の世界から「私の現在地」を見た状況判断として謙虚に受け止める。喰らう。噛み締める。
善くて驕らず、悪くて腐らず。
そんな「一つ道」を歩めたら・・・・・。日々、不安だらけの僕は、思うのだ。
苦しい時こそ、自分の人生に対する姿勢を見つめ直してね、というサインなのだと思う。
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