阪神淡路大震災から13年
つぶれたアパート、救出された少年は−−
「私も自衛官になりました」
第3特殊武器防護隊・安藤良平士長
命の恩人・篠原曹長と再開
阪神淡路大震災で被災し、救助してくれた自衛官にあこがれて入隊した隊員が1月16日、13年ぶりに命の恩人に再会した。被災したのは第3特殊武器防護隊(伊丹)の安藤良平陸士長(22)で、救助した隊員は愛知地本の篠原光繁陸曹長(46)。当時小学校3年生だった安藤士長は家具と壁の間に閉じ込められたが、不明者捜索に当たっていた篠原曹長に発見され、助け出された。安藤士長は「13年前は本当にありがとうございました」と、ずっと言いたかったお礼の言葉を伝えた。
13年ぶりに再会し、握手を交わす(右から)安藤士長と篠原曹長(1月16日、神戸市兵庫区で)
平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7・3の地震が発生、強烈な揺れは阪神間で震度7を観測し、10万棟を超える家屋が全壊、神戸市内は壊滅状態に陥った。
小学校3年生だった安藤士長は兵庫区内の木造3階建てアパートの3階に住んでいた。戦後最大最悪の地震の揺れは、小学3年生の理解をはるかに超えていた。それが地震であることも理解できず、地球が引っくり返ったのかと思った。気が付くと倒れた本棚と壁のすき間に閉じ込められていた。
暗く、狭い空間にたった1人。声を出しても外に人がいるのかさえ分からない。いたとしても聞こえている保証はない。心細さと恐怖に襲われた。「このまま死ぬのかな」。幼心に思った。
篠原2曹(当時)は3特連(姫路)の1大隊2中隊の一員として、兵庫区で人命救助活動に当たっていた。倒壊家屋を1軒ずつ回り、下敷きになった人を探して救助する。街並みは無残にも破壊され、ある3階建てアパートは1、2階部分がつぶれていた。
そのアパートの残った3階部分を捜索すると、家具と壁のすき間に男の子がいた。篠原2曹はその子を助け出し、同行していた警察官に引き継いだ。地震発生から半日後、安藤少年は無事救出されたが、その時の記憶はない。
その後の避難所生活で、給水、入浴支援を行う隊員の姿に、漠然としたあこがれを抱くようになった。5年生になって、父親から自分を救出してくれたのが自衛官だと聞かされ、「将来は自衛官になろう」と決めた。自衛隊のことはよく知らなかったが、漠然としたあこがれは将来への決意に変わっていた。まだ見ぬ命の恩人の背中を追い始めた。
高校卒業後の15年3月に入隊。善通寺で前期、大宮で後期新隊員教育を受け、3特殊武器防護隊に配属された。昨年、3特連から転属してきた上司に入隊のきっかけを聞かれ、自身の体験を話した。上司は3特連に連絡し、今は曹長となった篠原2曹を探し出してくれた。
再会の日。兵庫地本の会議室に現れた篠原曹長と敬礼を交わした。なんとなく「怖い人なのかな」と思っていた命の恩人は、会ってみると優しい人だった。安藤士長は「13年前は本当にありがとうございました。おかげで今は迷彩服を着て、救助する側になることができました」と、胸のうちでつぶやいてきた言葉を堂々と述べ、篠原曹長からは「立派な青年になってくれてうれしい。これからも頑張ってください」と激励された。
この後、救出現場となった自宅跡を篠原曹長と訪れた。断片的だった記憶の一部を篠原曹長が埋めてくれた。
今の目標は陸曹になること。そして災害派遣の現場に立ちたいと思っている。「自分にしか分からない被災者の気持ち、特に子供の気持ちに立った活動ができれば」と話した。