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昨年、青森に漂着した脱北者 日本行きは「計算通り」

2008年01月28日21時24分

 北朝鮮から青森県深浦港へ、07年6月に小舟でたどり着いた脱北者4人家族の次男(28)が25日、韓国の地方都市で朝日新聞の取材に応じ、日本に渡航したのは自由がない北朝鮮から逃げるためで「計算通りだった」と語った。しかし、韓国社会には溶け込めない様子で「故郷に帰りたい」ともらした。

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脱北者の4人が乗ってきた船を調べる警察官たち=07年6月、青森県鰺ケ沢町で

 一家は北朝鮮の地方都市で暮らしていた。「中流層の出身でエリートではない」という。次男は高卒後、漁師に。イカやウニ、ナマコなどを取り、1日の稼ぎは北朝鮮の通貨で2万〜3万ウォン(実勢約700〜1100円程度)になった。

 「質素に暮らせば一家が数万ウォンでひと月暮らせる。食べていくには不自由はなかった」

 それでも脱北したのは「自由が欲しかったから」。漁には12種類の許可証が必要だ。3カ月更新で、1枚更新するたびに5万ウォンほどのワイロが必要だった。

 布団に潜って聞いたラジオの韓国語放送も刺激的だった。韓国に行きたかったが、「38度線付近には警備艇が多い。中国に行っても、モンゴルやタイ経由で韓国入りまで数カ月から1年もかかる」とのうわさを耳にし、日本行きを決めた。

 針路を東に取れば、日本に4日で着けると計算。「日本人は驚いたようだが、自信があった」と笑う。

 日本に持ち込んだ覚せい剤1グラムは「眠くならないため」に5万ウォンで知人から買った。「咸興(ハムフン)(北朝鮮東部)で造っているらしい。オルム(氷)と呼ばれていた」

 韓国到着後、支援施設で8週間過ごした。その後、地方都市に移り住んだ。家は12坪。「韓国政府から支度金500万ウォン(約56万円)が出た。今は3カ月ごとに1人100万ウォンが支給されるが3回でおしまいだ」

 兄は別居し、今は父母と3人暮らし。自動車学校に通いながら職を探す毎日だが「朝鮮の教育水準では、まともな就職は無理だ」と嘆く。

 「知人もできず、孤独だ。体制が変われば、すぐに故郷に帰りたい」

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