オリコンブログ 無料ブログサービス トップページ [オススメ] センスを鍛える暇つぶし「大喜利ブログ」はこちら    ログイン |    新規登録 |   ランダム表示 

高杉晋作は「おもしろき事も無き世をおもしろく(住みなすものは心なりけり)」と言いましたが、この世の中にはそんな考え込まなくても面白いことがゴロゴロ転がっていると思うのです。そんなゴロゴロを書いてゆくブログ。

「おっくん」って?

おっくん(RAG FAIR)
おっくんの…だらけ!
最近のあしあと
毎日のあしあと
毎月のあしあと
政治の話をしよう。 [2008年01月22日(火) ]
今回の記事、思い切って書いて本当に良かったと思います。

貴重な時間を割いてコメント頂いた方にも、感謝。

心配していただいた方にも、感謝。

明日からは、ちょっとは普通のゆるいブログに戻そうと思うけれど。





僕のブログ読者は、確かに若い読者が多いブログかもしれません。

影響力云々、というのも重々承知しているつもりではあります。

じゃぁ僕たちが言わないと誰がこの国で声をあげるのだろう?


コメント欄が有ることで、議論の余地も残してあります。

だからこそ、僕は自分の意見を書こうと思うのです。



まず。



会社員であろうが、自営業であろうが、僧侶であろうが、

学生であろうが、歌手であろうが、政治に関心は持つべきです。

この国の針路がどこに行くのかは、私たち日本国民が決めなくてはなりませんから。




2ちゃんねるを僕が支持しない理由。


以下の記事を読んで頂きたい。


読売新聞社 YOMIURI ONLINE より(1)です。

こちらにも詳細が。 YOMIURI ONLINE より(2)

携帯で見られない方は、何とかしてみて頂きたい。



2ちゃんねるというコミュニティで得るものがある人もいるでしょう。

それは理解できます。

でもあなたは、上のニュースにあるような事実を知っていましたか?



掲示板は訪問者数によるネットの広告が収入源になっており

(直接収入だけでなく、間接的な価値も含め)

積極的に2ちゃんを支持することは、間接的に彼を支持することなのです。



もちろん、自由、かつ新しいインターネットは、素晴らしい世界の可能性を

広げてくれました。しかし、その自由であることを抜け道として

匿名、かつの言葉のリンチを見てみぬふりをしていた彼(それは沢山の人が

見に来る→つまり直接、間接の収入が増えるから“まつり”は

多ければ多いほどいいのでしょう)に傷つけられている被害者は

そのまま泣き寝入り、それでいいのでしょうか?



僕は、この事態を見逃すべきではないと思っています。

そのリンチが終わったとしても、しっかりした謝罪があるまでは。



インターネットという新しいメディアにおいて、

文化を作り出してゆくのは利用者でした。

彼は巨大サイトを運営する権利を振りかざし、行使し、

そこに伴う責任をあざ笑っているように思えます。

これを倫理の欠如と言わずして、なんというのでしょう?

もしもあなたがその立場になったら?と想像していただきたい。

僕のアンチ2ちゃんは、不買運動に近いものと思っていただければ。




そしてそこにまるで迎合する政治家が?それもベテラン。

総務大臣、外務大臣を経験し、

一国の総理大臣の一歩手前までたどり着いた人が…。


彼はそういう事実を把握していなかったのだろうか…?

そこに僕は非常に落胆したわけです。



2ちゃんねるの管理人は当時の彼の反応にほくそ笑んでいた事でしょう。

僕が憤る理由をわかっていただけるだろうか。






「彼の業績を知っているのか?」というコメントもあったため、

麻生氏のホームページに行ってみました。


そこの講演と論文のページで、漫画を日本の文化として育てようというこの論文は好きな考え方です。

しかし、僕は外交について書いたこの文なんかは、正直違和感を覚えます。

「異論」と但し書きはしてありますが、考え方のプロセスに。

総裁選の時のまとめ、総論も、当時たまたま文藝春秋で読みましたが、

印象としては、結局自民党内のゴタゴタを晒しているように感じました。


よくわからない人は、わかりそうな人をつかまえたり調べたりして、

読んでみましょう。 


以下の本も、理解の一助となることでしょう。

日本の論点2008
文藝春秋  ¥ 2,900


現代用語の基礎知識/学習版〈2007〉
自由国民社  ¥ 1,500


現代用語の基礎知識2008
自由国民社  ¥ 2,800




まだ論文をすべては読めてはいませんが、前の記事で僕が書いたことは、

もちろん自分で責任を持ちますし、皆さんも読んで、自分で考えてみてください。



閑話休題。

いよいよ、裁判員制度も1、2年で始まるニッポン。

20歳以上の人間は、いつ裁判所に呼び出され、人を裁いたりするかも

わからないわけです。


政治の話をするのは政治家で…という考え方ではなく、

もっと身の回りの動向に関心を持ち、行動してゆくべきではないでしょうか?

そして、そんな話題が当たり前になれば、日本という国もより良くなってゆくのではないでしょうか?



サッカーの試合が終わったら、点数がつくヨーロッパ。

国会が終わったら、各議員に点数をつける新聞があってもよいのでは?

まぁ、確かにそれをするには議員の数は多い気がしますけれど。


以上。

ここからは本題ではないので、追記とします。
若い人で「政治はわからない」と放り投げてしまう人へ、

僕がなぜこういうことを話しているか、その土壌について書きたいと思います。



僕も全てを知っているわけではありません。

でも小さい頃から文字が好きだったので、いつからか新聞は毎日読んでいました。

ただ、経済、政治面はあまり読まず、社会面が好きでしたが。



小学校5年、6年の時、塾の宿題が新聞の社説の要約でした。

確か週1くらいのペースでしたが、日によっては

なんだかよくわからない内容の日もあったので、そういう配慮も

あったのでしょう。

小学5年生の新聞委員の時に天皇制とは?というアンケートを何がなんだか

よくわからないままに(聞いたほうももちろん、聞かれたほうもわからない頃だったでしょうが)

クラスの壁新聞で取り上げたのもこの頃。



中学校になると、湾岸戦争が勃発、社会科の授業で取り上げられました。

班別に分かれて調べ、壁新聞にして各クラスで発表会がありました。

また、ディベートの授業があり「日本に原発は必要か?」などの議題から、

エネルギー政策について調べたりしました。(吉水裕也先生)


高校1年生のときに新党ブーム、衆議院選挙で55年体制が崩壊、

与野党が逆転し…という政治に関心を持ちやすい時期だったことも

あるかもしれません。

高校3年生のときの夏休みは、友人と政治の話で盛り上がったものです。



大学の自由科目枠で選択した「国家安全保障論」の授業で、

新聞も数紙読むのがいいと教わりました。

新聞によって報道に偏りがある場合があるからです。社説はなおさら。

松下政経塾について知ったり、論文を読んだのもこの頃から。




一応、知らないことも沢山ある身であることを承知しながらですが、

老若男女問わず、もっと社会・政治に興味を持つべきだと思います。

もちろん、持つような文化、教育なりも、整備してゆくべきだと思います。


長々と読んでいただいてありがとうございました。
Posted at 21:15 | この記事のURL | Clip!!
この記事のURL
http://blog.oricon.co.jp/okkun/archive/3086/0





QRコード
おっくん(RAG FAIR)のブログをモバイルでアクセス


<< 2008年01月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
コメント・トラックバックについてなど
Copyright(C) 2005-2008 Oricon Inc. All rights reserved.