家庭用ゲーム機をお持ちでなかったということですが、ゲームセンターに行っていたのは、友達とのコミュニケーション上でのことだったのか、それとも、ご自身の感性に何か響くところがあったのでしょうか?
両方ですね。友達に「こんなゲームが出たよ」と言われて行くこともあれば、フラッとのぞいたゲームセンターに「おっ!」と思う物があったり。中でも、僕が一番感動したのは『R-360』という体感ゲームですね。巨大な筐体がグルグル回るシューティングゲームだったんですが、それを見たとき本当にビックリした。こんな物、いったいどんな会社が作ってるんだろうと思って見たら、SEGA(セガ)って書いてあった。
セガの体感ゲームはね、なんか全て世界の匂いがしたんだよね。それでセガに連絡して、面接を申し込んだんです。
そのセガの面接で、役員の方に「ウチの何に興味がある?」と聞かれたので、「実は、ゲームはあまり作りたいと思いません」と。そうしたら、「うちはゲームの会社だぞ」と言われて、「でも、ゲームの未来に興味があります」と。そんな会話が面白かったらしくて、「こういうやつが一人くらいいてもいいか」みたいな軽い気持ちで採用したようです。
もしセガが断ったら、ゲーム業界に入らなかったでしょう。ほかにゲーム業界の中で興味のあるところはなかったし、とりあえずセガに入って、これは違うと思ったら引き返せばいいや、くらいの軽い気持ちでした。結局、気がついたら14年いましたけど(笑)。
セガでは、最初からプロデューサー職を志向していたのですか?
業界を変えてやろう、ぐらいの気持ちで入っているから、最初から「俺はプロデューサーになる」と言っていましたね(笑)。でも当時はまだ、ゲーム業界にはプロデューサーやディレクターといった職種がなくて。スタッフロールでは名前も出さないし、“個人性”というものがまったくなかった。まるで黎明期の、100年前の映画業界と同じですね。何だそりゃ、と思ってましたけど。
僕がセガに入って最初の3年間は、役員に連れられて世界中の色々な物を見て回ったり、「ゲーム作らなくていいから、組織にどんどん新しい風を入れろ」と言われて。「おまえは人脈もあるし、どんどん人の中に入っていけるから、今ない物をどんどん取ってこい」と。最新のCG技術がイギリスの軍事系の会社にあるらしい、という話があったら、パッと行って軍事用のフライトシミュレーターに乗せてもらったり。あとは、情感デザイン研究室という新しい部署を立ち上げたり。
“情感”デザイン研究室。具体的には、どのような部署なんでしょうか?
みんなね、知識はすごいんですよ。あのゲームはああだとか、こうだとか。評論家のようによく知ってる。僕なんか知らないことが多いから「おまえ、そんなの知らないの?」みたいなことを言われてね。でも、「じゃあ、面白いゲームって、どうやりゃ作れるんだ?」って訊くと、みんな宙を見つめちゃう。だからゲームの本質とか、面白さとか楽しさの本質とか、エンターテインメントの本質とか、インタラクティブってどう設計すりゃいいんだとか、そういうことを知りたいって思って立ち上げた。「未来のゲームを考えよう」って感じで。もうほとんど自分のためですね(笑)。
そこでいろいろなことを学んでいきながら、初めてCG映像のチームを立ち上げました。1992年のことです。セガが当時、モーションライド・シアターというシアターの画面に合わせて座席が動くアトラクションを持っていたので、そのCG映像を作るための部署です。そういやその頃、ダグラス・トランブルがマサチューセッツ州にライド制作会社を持っているというので、視察に行ったんですが、そこで黒澤明の映画や「AKIRA」などの日本文化に興味を抱いていた一人のアメリカ人と運命的な出会いがあった。それがマイケル・アリアスです。
! そうなんですか(笑)。
彼は当時、「アビス」とかのハリウッド映画の特撮を手掛けたり、ユニバーサル・スタジオの「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」のモーション・プログラムを手掛けていたんだけど、コンピュータ・グラフィックスはまだ未経験だった。でも彼もCGの未来を大きく感じていて、話をしているうちに一気に盛り上がった。そのマイケルを日本に連れてきて、あと数人合わせてチームを立ち上げた。そりゃもう、大変だったよ。まだ誰もCG映像なんか経験したことのない連中が集まって、ゲーム会社の中に、ゲーム制作をしている連中より巨額のバジェット使ってチーム立ち上げたんだから。
そういえば、「APPLESHEED」の荒牧さんにも仕事を手伝ってもらったなぁ・・・。とにかく、毎日徹夜&大ゲンカ。だって4000万円のマシンで、たった1フレームの映像をレンダリングするのに15分もかかるんだから(笑)。1年後に「メガロポリス」という映像が完成し、1993年のシーグラフでも上映され、プロジェクトは終了。その後マイケルはアメリカに帰るということで一回別れたんですが、数年後に日本に戻ってきて、手に持っていた企画書が『鉄コン筋クリート』だったんだよね……っていう話をしていると、大きく脱線してしまうので、それはいつか別の機会に、ね(笑)。
先日、電気通信大学の稲見教授とのお話の中で、「やりたい」という欲望が先なのか、それとも技術が先なのか、というお話があったんですが。水口さんの場合、「こんなゲームが作りたい」という発想が先なのか、それとも新しいプラットフォームが出て、これならこんなゲームができるよね、という流れなんでしょうか?
それは、どちらもあります。こういうことができたらいいな、というアイディアは、仮に今実現できないとしても、引き出しに入れておけば、いつか必ず作るチャンスがやってきます。常に発想を未来に飛ばしておかないと、結局新しいジャンルやスタイルは生み出せない。時にはその発想が新しいプラットフォームを作っていく場合もありますし。だから引き出しには常にアイディアを書き溜めています。
その、引き出しにためる作業ですが、日常生活で意識してやっているのでしょうか?
うーん、昔は本をいっぱい読みましたけど……最近はほとんど読まないですね。テレビも映画も昔に比べて圧倒的に減りました。音楽は日常的に聴き続けていますが。
アイディアって、天才肌でポンポン出てくる人と、日々努力して引き出しにためた物を小出しにしていく人がいると思うんですが、水口さんはどちらなんでしょうか?
僕は後者ですよ。努力しないと全然駄目ですね。だから、昔からそういうインプットを意識的に続けてきたんですが、5年くらい前から、インプットをしないようになってきましたね。直感的に、自分が「いいな」と思う物をやっている感じ。だから無理もしてないし、昔に比べて自然体になってるんじゃないかと思います。本を読む、メディアから情報を入れる、……その時期が、今は一通り落ち着いたのかもしれないですね。
反比例して、いろいろな場所を旅する時間は増えています。去年も数えたら60回飛行機に乗っていました。あと、音楽はいつも聴き続けています。いろいろな国で、いろいろな風景で、ケミストリーチェックをするのが日課です。音楽はインスピレーションの源でもあります。
確かに、社会や、業界や、過去の歴史や、あらゆるところに習慣や、先入観や、人間が作り上げてきた様々な壁がありますよね?そういう壁を打ち破る方法や、パワーって何なんでしょう?
とにかくいろいろな人間に尋ねることかなあ(笑)例えば違う国の人に、「今こういうこと考えてるんだけど、面白くない?」と聞く。それに反応しなければ、「ああ、これが面白いと思うのは俺だけかな」とか、「日本では受けても、海外では受け入れられないかな」とか、そういうことが確認できる。あるいは、もし反応が鈍くても、少しやり方を変えればうまく行くかもしれない、とか。僕はそのために英語を話すようになった。
例えばあの『スキージャンプ・ペア』にしても、ほかの国の人たちが見たら、最初は色々なとらえ方をされると思うんですね。だって男同士二人で堂々と抱き合っているんだから(笑)。じゃあ、その『スキージャンプ・ペア』のユーモアを、いい形で“翻訳”する方法はないかと。そういうのを『セカンドライフ』内で体験させたら、もしかすると国や人種、文化、宗教とかを超えた部分で、人間はつながれるかもしれないんだよね。ゲラゲラ笑いながら。もしそうだとしたら、また何か発見があると思う。
流行やトレンドから何かを提供するのは、ある意味“後手”ですよね。『スキージャンプ・ペア』のように、意外性があって、かつ面白ければいいと思うんですが、あまりにも発想が行き過ぎていても、訳がわからない。水口さんが作りたい物というのは、どちらなんでしょう?
意外性のあるものは大好きです。挑戦状をつきつける感じですね。この前、『N3: Ninety Nine Nights』という戦争ゲームを作ったんですが、これまで自分の中では、戦争をゲームにするという発想は封印してきました。だけど、世界中、いつまで経っても戦争ゲームは減らない。むしろ増えている。そんなにみんな戦いたいんだったら、何千何万と殺させてあげようじゃないかって。でも最後に「あれ?」と何かに気づく物にしようと。
それで、ゲームの途中で敵と味方が入れ替わるような仕掛けを入れたんです。人間と非人間(ゴブリン)の戦いなんですが、さんざんゴブリンをやっつけたあとで、突然ゴブリンの少年戦士を選択できるようになる。すると、ゴブリンの村にすごい数の人間が襲ってきて、その少年の兄が目の前で殺害される。突如として、人間が悪に変わる。信じていた正義は、演出された映像で簡単にフリップ(逆転)してしまうんです。
アメリカの人も、もしイラクの生活に入れば、きっと少しは相手の気持ちがわかる。イラクの人も、アメリカの生活に入った途端、自分たちの知らなかったことに気づくでしょう。それぞれに家族がいて、友人がいて、大事なものがあって、それぞれに正義があるとか。人間って、国籍とか人種とか、先天的に持ってる壁がある。もしゲームに力があるとすれば、それをとっ払うことができるのではないかと常々思っています。
究極的なことを言うと、例えばイスラエルの老人とパレスチナの少年が、壁を挟んでゲームをしている。一つのゲームを対戦しているとしましょう。そのゲームはとても面白くて、二人ともすっかりのめり込んでいる。その瞬間、二人の顔は、同じ顔をしていると思うんです。無防備な、子供みたいな表情でね。で、突然、二人の間の壁を外してみたらどうなるんだろう? お互いの顔を見た瞬間、凍り付いてしまうかもしれない。「あ、俺のお父さんを殺した国の人だ」とか、「私の死んだ孫そっくりだけど、敵国の子供だ」とか。でもゲームで遊んでいたときは、二人は同じ面白さでつながっていたわけで。そういう力が、常にエンターテインメントにはあると思うんです。特にインタラクティブ性は、それをより強固にする物だと思うし。だからこれからの、未来のゲームにはまだまだ可能性があると思えるんだよな。
両方の視点を体験したり、物語の結末が変わったり、というのは映画では難しいですよね。
映画は一本の線だから、構造的に、難しいですね。そういうメディアなの。だから一方の正義を善として、一方の正義を悪とする、勧善懲悪型が多いですよね。観客に感情移入させなきゃいけない以上、この形を崩して映画を作るのは難しいんじゃないかなぁ。クリント・イーストウッドの「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」みたいになっちゃう。あと、映画は三人称視点で、ゲームは一人称の視点でしょ? 「客観的なドラマ」と「主観的な体験」の違いなんだよね。その構造的な違いをフルに使って、映画並みの解像度と表現力を得たときに、ゲームは次の新しいエンターテインメントにシフトするんだと確信しています。
そういう意味では、水口さんのゲームはストーリーを見せるというより、ストーリーは自分で作ってください、という気持ちが大きいのでしょうか?
いや、そんなことはないですよ(笑)。微妙な案配というのがあって、こちらのメッセージは乗せるんだけど、そのすき間を意図的に増やしてもあげる。結論は「A」です、ではなくて、体験の過程によって、結論の違いはどう感じましたか? というものへの誘導かな。結構、頭使いますけどね。「氷の微笑」って映画があるけど、あれをインタラクティブにしてみたいとよく思います。ちなみに「N3」は黒澤明の「羅生門」から影響を受けています。
お話を聞いていて感じるのは、ひとつの結果というより、まだ経過であって、元気ロケッツ自体もこれから変わっていく、という物なんですね。
そうですね、まだ始まったばかりです。一番の目的は、メッセージや、新しい音と映像の表現とともに、世界に出て行くことです。音楽が世界に出て行くことは、ゲームや映画よりも難しいと感じています。だから、すごい興奮しますよ。でも元気ロケッツはYoutubeから誕生したように、今の技術、今のメディアからは何が起こるかわからない、という面白さがありますね。例えばたった3ヵ月の間に、アル・ゴアさんに会って、世界規模のイベントのオープニングアクトをやることになるとか、ね。
でもなかなか、クリエイター同士だと、そういうモードになれない人もたくさんいますよね。そういうチームに入れるきっかけって、運だったり出会いだったりするのかもしれないですけど、そんなにハッピーな人は決して多くないのではないでしょうか?
そりゃそうですね。だんだん経験を重ねていくうちに、違いを楽しんだり、リスペクトし合えたりできるようになるんだと思います。でも、そうこうしているうちにヨボヨボになっちゃうんでしょう(笑)。
まあそれでも、歩みはやめないということですね。それで今後のお話ですが、水口さんがモノを作るにあたって、ゲームにあまりこだわりはないのでしょうか?
ないですね。新しい表現や体験を作るとして、それが新しい広告になるかもしれないし、映像や音楽を軸に考えたとき、映画やテレビにも、境目は感じません。より面白いと思う物には、取り組んでいくことになると思います。
なるほど。それでは水口さんが、今後これは可能性があるな、ムーブメントが来るな、と思う技術やサービスってありますか?
うーん、全部に可能性があるんですよね。『セカンドライフ』もインターネットのSNSも、携帯電話もiPodも、PSPもDSも。全部が同じ方向、メディアの中心に向かってるような気はしますね。そういう意味では面白みはないけど、全部に可能性がある。
今はその可能性を楽しめればいいんですけど、例えば音楽であれば、配信が出てきてCDは年々売り上げが落ちて、その業界にいると暗い人も多いですよね。水口さんのおっしゃる通り、どのメディアも同じ方向を向いて進化しているとしても、やっぱり自分は消えていくメディアにいるんじゃないだろうか、という不安を感じている人は多いと思うのですが?
確かに。でも、そういう向き合わなきゃいけない物事もこなしつつ、どう前向きにやっていくか、それしかないと思うんですよね。これは自分に対する戒めも込めて、周囲に言い続けてるんですが、「コップの中の半分の水」なんですよ。「半分しかない」と思うとそうなるし、「半分もある」と思えばそうなる。単純に意識の持ち方で、人生の大半は変わる。だから辛いときは、「半分もあるんだからさ」というところからスタートさせりゃいい。なんか自己啓発セミナーみたいだけど(笑)。
若い人に、というお話がありましたが、コミュニケーションにしても、今はメールがあったり、言葉と文字では印象が変わりますよね。そのあたりの変化は、どのように感じていますか?
それって世代論と言うより、“人”じゃないかと。例えば30代半ばでメールばかり多用する人もいますよね。そんなの電話一本で直接話せよ、と思うことでも(笑)。逆に20歳くらいでも、メールじゃなくてフェイス・トゥ・フェイスの会話を重要視する人もいるし。だから最近は、自分が世に出す作品についても、年齢や世代的な枠というのは、あえて考えないようにしてますね。昔はよく考えてましたけど。
先ほどのお話に戻りますが、では物でもサービスでも、具体的に興味を持っている物、というのはない?
うーん、今は特にないですね。物じゃないんですけど、僕が革命的ですごいなと思う瞬間は、きっと人間が宇宙に出始めるときだと思うんですよね。いや、本当に。そういうことから何かが変わっていくんだと思うんです。服を変えたり髪を変えたり、そういう外側から変わっていくのはもういいや、というか。結局、それくらい強い衝撃とか思いには勝てないと思うんですよね。でも宇宙って、別に遠い未来じゃないですよ。あと10年か20年したら、普通に行けるでしょう。
文明が発達していく過程で、まず物質主義があって、その後に精神主義、というように言われますよね。今、これだけ物質があふれていても、なかなか人の精神が次のステップに進めていないように感じるのですが、宇宙に行けたら、人の意識も大きく変革するんでしょうか?
それでも既に、結構変わっているんじゃないかと思いますよ。例えば今の僕にしても、CDは買わなくなっているし、本も物として所有する、という感覚が薄れてきているし。僕もiTunesが出たときは、「いや、やっぱりCDは物質的に保管したい」と思ってたけど、「一万曲入ります」と言われた瞬間、「やっぱこっちのほうがいいな」ってなりましたから。今の10代の人たちにとっては、それがもう生まれたときからの習慣ですし。
そういう意味では物質から解放されて、別な意味で豊かになっているんだと思います。今の若い子や小学生は、普通に携帯をいじって、チャットして、SNSのようなグループで生身ではない自分を投入する、ということを普通にやっていて、最初から先入観がない。だけどその中で、「これはヤバそうだぞ」みたいな“敏感さ”も、ちゃんと養っている。そういう人間としての本能はちゃんと残っていますよ。
確かに“敏感”かもしれません。例えば違法コピーの問題に対しても、30代とか40代よりも、10代の子の方が、圧倒的に罪悪感を自覚している。
彼らは、この先どうなるのか、ということを本能的に感じているんだろうと思います。このままだと、将来自分が何かを創作しても、勝手に人にコピーされたら、自分は活躍できない。そういう、僕らとは違う視点で見ている。
同じように、今の子供達の方が、リアルとバーチャルの境目を本能でわかっていると思いますよ。大人は恐怖感があるから、バーチャルって危険なんじゃないか、ちゃんと現実で感動しなくちゃいけないんじゃないか、とか考える。今の子供たちなら、リアルとバーチャル、無理矢理どちらかにしなきゃ、ということもなく、普通に共存していくんじゃないのかな。
あと先ほど最近は映画をあまり観ていない、ということでしたが、お気に入りの映画やドラマがあれば教えてください。
そうですね……常に発想を刺激続ける、という意味では『パワーズ・オブ・テン』かな。チャールズ&レイ・イームズという人が作った映像なんですが、そのコンセプトに衝撃を受けました。映像は古いけど、思想は時間が経てば経つほど、どんどん新鮮に感じます。結局テクノロジーも、アートもエンターテインメントも、新しい表現というのは、“新しい視点の獲得”なんですよね。新しい視点を持ったときに、同じ物が今までと全然違って見える。
例えば、日の出の光景があったとして、それを撮った写真よりも、ある人の印象によって描かれた絵の方が、感動を与えたりする。人によって感じ方がみんな違う、その“ずれ”を使っているんです。
だから、人間が新しい視点を獲得するというのはすごく大切なことで、ゲームも含めてメディアとかテクノロジーの重要な役割は、そこにある、と思っています。
例えば地球の外だって、つい40数年前まで誰も見たことがなかった。それを客観的に見た瞬間に、知った瞬間に、意識が変わる。こんな球の表面に、何十億という人間がいるのかよって。こんな薄い膜にある水とか空気とか、すべての資源を共有しているのか、って。それに気づくことによって、新しい意識が生まれる。そして、その意識が何かを変える。『パワーズ・オブ・テン』はもっと深いけどね。そんな映像を作って、世界的に有名なイスを数多くデザインしているんだから。
なるほど。それでは最後に、座右の銘を毎回お聞きしているんですが……自分に対するテーマや、信念のような物でも結構です。
「どこまで遠くに行けるか」。自分が生まれた場所からもそうですし、意識をどこまで飛ばせるか、というのもあるし。それが自分にとっての旅でもあるし、クリエイティブの源泉でもあります。
すごい、いい言葉ですね。今日は長時間、ありがとうございました。