提橋和男の新管理人のつぶやき
(2007/10/26)

提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1026

肝不全

東京の下町、門前仲町といえば富岡八幡(近くに深川不動もある(成田山)。この界隈、江戸時代からの門前町であるが、今はその面影はない。それもそのはず、昭和20年3月10日の大空襲ですべてが焼きつくされた。
3月18日昭和天皇は富岡八幡宮に参拝され、空襲の焼け跡を視察された。写真を見ると、焼け跡の瓦礫しかない。天皇陛下か参拝された富岡八幡宮も灰燼と化していたはずである。東京大空襲の戦禍を視察された天皇陛下は、関東大震災につづく帝都の破壊を目にされ、これをもって終戦を決意したと後に述べられている。

富岡八幡宮の境内に昭和天皇の御製碑がある。

  昭和天皇 御製

  身はいかになるとも いくさとどめけり
            ただたほれいく民をおもいて

碑文

天皇陛下在位六十年奉祝記念

大東亜戦争末期の昭和20年3月18日天皇陛下は、大空襲で焦土と化した東京をご視察になり、ここ富岡八幡宮にお立ち寄りになった
この時 陛下は爆撃の惨状に深く御心を痛められ その後終戦のご聖断を下されたのである 
この御製は その当時お詠みになった大御歌である

御陛下御在位六十年東京都奉祝委員会

昭和61年10月26日建立

昭和20年2月、もはや日本の敗戦が必須の状況のなかで戦争終結に関して、昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しい」と答え、戦争を続行させたという話がある。
実はこの話は話の入れ違いがある。天皇陛下は戦争終結への道を探っておられた。しかし軍部は本土決戦を叫び「もう一度戦果を挙げてからでないと戦争終結の話は難しい」「もう一度決戦の機会を」と訴えていたのである。
天皇陛下は「軍はあのように申しているが」と近侍に問われている。答えは「もう一度決戦を挑む力など日本にはありません」というものだった。天皇陛下は軍の戯言など見透かされておられた。
もうひとつの逸話がある。航空隊の特攻攻撃ばかりの戦況報告に「海軍にはもう艦がないのか?海上部隊はもうないのか?」とのご発言に、連合艦隊先任参謀神重徳大佐は、このお言葉を利用し「軍艦・大和」の沖縄特攻出撃を強行させた。天皇陛下は嘘の報告を受けているから連合艦隊が無力化したことなど知らない素朴な疑問のご発言を利用したのである。

軍部は天皇のお言葉を自分たちに有利になるよう利用し「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しい」と天皇陛下が発言されたというのも軍部が利用したものである。天皇のお心は「身はいかになるとも いくさとどめけり ただたほれいく民をおもいて」と詠まれた歌のとおりであられた。ただ軍の力が強く、終戦工作も密かに進めなければならなかった。このころローマ法王庁を通しての終戦工作も密かに練られていたのである
心ある国民は天皇陛下を「お堀の向こうの捕らわれ人」と見ていた。90歳の母もそのように見ていた小国民のひとりであった。

以上のことは、富岡八幡宮の境内の碑を見るたびに思うことであった。


話はだいぶ横道にそれたが、富岡八幡宮の大通りを歩いていると薬局の宣伝が目に入った。「今どきの体調不良は上手に肝機能回復。毎日飲めるアミノ酸パワー『レバコール』」

先日、かつて勤めていた会社(三菱樹脂)へ行った。同期のAが「俺、痛風になってしまったよ」という。医者から一日2リットルの水を飲むように言われて「還元水飲んでるよ」とペットボトルを見せた。会社に「水の舞」がついている。
「還元水飲んでなかったの?家にも水の舞あるでしょ?」「それが…飲んでいなかった」そこへ同期のKがやってきた。「風邪ひいてしまった。風邪薬を」と女子社員から職場に備え付けの薬箱から風邪薬をもらってい。
「60を過ぎたら、11時には寝て睡眠を十分とらなきゃ体力がもたないよな。夕べは窓を開けっ放しにして眠ってしまった。それで風邪をひいた」という。

「会社に水の舞がついているんだから、薬なんか職場に備えておく必要なんかないだろうに。還元水を飲んでいたら風邪なんかひくかよ!」と私。
60を過ぎたら睡眠を十分とらなきゃ体力がもたない? 馬鹿言え! 私など帰宅が午前2時半。寝るのは3時半。それでも6時には起きて6時40分の電車で職場に行く。そういうことが続くことが多い。もちろん土日も仕事をしている。それでいて、寝不足だということを感じても、体力的にはどうってことない。
先週は仕事のあと土曜の夜から90歳の母を連れて車ででかけて参詣してきた。翌日曜日は午後三時に下山して、母の家に着いたのが午後7時。この間2〜3時間仮眠しただけだった。ま、60歳の私はともかく、90歳になる母は昼間デイサービスで過ごして、その足で車で出かけて参詣し午後7時に自宅に帰ってきた。寺院ではもちろん杖も車椅子も使わずに元気に寺院内の移動も自分の足で歩き回った。なのに母は「疲れなんかないよ」。
そして翌、月曜日はデイサービス。

60歳の私はともかく、90歳の母のこの体力。90歳といえば人の手を借りなきゃ移動できないか、歩けなくて車椅子というのが普通だろうし、老体にとってこんなハードスケジュールをこなせるのは希だとおもう。
そのパワーはどこからきているかというと「還元水パワー」。
同期のAやKがだらしないと感じるのは私だけでしょうか?

ところで肝臓が気になる方!!の宣伝をごらんいただきたい。

私は、ここに書いてある項目に該当するものはひとつもない。(90歳の母も同じ)
ということは「ミラクレン」なるものは必要ないということになる。
そもそも肝臓障害も還元水でバッチリだし、恐怖のC型肝炎だって治った方がおられる。薬と医者とは全く無縁になる。肝不全だって防げるだろうし、もちろん治癒するだろう。ただし、毎日2リットル以上の還元水を飲み続ければ…の話である。

ところが世の中、せっかく整水器を購入しても「飾っておくだけで健康になれる」と勘違いして水を飲まない人が多いのが現実だ。AやKもそうだし、前回ご紹介した我が先輩のA氏ご夫妻もそうだ。(結局奥様がリンパ腫で亡くなられた)

昭和天皇の戦時下における言動が誤って伝えられているように、還元水の情報も正しくは世の中に伝わっていない。どちらも影の意図的な力が働いている。(…と私は思う)

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